組織が危機的な事態に直面した際、トップは、その事態から脱するために、“最善の手”を尽くさなくてはならない。だが数々の選択肢の中から、それを選ぶことは非常に困難だ。
自分が下した次の打ち手が、本当に最善であるのかどうかを知ることができるのは、大抵、その危機的な事態を切り抜けた後か、もしくは本当に取り返しのつかない状況になってしまってからである。一見、最悪に見えた打ち手が、実は後々考えたら“最善の手”だったということも少なくないし、その逆もありうる。そういう点では、何が妙手で、何が悪手かを評価することも難しい。
対応が早かった欧米の組織
新型コロナウイルスの脅威が報じられ、中国の習近平国家主席が、その対策を本格化させたのが1月20日。中国以外の各国は、ここから、自国が危機的な事態を避けるために、何をすべきかを考えることになった。
脅威に対する、国内外の組織のこれまでの対応は、きちんとした“危機管理”と、そのオペレーションが、いかに重要かを改めて深く考えさせられる機会となったはずである。そして、今、各国の“最初のアクション”と、その後の動きをあらためて考えると、その違いが、非常にわかりやすい形で出ているのがわかる。
新型のウイルスという、未知なる脅威を前に、中国や欧米の先進国では「いち早く」「かつわかりやすく」「目に見えるような」対応を行った。例えば自国民の中国への渡航禁止を言い渡したり、疑わしき人に対して検査を義務づけたり、場合によっては、感染者をすぐさま隔離するようなこともしてきている。
欧米では、こういった“身内の安全”をはじめ、いわゆる“危機”に関わることに対するアクションが、本当に素早い。それは、2011年3月の東日本大震災においてもそうだった。それは、多くの外資系企業が、いち早く本社機能を西日本に移したり、(日本に赴任している本社社員を)直ちに帰国させたりといった対応にも表れている。
組織がいわゆる“危機”に直面した際に、日本的な組織と欧米の組織との間で、決定的に動きが異なる部分があるとすれば、欧米の組織は、危機的状況における意思決定の際、まず「“直近に”起こると考えられる最悪のケース」を想定し、対応するという点だろう。
仮に、少しでも、その「“直近に”起こると考えられる最悪のケース」に陥る可能性が存在するようであれば、直ちに、その可能性をゼロにするために全力で対応すべきである、という考えのもとに、リーダーは動く。
つまり、つねに「“直近に”起こると考えられる最悪のケース」から「何を守るか」を明確にし、そこに向かって最短距離で走るための意思決定を行うのが、主に欧米の組織で見られるやり方だ。そして、素早く意思決定をした後に、じっくりと考え「走りながら修正していく」というやり方で、物事を進めていく。
いずれにせよ、まずは「目の前の結果を出す」というところに全力を尽くす形で対応していくのだ。それが「初動の早さ」という形で語られるということにつながってくる。
スタンスをすぐ明らかにするのが欧米式
初動の違いのほかに、もう1点、欧米の組織でよく見られることがある。それは、自分たちの決定やスタンスを(ともすれば「大げさ」と言われかねないくらいに)明確にアピールするという点だ。
例えば、今回の新型コロナウイルスに関連した感染症対策に関する対応について、欧米の組織の場合、初動で決定した欧米への渡航制限、イベント開催の自粛、衛生管理の徹底等のアクションを行うという発表は、決定後、内外の関係者、場合によってはもっと広範囲に対して行っている。
危機的な状況における対応として、「何もやっていない」というのは、組織のリーダーとして最悪の評価となってしまう。そのため、中身はどうであれ、自らが決定したスタンスや対応方法を、何らかの形で明確にアピールすることが求められる。
きちんとアピールをすることさえできれば、少なくとも「何もやっていない」という批判を内外から受けることはない。また、つねにスタンスを明確に見せておくことで、組織としての動きがブレないよう保つこともできる。
一方、日本的な組織の意思決定プロセスは、こういった欧米の組織とは大きく違ってくる。例えば、今回の新型コロナウイルスの脅威への対応などを考えてみても、日本政府をはじめ、多くの組織は、自らの意思決定に際して、時間を掛けて、最適解を導き出すということを重視している。
これは「さまざまな意見を踏まえ」もしくは「関係各所と協議のうえ」というフレーズが、必ずと言っていいほど出てきていたことからもわかるだろう。
日本の組織の意思決定プロセスにおいては、まず組織として下した判断が、間違ったものとならないように、あらゆる可能性を想定しながらじっくりと考え、「できるだけ全員が納得できるような状態で進めていく」ということが求められる。このため、よく「意思決定が遅い」と評され、ネガティブなイメージを与えてしまうことも多い。
単純な図式では説明できない
だが、新型コロナウイルスの脅威が報じられて3カ月弱経った現在、各国の政府や組織が行ってきた“最初の打ち手”に対する結果が、ある程度見えてきた中、各国が“走りながら考える”ことで導き出してきた“打ち手”は、必ずしも機能していたとは言えないものもある。
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「“直近に”起こると考えられる最悪のケース」を避けるために急いで取ったはずの対応は、はたして正解だったのかは、見えていない。むしろ「さまざまな意見を踏まえ」「あらゆる可能性を想定しながらじっくりと考えた」結果導き出した、日本のやり方のほうがいい面もあったのではないかと思うこともある。
組織が危機的な事態に直面した際、トップは、その事態から脱するために、“最善の手”を尽くさなくてはならない。だが、その“最善の手”に至るまでのアプローチは1つではない。
日本の組織と欧米の組織との間で、その“最善の手”を導き出すための意思決定において異なる部分があるとすれば、それは結果につながるまでの(短期、中長期といった)時間軸の違いにある。早いからいい、遅いから悪い、という単純な図式で説明できるものではないのだ。