「最近のクルマは高いよね」とよく言われる。確かに軽自動車がものによって200万円と聞くと「全くその通り」と思うが、一方、頭の中には「それはちょっと違うんだよなぁ」と思うもう一人の自分がいる。今回は日本人のデフレ慣れとクルマの価格について考えてみたい。
●無茶なローンを平気で組んだ30年前の若者
30年前、筆者がホンダ・ディーラーで整備士をやっていたころのことだ。そのディーラーは珍しいことに四輪だけでなく二輪の販売店も持っており、たまたまそこに配属になっていた時期がある。
二輪のお客さんは四輪のお客さんより概して整備の現場が好きである。工場に入り込んで来ては修理作業を眺めていくので、段々親しくなる。ある日、その常連客のUくんが言う。
「池田さん。俺、今度クルマ買うんですよ」
「へぇー、いいじゃない。何にするの?」
「プレリュードが欲しいんすよね」
「おー、金持ちだねぇ」
「いや、そんなんじゃないっすよ。見積りもらったんですけど、頭金なしの毎月6万円36回ローン」
Uくんは屈託なく笑っていたが、筆者はちょっと心配した。建築資材会社で2トントラックを運転している彼の給料は、恐らく手取りで10万円ちょっと。15 万円に届いているとは思えなかった。可処分所得の半分をローン返済に回してしまうのは当時の常識としても危うい。「うーん。50万円だけでも頭金作ってか らにしたら?」。彼が欲しがっているE-AB型プレリュードXZは160万円くらいのクルマだ。だが、エアコンとオーディオを付けて乗り出しの価格は恐ら く200万円を超えるはずである。
ショールームに戻って電卓を叩いてみると、頭金50万円を用意して48回払いにすれば何とか返済額が4 万円を切る。それならまだ何とかなるように思える。だが、同じような境遇の彼の同僚が8万円のローンを組んだことに自信を得て、Uくんは月6万円のローン で本当に買ってしまったのである。こういう無茶なクルマの買い方をする若者は多数派ではないまでもそこそこいた。
●クルマは高くなったか?
まず、今の感覚からするとプレリュードの160万円という価格には隔世の感を覚える。2016年現在、同等の価格で買えるクルマをチェックしてみよう。比 較的安価なBセグメントの中で、ちょっとスポーティなものを買おうと思えば、価格の高い順(千円単位は四捨五入)に並べて、ホンダ・フィットRSが193 万円、トヨタ・ヴィッツRSが189万円、日産マーチNISMO Sが184万円、マツダ・デミオ・ディーゼルが178万円、スズキ・スイフト・スポーツが173万円、スバル・インプレッサ・スポーツが160万円。6台 の単純な平均価格は約180万円。
前述のように当時のホンダ車はエアコンがディーラーオプションだった。価格は純正エアコンだと20万 円、同じサプライヤーが出ているホンダのロゴが付かない社外品だと10万円というところ。まあ170万円でいいだろう。つまりだいたい現在のBセグ・ス ポーツモデルとどっこいの価格になるわけだ。当時のプレリュードはホンダ・ベルノ店のフラッグシップ。当然、今のBセグメントとはだいぶ格が違う。同じ値 段で買えるクルマの格は、この30年でそのくらい違ってきているということになる。
プレリュードと同じスペシャリティ性の高いクルマはい くらくらいだろう? ホンダCR-Zが270万円、スバルBRZが256万円、マツダ・ロードスターが250万円、トヨタ86が249万円。こちらの4台の平均価格は約256 万円と価格はBセグ・スポーツよりグンと上がって当時のプレリュードの1.5倍。この手のクルマは現代では希少種になっているせいもあって、当時のプレ リュードとぴったり同格のクルマがない。ちょっと格が足りないのだ。本当ならトヨタ・セリカや日産シルビアあたりと競合するはずだが、ないものは仕方がな い。
