父のように稼ぎたいし、“みんなが羨む女”でありたい……私が“女子アナ”を志望した理由 から続く
父のように稼ぎたいという気持ちと、母や姉のように“みんなが羨む女”にならねばという気持ちを抱えた若かりし頃の小島慶子さんがたどり着いた職業は「アナウンサー」だった。しかし、実際“女子アナ”になってみると、“女子アナ”に向けられる視線に、ひいては日本社会で女性の置かれた立場や女性に対する評価に違和感を覚えるようになったという。
『足をどかしてくれませんか。 メディアは女たちの声を届けているか』(亜紀書房)より、小島慶子さんのエッセイを掲載する。(前後編中、後編/前編を読む)
©iStock.com
◆ ◆ ◆
エリートなのに物知らずで可愛い……“女子アナ”人気の理由
社会学者の北出真紀恵によると、“女子アナ”という呼称は、女性アナウンサーに対する社内的な呼び方が、男性向け週刊誌を介して一般化したものであるという(『「声」とメディアの社会学』晃洋書房、2019年)。
フジテレビでは、1981年にそれまで契約社員だった女性アナウンサーが正社員化したのをきっかけに、女性が長く働けるようになり、様々なジャンルの番組での起用が広がった。ところがそれは、実力が伴わなくてもまずは女性を画面に出すという動きを強め、女性アナのタレント化につながったと北出は指摘する。
メディアプランナー/放送作家の草場滋によれば、“女子アナ”という言葉は1987年にフジテレビが出した『アナ本』が初出であるという。その年は中井美穂アナ、翌年は河野景子・八木亜希子・有賀さつきの3人の新人女性アナが入社し、いわゆる“女子アナブーム”が始まった年だった。
有名大学を卒業した美人の“お嬢様”が当代きっての花形企業に数千倍の競争率を勝ち抜いてアナウンサーとして採用され、高収入と終身雇用が保証された正社員の座を手にすると同時に、全国ネットのテレビにいきなり登場する。そのエリート然とした経歴とは裏腹に、彼女たちは物知らずやおっちょこちょいやお色気や可愛らしさで注目を集め、タレントに頭を叩かれたりした。高級OLは身近で遠い存在であり、“女子アナ”は、アイドル顔負けの人気を誇るようになった。
この経緯にはなんとも言えない哀しみを覚える。女性を正社員として長い目で育成できる余裕が生まれたタイミングで、注目されたのは彼女たちの喋り手としての資質ではなく、若さと素人らしさだったのだ。
女性活躍という掛け声に浮き足立った組織でよく見られることだが、うっかりすると「女性を引き立てる=職場の華として持ち上げる」という発想に陥りやすい。私もつい先日、現役と元職の女性アナを集めたある番組で配られた台本に「職場の華として日々活躍する女性アナの皆様」という文言が書いてあるのに遭遇した。もちろん番組側に全く悪気はない。
そもそも女性契約社員は男性社員の花嫁候補として若さと容姿が取り沙汰されがちであり、男性正社員も新卒一括採用の終身雇用制度で“手垢のついていない人材であること”つまり処女性と組織への忠誠心が重視される。正社員化した女性アナウンサーに、若くて可愛くて世間知らずの優等生社員であることが求められたのは当然とも言える。
日本型企業で働く女性契約社員に求められる要素と男性正社員に求められる要素とが融合した形で誕生したのが“女子アナ”だったのである。アイドル並みの容姿と人気を誇りながら、決して出過ぎた真似はせず「会社のために頑張ります!」と昼夜を問わず健気に働く“女子アナ”が社内からも視聴者からも好かれるのは、それが日本社会で働く人々の心情に強く訴えるからであろう。
女性性を搾取しながら「これは商品ではない」と言いたい
以前、大学在学中にホステスとして働いていたのは「清廉性がない」という理由で大手放送局アナウンサーの内定を取り消されたのは不当だとして、女子学生が会社を相手取って訴訟を起こしたが、これはまさに“生娘”を専属の職場の華として育成したいという採用側の欲望がはっきりと表れている事案である。
この一件では、採用サイドの接客業の女性に対する差別意識と、女性アナウンサーを自社専属の接客係(顧客は視聴者と自社の意思決定層)とみなしてチヤホヤする心理とは表裏一体であることが露呈した。先述の役員の「女性に値段はつけられない」という発言と同じである。
つまり相手の女性性を存分に搾取しながら「これは商品ではない」と言える状態が望ましいのであり、明らかに売り物の女性は興醒めだというわけだ。こうした考え方は男性に限ったことではない。
私は以前、ある放送局の社員と思しき女性がヘアサロンで美容師相手に「女子アナはうちの商売道具だからさ、こうもバカばっかりじゃ困るんだよね」と聞こえよがしに話すのに遭遇したことがある。女性アナウンサーを商品扱いすることがかっこいいと思っているのかもしれないが、そのような企業風土に染まれば女性であっても中身はセクハラオヤジと同じになる。
