コロナで京都のゲストハウス「絶滅」危機――“古都にふさわしくない”宿は駆逐されるのか

大学もオンライン授業になってしまい、もう2カ月ほど、ほとんど妻としか顔を合わせない生活を送っている。そんなとき懐かしい男から久しぶりの連絡があった。10年ほど前になるだろうか。僕がまだ今よりは若い研究者であり、彼もまだ学生であったときによく一緒に遊んでいた男である。

 「あの店、閉店するらしいですよ」

 昔彼らとよく何時間も暇をつぶしていた大学近くの喫茶店が閉店するらしい。白い大きな猫といつも退屈そうに欠伸(あくび)をしている髭のマスターのいる店。この時勢である。悪い予感はあった。恐らくいま全国で、そして全世界で多くの人が受け取っているであろう、なじみの店が廃業するという知らせ。それがついに僕にもやってきたのである。

●未曽有の危機にある京都観光業界

 そして、その知らせを届けに来た男。学生時代には、先輩たちがリクルート・スーツに着替えて就職活動にそわそわし始めるのを横目に、部室の破れたソファでギターを抱えて「俺はギターさえ弾いていられるなら、それでいいんですけどね」などとうそぶいていた男である。数年前に件の店で偶然に再会した際には、たしか京都のゲストハウスでマネジャーのようなことをしていると言っていたが…。

 「そういえば、いま君はゲストハウスで働いてるんだっけ?」

 「いや、あそこは潰れました」

 「あー、やっぱり」

 思わず彼には失礼な返事をしてしまった。しかし、ゲストハウスが閉店したと聞くと、つい「やっぱり」という言葉が口からこぼれ落ちてしまうくらい、いま京都の宿泊業界が未曽有の危機に瀕(ひん)しているのも事実である。

 とくにゲストハウスという「宿」の形に注目して京都からコロナ時代の観光を考える本稿であるが、その前にまず京都の現状を少し整理してみよう。

●「訪日客4000万人」目標にコロナ禍の逆風

 2020年に開催されるはずだった東京オリンピックを翌年に控えた19年、日本の観光産業のGDP寄与額は既にイタリア、フランス、イギリス、ドイツを抜き、米中に続く世界第3位にまで達していた。

 そして同年には日本を訪れる外国人旅行客は3200万人に迫り、政府が掲げてきた「2020年度 訪日外国人旅行者数4000万人」という強気な目標の達成もいよいよ現実味を帯び始めていた。

 しかし、よりによって観光立国・日本の節目となるはずだったその2020年を狙い打つかのように、コロナ禍と呼ばれる災害が世界を襲う。

●訪日客、コロナ前の「1000分の1」の衝撃

 半年前であったなら、誰が今のこの光景を予想できただろうか。日本政府観光局の発表によると20年4月に日本を訪れた外国人客はわずか2900人。これは前年度同月の1000分の1である。つまり、まるで魔法のようにこの国から99.9%の外国人観光客が消えたのだ。

 日本を代表する観光都市・京都においても観光産業の市場は急速に拡大していた。観光消費額は6562 億円(08年)から1兆3082億円(18年)へと膨れ上がり、08年からの10年間で外国人宿泊客数は約5倍も増加していた。

 しかし、京都市観光協会が5月28日に発表した市内主要ホテルの宿泊状況によると、日本人と外国人を合わせた4月の延べ宿泊客数は前年同月比95.7%の減少。近年の京都にとって4月といえば春の桜を目当てにやってくる外国人客で街が埋めつくされ、一年でいちばんの書き入れ時となるハイシーズンである。それにもかかわらず2020年4月、京都の宿泊需要は、ほぼ「消失」した。

●京都ゲストハウス危機、実は「コロナ前」から

 そのような状況だからこそ、久しぶりに連絡をくれた彼から「いや、僕の勤めていたゲストハウスは潰れまして」と聞いたとき、何も疑わず「コロナだ」と思ってしまったのである。だが、よく聞けば彼のゲストハウスの閉店はコロナ禍の直前であり、その理由は家賃の高騰であるという。

 実はコロナ禍で宿泊需要が「消失」する前の19年。京都ではすでに市内のゲストハウスなど簡易宿所の廃業が過去最高のペースで急増していたのである。

 近年、京都の景色を一変させたとされるのが、巨大なインバウンド・ブームがもたらした「お宿バブル」である。11年、旅館業法によって許可されていた京都市内の宿泊施設数は878件であった。しかし、これが20年3月末時点では3993件にまで増加しているのだ。