ということで、公平な比較かと言われると、いろいろと言い訳すべきポイントは多いが、シンプルに額面だけで比較すれば高くなっている のは間違いない。本来30年分のインフレその他を加味する必要があるのは当然なのだが、そこは日本の経済に妙なことが起こっていて簡単に話をまとめられな い。それは後で別途じっくり考察するとして、まずは当時の若者がこんな無茶なローンを組んだ理由を書いて置かねばならない。それも後でパズルにはまるの だ。
若者がこぞってクルマを買った背景としては、当時の世相もある。毎年当然にベースアップがあって、特に新卒入社直後の数年は1万円以上の昇給も少なくなかったから、返済を始めてみれば毎年1万円ずつローンが軽くなっていく。そういう計算が成り立った時代だったのだ。
だから、手元に現金がなく、給料が少なくても、多くの若者が新卒入社と同時にクルマを買った。そういう消費が回り回って、企業が利益を上げ、それがまた給与になって戻って来るのが好景気の良いところだったのだ。
ところが、今や毎年のベースアップなど一部上場企業の中でも、限られた特別な会社だけのもの。現代のUくんたちは初任給が右肩上がりに増えていくものとは ハナから考えていないし、雇用形態によってはボーナスもない。それは月給20万円なら年収240万円のままずっと生きていく覚悟をする世界だ。ローンなん て組みたくなるわけがないし、非正規雇用ならローンの審査を通らない可能性もある。落とされたショックを考えれば、余計申し込みたくなくなるだろう。買っ たら買ったで初期コストとは別に維持費だってむしり取られる。若者のクルマ離れなんて勝手な言いぐさで若者の責任にする方がおかしい。
だからクルマは相対的に高く感じる。おっさんたちは人事のように「近ごろの若者には夢がない」と言うが、夢が見られない社会を今までの世代が作ったのだ。
●なぜ高くなったのか?
では、いったいなぜそんなことになったのか。
図は首相官邸ホームページの政策会議資料の中にある平成25年第2回会議資料の一枚だ。日米欧それぞれの名目賃金の推移がグラフ化されている。1995年 の各国名目賃金を基準(100)としたとき、2012年の値は米国で180.8、欧州で149.3ある。ところが、日本は87.0と、この18年間で2割 以上もダウンしているのだ。
プレリュードは1982年デビューなので、この資料の起点からさらにさかのぼること13年前の物価なのだが、 そこには目をつぶって、あくまでも目安として当時の価格にこの名目賃金の比率を掛けてみる。170万円の現在価値は各国でどのくらい違うのか。米国では 307万円、欧州では254万円、日本では148万円になる。
クルマのようなグローバル商品は、国による価格差はそれほど大きくない。せ めて欧州の賃金上昇率程度に日本の賃金が上がっていたら、86やBRZやロードスターを若者が購入していた可能性は十分にあるのだ。しかし、欧米にインフ レ補正を掛けなくてはならないのと反対に、日本ではデフレ補正を掛けなくてはならない。なんたることだ。
今、日本の物価と給与水準は明らかにおかしい。牛丼が一杯380円という水準はOECD加盟34カ国の中で、もはや最貧国レベルの物価だ。
筆者の友人に企業再生コンサルタントがいる。多くのリゾート物件再生を手掛けてきた彼に話を聞いて驚いた。少し前から、ニセコのスキー場にはオーストラリ アやニュージーランドからの旅行者が多数押し寄せている。外国人旅行者はスキー場の2300円のカニ・ラーメンを「日本は物価が安い」と喜んで食べている という。驚くべきことに、この店ではこのカニ・ラーメンが一番人気のメニューだと言うのだ。