多くの場合、女性を職場の華として盛り立てている側には全く悪気はなく、従来の女性観に則って最大限の善意を働かせたつもりなのである。そしてその恩恵を受ける側も悲しいかな同様の女性観がインストールされているため、自分は特別扱いをされている、女に生まれて得をしたと思いがちだ(入社当初の私はまさにこれだった)。
“女子アナ”とは、上を見て生きるしかないサラリーマン渡世の象徴であり、この社会のミソジニーと女性のモノ化と、そのような男性優位社会でのサバイバル術として自らを商品化して“女子”を偽装するほかない女性たちの哀しみとが詰まった、実に味わい深い呼称なのだ。
大手民放のアナウンサーに内定した時、それはそれは嬉しかった。これで誰にも養ってもらわなくても生きていける! 自由だ! たとえ相手が文無しでも、好きになった男と番えるぞ! と思った。誰もが知っている有名企業で、世間の平均の何倍もの高い給料を稼ぐ自分は強者だ、と誇らしく思った。
「誰のおかげで暮らしていけると思っているんだ」と言った父とも、これで肩を並べることができる。私をふった元彼よりも高い給料をもらって、同級生の男子の誰よりも有名になるのだ。毎朝満員電車で尻に手をのばしてきた痴漢どもも、耳元に臭い息と舌打ちを浴びせかけてきたオヤジどもも、小6の女子児童に上半身裸で身体測定を受けさせて、ニヤニヤしながら品評したクソ教師も、もう虫ケラみたいなもんだ。私はお前らなんかとは格が違う、日本のサラリーマン社会のお貴族様なんだぞ! と思った。
その選民意識こそがまさに自分を追い詰めた“稼ぐ男が偉い”という価値観の醜悪な表れであることを当時は全く自覚していなかった。
同期に「小島はどうしてはっきり意見を言うの?」と聞かれた
入社して程なく、私は自分の脳みそではなく属性が商品であることに気がついた。「TBS新人アナウンサー小島慶子です!」と言うたびに、ただの小島慶子じゃいけないのか? という思いが大きくなった。「新人らしくない/新人のくせに」「女子アナらしくない/女子アナのくせに」に振り回されて、何が正解かわからなくなった。どうやら理想の新入社員と理想の女子を同時にやれと言われていることはわかったが、それがどういうものなのか、想像がつかなかったのだ。
実は、内定が出るときに同期3人のうち私だけが保留された。人事部の人が「あなたをアナウンサーで採用することに強固に反対している役員がいましてね……ちょっと待ってくださいね」と電話をかけてきた。結局数日後にアナウンサーで内定が出たのだが、今思えばその役員は慧眼だった。
“女子アナ”をやる技術というのは研修で身につくものではなく、その人が幼い頃からの生活環境の中で身につけたコミュニケーションスタイルがそのまま出るのである。他人の欲望を体現することが習慣化しているほどこなしやすい。
私は先述したように、男性を立ててニコニコ良い子をやるという型とは全く縁のない育ち方をしたので、実に“無粋”であった。ある地方出身の女性アナにしみじみ言われたことがある。「小島はどうしてそんなにはっきり意見を言うの? 私は実家でもずっと“女はニコニコして男の意見を聞いていろ”と言われて育ったし、そんなふうにはっきり物を言うこと自体が怖くてできない。すごいと思うけど、なんでわざわざそんな大変なやり方をするの?」と心配してくれたのだ。その通り、彼女は生来の“女子アナ”らしさが身についていた。でも私はいくら真似しても、どうしてもうまくできなかったのである。
そんな自分を随分責めたが、あるときふと、おかしいのは私じゃなくて“女子アナ”ってやつの方だと気がついた。そして一見適応しているように見える彼女たちも、胸の内には複雑な思いを抱えているということも。
私は父のような経済的強者になりたかったのと同時に、そうした強者が女性に向ける眼差しを憎んでいた。「誰のおかげで」と言った父だけでなく、母や姉が私に擦り込んだ「値踏みする男の視点」を憎んでいた。その眼差しは女の顔や体つきを品定めし、愛されるためにもっと努力しろ、じゃないと幸せになれないぞと脅す。テレビにも雑誌にも家族の言葉にも、耳目に触れる全てのものにそのメッセージは仕込まれていた。その呪いから、なんとかして自由になりたかった。
お金さえ自力で稼げれば、品評会から離脱できる。だけどやっぱり“高級な女”でいたいという矛盾した思いもあった。当時の男の勝ち組である父の価値観と、女の勝ち組である母の価値観を取り込んで、全方位的に勝ちたいと欲張った結果、まさにそれを全て体現しているような“女子アナ”と呼ばれる職業にたどり着いたというわけだ。
