コロナ禍でも閉店ゼロ「愛知のモーニング喫茶」はやっぱり強かった

新型コロナウイルスの影響で、飲食店は苦境に立たされている。だが、喫茶店が多く立ち並ぶ愛知県一宮市では、一宮モーニング協議会加盟店舗でコロナ禍を理由に閉店した個人店は一つもないという。なぜ愛知の「モーニング文化」はここまで強いのか。現地を訪ねた経済ジャーナリストの高井尚之氏がリポートする――。

個人店ばかりなのに閉店は一つもない

例年なら全国各地で、秋の「お祭り」や大小の「イベント」で盛り上がる季節だが、今年は、コロナ禍で中止に追い込まれた行事も多い。

そんなご時世でも、感染防止対策をしつつ実行する例もある。例えば、愛知県一宮(いちのみや)市(人口約38万人)が行う「テイクアウトモーニンググランプリ2020」や「モースタグランプリ2020」だ。

一宮市は「喫茶店におカネを使う都市」(※)として有名な名古屋市と岐阜市の、ほぼ真ん中に位置する。JR尾張一宮駅から電車に乗れば、名古屋駅にも岐阜駅にも十数分で着く。

前者のイベントは、昨年から始めて今年も継続。地域で名高い「喫茶店のモーニングサービス」を盛り上げる狙いだ。昨年は地元の人気喫茶店が出店し、さまざまな工夫を凝らしたモーニング約850食が販売された。今年は10月から12月にイベントが3回開催される。

後者は、8月1日から始まり12月31日までの予定で、期間中にお客さんがイベント参加店舗に出向いて写真を撮影。撮影した画像を「インスタグラム」で投稿するコンテストだ。最優秀賞には「QUOカード10万円」が贈られる。

一帯のほとんどが個人喫茶店だが、「一宮モーニング協議会」加盟店のうち、コロナの影響で閉店した個人店は一つもない。なぜ、愛知のモーニング文化はここまで強いのか。経営が苦しいはずの喫茶店は、いまどうなっているのか。現地を取材して喫茶文化の現状と今後を探ってみた。

※都道府県庁所在地・政令指定都市別の「1世帯当たりの喫茶代年間支出額」データ(2017~2019年・総務省統計局「家計調査」)では、1位・岐阜県岐阜市1万4522円、2位・愛知県名古屋市1万2768円となっており、この2市が毎回首位を競い合う。

経済団体が総出で喫茶店を応援

「一宮の喫茶店は個人店(個人経営の店)が多く、喫茶店の最盛期を知っている年配経営者と近年開業した経営者が混在しています。市内にある喫茶店の数は、統計数字では520店(平成28年経済センサス)で、当協議会に加盟している会員店は100店弱です」

一宮モーニング協議会の森隆彦会長(森織物合資会社社長)は、こう説明する。昨年のテイクアウトモーニング実施は、コロナ禍の前だった。個人店が多くて店内の座席数が限られるため「外で食べられる飲食」として企画されたそうだ。コロナが原因で閉店した店はない。

「店主の個性も多種多様です。お客さんと積極的に会話する人もいれば、必要な時だけ話す人もいて、それぞれの店の個性に合ったお客さんが集まる。共通するのはビジネスを拡大させるよりも、黒字営業で生活できればいいという店が多いことですね」(森会長)

コロナ禍での客足はどうなのか。

「春の外出自粛期は大変でしたが、今はかなり戻っています。特に定年後世代には『モーニングは毎日の習慣』で、自分は行きたくても子ども世代に止められた、とも聞きました」

実は同協議会の運営は一宮商工会議所で、担当部署は企画事業部。筆者は2012年に当時の豊島半七・協議会会長(現在は商工会議所会頭。繊維商社大手の「豊島」社長)に取材したこともある。つまり地元の経済団体が主導する活動なのだ。

今回は商工会議所・企画事業部の坂川和繁さんの案内で、人気店に連れて行ってもらった。

料理の先生が作る本格モーニング

今回視察したのは「こむぎ君のキッチン」――。私鉄の最寄り駅から徒歩3分、JR尾張一宮駅からも徒歩10分程度の住宅街にある。「コロナ禍で客数の戻りは道半ば」と聞くが、9時から15時までの6時間営業で「1日平均30人、多い日には約50人」と客席が2回転する。