こうした旅行者のおかげでニセコでは物価がぐ んぐん上昇している。マンション価格も坪単価600万円に達しているという。ニセコの山の中のマンションの坪単価が山手線目黒駅前のタワーマンションに匹 敵するのだ。もちろんこれが平均的な話なのかと問われればそうとは言い切れない。欧米ではスキーは富裕層の遊びである。ましてや海外にスキー旅行に出掛け るともなれば選ばれた人々なのだろう。とはいえ、彼らはそういう富裕層だからこそ母国と日本しか知らないわけではない。あちこちのリゾートで遊んだ末、日 本の物価が安いと言っているのだ。
だから、こうした外国人にヒヤリングすると、2300円のカニ・ラーメンでは飽き足らず、ミシュランの 星付きレベルのレストランがなぜニセコにないのかと尋ねられるらしい。友人は「夏の間どうやって生きていくのか」と苦笑いするが、それほど世界から見て日 本の物価は低い。
もう少し普通の例を見てみよう。大手町あたりのサラリーマンが昼食にちょっと良いものを食べたとする。それでもせいぜい1000円から1500円というところだろう。ところがロンドンあたりで同じ感覚で食事をすると2500円から3000円の相場になっているという。
毎日のように報道される中国人観光客の爆買いも、構造は同じだ。「多少高くても良いものを」と買い求めているのではない。「安くて良いものだから買わない と損」なのだ。今や日本の物価は全く先進国水準ではない。そこにグローバル価格の商品を置けば割高に見えるのは当然のことになる。クルマは高くなった。た だし日本人にとってだけだ。
●クルマのコストアップ
もちろんクルマの価格が上がっているのはもっと技術的な理由もある。 1990年代に世界中で衝突安全基準が設けられ、シャシーの開発コストが高騰した。各種の電子制御安全デバイスも必要になった。排気ガスや低燃費など低環 境負荷対策にもコストはかかる。そういうものを飲み込みつつクルマの製造原価は上がり、同時にそれと釣り合うように賃金が上昇してきたのが欧米だ。しか し、その間日本の賃金だけが20%以上も目減りしていたのだ。
自由主義経済の基本は競争だ。より良い性能のものをより低価格で作る。それ を徹底的に貫いて日本はクルマを作ってきた。隣国に「世界の工場・中国」があったせいもあるだろう。中国に負けないために、日本は必死に労働単価の差を補 正し続けてきたのだ。近年の製造業の日本回帰を見れば、それに成功したとも言える。しかしその成功の結果、賃金は異常に抑制され、マーケットの購買力がな くなった。成功したにもかかわらず、メーカーも消費者も誰も得をしていない。得をするのは海外からの旅行者だけという極めて皮肉に満ちた結果になってい る。
ではどうすべきなのか。日本人はデフレ経済に慣れすぎた。2500円のランチを普通に食い、300万円のクルマをポンと買うようにな れば、物価は急速に先進国水準に戻るだろう。だが、それを消費者に丸投げされても困る。筆者自身もとても2500円のランチは食べられない。牛丼にトッピ ングして500円オーバーになっただけで、ちょっと節約が足りていない気分になる。
では企業が賃金を上げればいいのか。それができればい いが、企業の側にも都合はある。バブル崩壊以降、人件費に圧迫されて窮状に陥った記憶が骨身にしみている。厳しい労働法規のせいで、人件費の弾力性がゼロ なのだ。慎重にならざるを得ない。鶏が先か卵が先かの話そのものだが、企業が賃金を上げないから消費が伸びず、消費が伸びないから賃金が上がらない。
日本の労働者の質は高い。世界に冠たるサービスを安い賃金で提供する状況にすっかり慣れてしまっているのだ。俯瞰(ふかん)的に見れば、製品やサービス、 労働のクオリティを正しく評価し、対価を支払える人が減ったことがその原因であることはほぼ間違いない。では、それを解決するにはどうすべきなのかという 決め手が今のところどこにもないように思える。企業は適正な人件費を払わず、顧客は商品やサービスに適正な対価を支払っていない。教育の問題と言えばそう なのだが、それを誰がどこでやるのか。その先が見えてこないのだ。