 特に15年前後からの増加は目覚ましく、街の至るところに次々と新しい宿泊施設が乱立していくとともに地価は高騰。17年、18年の2年連続で、全国の商業地の基準地価上昇率ランキングのトップ10の半数は京都市内の地点が占めることとなった。

●京都の「お宿バブル」崩壊へ

 そして19年にはついに需要に対して供給が過剰となり、値崩れの傾向が見え始める。この傾向はとくに「お宿バブル」で急増したゲストハウスなど簡易宿所と呼ばれる小規模・低価格帯の宿泊施設に顕著であり、京都簡易宿所連盟が行ったアンケートでは、じつに81%の簡易宿所が19年度の売り上げは18年度比でマイナスとなったと回答している。

 地価の高騰による賃料の値上がりと供給過剰のための値崩れ。さらにそこに追い打ちをかけたのが、京都市の条例によって20年4月から完全実施されることになった「駆け付け要件」である。

 これは客の宿泊中は管理者駐在、小規模宿泊施設などでも800m以内の場所に管理者を配置するよう義務付けるものだ。ただでさえ利幅が減っていたところに、さらにこの人件費負担。「これにはとても耐えられない」そう判断した事業者の廃業が相次ぐことになった。

 どうやら彼のゲストハウスの顛末もコロナ禍ではなく「こっち」の事情だった模様である。

 そして、彼は言った。

 「でも、うちはコロナの前に撤退できたので、まだ良かったのかもしれないです」

 「東日本大震災も、18年の台風で関空が封鎖された時も、リピーターのお客様に支えられてなんとか乗り切りましたが、今度ばかりはどうにもなりません」

 賃料の高騰や値崩れ、さらには市の条例による規制強化。すでに始まっていた逆境の中でも事業継続の道を選び、しかし、その矢先にコロナ禍に襲われることになった京都のゲストハウス。彼らがいま直面している「未曽有の危機」について話してくれたのは、京都簡易宿所連盟の副代表であるルバキュエール裕紀氏である。

●大人気ゲストハウスも稼働率5%以下に

 年中行事のように警察が「ガサ入れ」に入ることで有名な京都大学熊野寮のすぐそばにある築110年の町家を改装したゲストハウス、「和楽庵」を営んで14年。例年であれば年間の平均客室稼働率が95%という予約困難な人気の宿である。

 そんな和楽庵に新型コロナの影響が現われ始めたのは2月の初旬くらいとのこと。そして3月に入った段階でその先数カ月の予約が全てキャンセル。緊急事態宣言が明けるまでは、病院の付き添いや国に帰れなくなった外国人など「不要不急でない」客だけを受け入れることにした。そのため、この4月は客室稼働率が5%を下回るほどにまで落ち込むことになったという。

 京都の緊急事態宣言は5月21日に解除され、和楽庵もテレワークのためのプランなど新しい企画で宿泊客の呼び戻しを図っている。しかし、引き続き県境を越えた移動の自粛が呼び掛けられるなど社会全体で第二波の感染拡大を警戒する風潮のなか、「声を大にして、旅行に来てください!とはなかなか言えない」という歯がゆい状況はまだまだ続く見込みであり、5月の客室稼働率も8%程度にとどまるという。

●「大半が休業状態」な京都のゲストハウス

 現在、京都のゲストハウスは「大半が休業しているような状態」であるという。しかし復興への道筋を考える際、今回の危機が感染症によってもたらされたものであるという点が今後、本質的な問題として立ち上がってくることになるだろう。それは、ゲストハウスの特徴である「共有」というスタイルにかかわるものである。

 ホテル、旅館、そして近年に急増した民泊や一棟貸し。さまざまな宿泊施設のタイプがある中でも、ゲストハウスはとくに共有部分が多いことが特徴だ。部屋を共有するドミトリー(相部屋)、共有のトイレやバスなどの水回り、そして客同士が時間を共有してお互いの交流を促すスペースの存在もまたゲストハウスの名物である。

 厚生労働省が発表した「新しい生活様式」が話題を集めたが、これは人間同士の身体的距離をとることで接触を減らすことを主眼としたものであった。京都の花街でも芸妓・舞妓がお茶屋で接客する際のガイドラインを策定するなど、さまざまな業界がこの「新しい生活様式」の指針を踏まえて新しい業務やサービス提供の在り方を模索している。

 観光の在り方、とくに新しい「宿」の在り方を考えた場合、さまざまな種類の宿泊施設の中でも、そのスタイルをもっとも根本から変えることを求められるのは、先述のような共有部分の多さを特徴とするゲストハウスなのではないだろうか。

