オードリーの仙台再訪

オードリーは以前、日本政府による「語学指導等を行う外国青年招致事業」(JETプログラム)に応募し、国際交流員として仙台市役所で働いたことがある。
 外見は日本人そのものだが、オードリーはロサンゼルスに住む日系米国人であり、その目から見ると日本は往々にしてヘンなところもあった。それでも、彼女は日本が好きである。
 そのオードリーのもとに今年春、1通の知らせが舞い込んだ。差出人は日本の外務省。「東日本大震災後の風評被害対策・元JET参加者東北被災地プログラム」と題されていた。参加条件は「外国人旅行者の視点から見た印象等をマスコミへの投稿、ブログ、HP、フェイスブック等により発信すること」とあった。
 オードリーは応募することにした。日本への航空券と国内の移動・滞在費が支給されるからだ。いや、そんなことではなく、あの仙台がどうなったか、どうしても見たかった。
 日本に行くというと、複数の友人が「危ない」と心配した。放射能のことだ。「そんなことはない」といっても通じない。
 もちろん、オードリーは旅行を中止したりはしなかった。そして仙台にやってきた。松島にも1泊した。仙台は、外見上は変わったところはなかった。松島では、ホテルそのものは大丈夫だったが、しばらく行くと、すさまじい爪痕が残っていた。
 けれども、東京に帰ってきて、数年前に産経新聞ロサンゼルス支局で働いていた当時の支局長-つまり私である-と新宿西口の焼き鳥屋で再会したとき、一番熱心に語ったのは、仙台の人々がいかに申し訳なさそうに震災を語るか、ということだった。
 外見上は被害が見えにくいといっても、仙台はもちろん震災によって物理的にも形而上学的にも激しく揺さぶられ、傷を受けた。それなのに人々はほぼ例外なく、申し訳なさそうに自らの被災体験を語るのだ。まるで、もっとひどい目に遭わなかったことが自分の不始末でもあったかのように…。
 それが日本人の良い特性なのか、あるいはそうではないのか、オードリーはよくわからなかった。だから、尋ねた。「なぜなんでしょう?」
 「それが日本人であるということなのではないか」と、私はあいまいに返すほかなかったのだが、みなさんなら、どう答えられますか?(フジサンケイビジネスアイ編集長 松尾理也)

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