女も、男も、誰も幸せになれない社会
いわゆる男社会の弊害を言うときには、男が加害者で女は被害者という二項対立になりがちだが、硬直したジェンダー観の強化には女性も加担している。私が生まれた1970年代は専業主婦が多数派で、男性労働者を効率的に働かせるために女性はそのバックアップに従事し、男は稼ぎが多い方が、女は料理と子育てが得意な方が幸せになれるという物語をしっかり次世代に仕込んだ。戦前生まれの私の母などは、それで実際幸せになれた世代である。
今、20代女性の保守化が言われている。「男性は外で働き、女性は家を守るべき」と考えて専業主婦に憧れるそんな女性たちは、一つには現状認識ができておらず60年代生まれの親から仕込まれた幸せの法則を悠長に信じているのかもしれないが、一方では男性も女性も老人になるまで働き続けなければ生きていけないという現実を前に、「男」役をやることへの強い不安を覚えているのではないかと思う。
家事と育児に専念する「女」ロールが成り立たなくなった今、彼女たちに用意されているのは勝ち組男のロールではなく、安い給料と不安定な雇用で働き続ける負け組男のロールである。男女格差が大きく働き方が硬直化した社会で、女性に働き続ける人生を選べというのは、ワーキングプアを増やすことに他ならない。
食えない者同士でくっついてやりくりして子どもを産めというのが、どうやら日本の「女性活躍」の本音らしい。そんな不穏な空気を感じている若い女性たちは、もはや再現不可能になってしまった「結婚したら仕事を辞めて子育てに専念する」という母親世代が手にしていた選択肢を必死にイメージして、負け戦に駆り出されるのを拒んでいるのかもしれない。
一方で、男は男らしくという刷り込みによってあらかじめ退路を断たれていた男性たちも、ここへ来て「男はしんどい」と声を上げ始めている。自分の父親と同じように身を粉にして働いても稼げる額は父親の8割ほどだ。24時間滅私奉公で稼ぎ続けるロボットのような人生にはもはや何のご褒美も用意されていないことがわかっている。従来の「男らしさ」に義理立てするメリットはない。今や結婚しても妻には仕事を続けてほしいと希望する男性が多数派で、家事育児をすることに抵抗がない男性も増えている。
しかし共働きをあてにされても女性は困惑する。男性の年収の3分の2しか稼げない上に多くは非正規雇用で、出産すれば職場では厄介払いされる。夫にやる気はあっても男性の育休取得は難しくパタハラもある。結局は妻がパートをしながらのワンオペ育児になるのは目に見えており、保育園に入れなければ仕事復帰すらできないのだ。
「女性も働いて自立を」と言われても、見えている結果が家計のやりくりに苦労するワンオペ育児なら出産しようとは思わないだろうし、そんな苦労をするくらいなら高収入の男に養ってもらいたいと思っても無理はない。だが希少種の稼ぎのいい男は、同じくらい学歴が高く稼ぎのいい女性が学生時代から確保してしまうので、そうそう余ってはいないのである。
「生意気な女は嫌われる」は不満を抱かせないための刷り込みだ
昭和の稼ぐ働き手の量産体制でも、平成・令和の稼げない働き手の増産作戦でも、「働きながら家族と生きる」という人間として当たり前のことが不可能な働き方を強いる限りは誰かが犠牲になる。それは大抵女性である。
万歳三唱で夫と息子を送り出し空襲で焼かれた国防婦人も、猛烈サラリーマンの母親役を課された妻たちも(80年代にヒットした『聖母たちのララバイ』という曲の歌詞を読んでほしい。特に2番)、カツカツの共働きでワンオペ育児に泣くママも、人が人らしく生きられない理不尽な働かせ方を強行するための人身御供である。
女性差別や女性蔑視は、そのような理不尽な構造に甘んじるしかない立場に女性を囲い込んでおくための呪文でもある。先述の“女子アナ”のロールにも顕著なように、テレビを通じて視覚化される「女は男よりも頭が悪い」「生意気な女は嫌われる」というメッセージは、女性が現状に不満を抱かないようにするための刷り込みとして機能する。女は従順な方が愛されると考えている限り、女性は貧乏くじをひかされ続けるのである。
女が人柱になるのは一義的には配偶者のためだろうけれども、その配偶者の男性たちもまた、時間と労力と人間性を搾取される、組織のコマでしかない。女も男も幸せになれない世の中で、結局誰が得をするのだろうか?
ジェンダーの問題を考えると、どうしたって権力との関係を考えざるを得ない。だからこそ本来権力を監視するべき報道機関であるメディア企業がジェンダーに関する物事をどのように表現するのかは非常に重要なのである。
(小島 慶子)