●「ゲストハウス文化」捉え直す

 このような京都のゲストハウスの窮状を見かねたリピーターやファンたちの声を受けて京都簡易宿所連盟はクラウドファンディング「新型コロナから京都のゲストハウスを守りたい」を立ち上げ、終了までの1カ月間で目標額の200万円を大幅に上回る300万円を集めることに成功する。この企画のコンセプトで特に印象的だったのが「ゲストハウス文化」というキーワードだ。

 京都に暮らすように旅することができる。地域と旅行客をつなぐハブとなることができる。そして、間取りから大きく手を入れて改装してしまう飲食店などと違って、京都に残された町家や古民家を最も「そのまま」使うことのできるテナントとしての意義。

 これらの視点から、ゲストハウスを単なる小規模な宿泊施設であることにとどまらない固有の「宿」文化として捉え直すコンセプトである。言い換えるならば、「ゲストハウスらしさとは何か?」を再提示する試みでもある。

●京都にゲストハウスは「ふさわしくない」のか?

 一方で19年秋、京都市長選を見据えた現職市長から、宿泊施設の政策的選別を示唆するような「お宿お断り宣言」が飛び出したことは記憶に新しい。そもそも京都簡易宿所連盟も、京都市が導入した宿泊税制度について「価格帯の低い宿泊施設の利用者に対する負担が不当に大きすぎる」という問題意識から出発した組織であるという。

 その後に実施される「駆け付け要件」、そして現在の宿泊業への支援策の要件などについても、近年の京都市の一連の施策は一貫した方向性を保持している。それは「お宿バブル」を経(へ)た現在の京都で、「京都の宿」ブランドを立て直そうとするものであり、「どのような宿が京都にふさわしいのか」を示しながら市が率先して宿泊業界の再編に手を入れるものである。

 では、そこではどんな宿が「ふさわしい」と考えられ、どんな宿が「ふさわしくない」と考えられているのだろうか。

 「とくに我々への風当たりの強さはひしひしと感じます」

 これが京都簡易宿所連盟の副代表として市との交渉にあたってきたルバキュエール氏の実感である。コロナ禍にあえぐ京都の観光、そして京都の宿泊業界の復興を考えるとき、その背景には、「京都にふさわしい宿とは何か」という「宿」文化を巡る戦いが進行しているという視点は重要である。

 そして恐らくその主戦場は簡易宿所、とくにゲストハウスを巡る戦線になるのではないだろうか。大きな災害の後に区画整理や都市の再開発が一気に進められたこれまでの事例のように、今回のコロナ禍が、「ふさわしくない」とされたものを一気に駆逐する契機となる可能性もあるからだ。

●「安全なゲストハウス」はゲストハウスなのか?

「初めての一人旅が京都のゲストハウスという人が多いんです。ゲストハウスが京都の最初の思い出になっているんですね」

 ゲストハウスは単なる小さな宿泊施設ではなく、空間や時間、さまざまなものを共有することでそこに集まる人同士の交流を生み出し、極めて個別的な経験でその土地と旅人をつなげる。旅人はゲストハウスで得た出会いを通して、その土地を思い出すときにインスタ映えする観光名所ではなく、少し浮世離れしたスタッフや親切にしてくれた旅人の「●●さんの顔」を思い浮かべるようになる。

 これは他の種類の宿泊施設には代えがたい経験であり、ゲストハウスに特徴的な「宿」文化であり、「ゲストハウスらしさ」ということができるだろう。

 しかし、これからコロナ時代の「新しいゲストハウス様式」を模索する中で、我々は一つのジレンマと向き合わざるを得なくなる。共有というスタイルを廃し、客同士、客とスタッフ、そして客と地域との交流や偶然の出会いという接触を排除したゲストハウスは、確かに安全・安心かもしれないが、果たしてゲストハウスといえるのか?というジレンマである。

 コロナ時代の到来は、我々に、自分たちの生活や文化の何を変え、何を守るのかの決断を迫る。いま世界中の人がそれぞれのジレンマのなかで、自分たちがこれまで何によって生かされていたのかを、絡まった糸を一本ずつより分けていくように確認している。現在進行している「京都にふさわしい宿」を巡る戦いも、そしてゲストハウスが立たされている苦境も、そしてそれを支えようというファンたちも、それぞれ絡まった糸を解きほぐしながら、「らしさ」のありかを模索しているのだ。

 僕も世界中の安宿に思い出を預けてきた一人の旅行ジャンキーとして、この災禍をくぐり抜けて、より「ゲストハウスらしい」姿に磨き上げられた京都の宿に再会できる日を楽しみにしている。

中井治郎(なかい じろう 京都在住の社会学者)

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