開業したのは2015年11月19日で、間もなく5周年だ。女性店主の伊藤綾歌さんが切り盛りし、料理教室の講師も兼ねる。お料理の先生が、なぜ喫茶店を開いたのか。

「もともと市内の別の店舗で、日替わりで店の運営を担当し飲食を提供する『ワンデー(1day)シェフ』をしていました。その店が閉店となってしまい、『自分の店を持ってシェフを続けたい』思いから、物件を探してこの場所で開業したのです」(伊藤さん)

その腕前を生かした料理を手がける。店は昨年、日本食品衛生協会から表彰も受けた。

朝・昼・夜を喫茶店で過ごす愛用者も

「モーニングは国産の『ゆめちから』という小麦粉で焼き上げた食パンなどが付くもの(ドリンク代のみ)、シフォンケーキやスコーンが付くもの(ドリンク代+100円)、大人気のプリンセスモーニング(同+300円)もあります。地元の野菜や国産食材にこだわり、ランチはソースやドレッシングも手作りし、日替わりで提供します」(同)

他の地域とは生活文化が違い、一宮市のような喫茶店が盛んな地域は、朝食、昼食、夕食の3食すべてを喫茶店で楽しむ愛用者もいる。愛知県は豪華モーニングと並んで喫茶店ランチも人気だ。一般には、800円前後でトンカツやハンバーグなどがメインの幕の内弁当(ごはん大盛り無料)+ドリンク付きという店が多い。

「プリンセスモーニング」は限定7食で、前述のようにドリンク代(ホットコーヒーは391円+税)にプラス300円で提供される。東京都心なら倍の値段がつきそうだが、そこは地域価格か。名古屋のテレビ番組や東海地方の雑誌でも紹介される人気店だ。

なぜ愛知県でモーニングが広がったのか

一般には、モーニングは愛知県発祥と思われている。筆者も以前はそう思い、豊橋市(人口約37万人)を中心とする「東三河モーニング」の推進団体からも歴史について話を聞いた。ところが6年前、広島県の「ルーエぶらじる」(広島市中区)という店が、「モーニングサービスの発祥店」という情報が入り、この店を取材して以来、認識を改めた。

同店の前身は末広食堂といい、終戦直後の1946年に先代の末広武次氏(故人)が広島駅前で始めた。その6年後に現在地に移転、「喫茶ブラジル」として再スタートした。モーニングセット誕生は1955年という。現店主の末広克久さんは「新しいもの好きの先代が『夢の3点セット』として提供し、それが週刊朝日に取り上げられて全国に広まった」と話した。

だが、広島では「点」が「線や面」として広まらなかった。冒頭の調査における広島市(人口約120万人)の「喫茶代支出」金額は31位で5640円。全国平均(7005円)よりも低い。「広島ではモーニングサービスが盛ん」という話も耳にしないのだ。

取材結果では、モーニング文化を地域に根付かせたのが高度経済成長期の「愛知モーニング」で、その代表都市が一宮市、次いで豊橋市となる。県庁所在地の名古屋市は大都会(同約230万人)なので発信力も強い。名古屋文化の影響を受けつつ、秘かに対抗心を燃やす岐阜市(同約40万人)がモーニングでも張り合う――というのが現在の筆者の見解だ。

なぜここまで喫茶店が発展したのか

一宮市のモーニング文化については、森会長の説明を紹介したい。

「ここ一宮は、古くから真清田(ますみだ)神社の門前町として栄え、地名の由来も同神社が『尾張の国の一之宮』からきています。明治以降は毛織物工業の中心地となり、昭和30年代には毛織物や繊維業の最盛期を迎えた。私の先代も戦後に東京・後楽園から移住しました」

よく紹介されるが「ガチャマン」と呼ばれ、ガチャンと機(はた)織りをすると「万」というカネが入ったと言われたのもこの頃だ。

「当時多くの『はたやさん』は、事務所で打ち合わせをしようにも織機の音がやかましく、周囲もホコリっぽい。そこで近くの喫茶店を接客に使い始め、多い時は1日に4回も5回も通う。やがて人の良いマスターが、朝のサービスとして『コーヒーに、ゆで卵とピーナッツをつけたのが始まり』――と言われています。一宮モーニング協議会は、そんな繊維・織物の街に根づく『おもてなしの食文化』を地域活性化の一環に、と始めた活動です。」

「私たちは『一宮モーニング三カ条』も掲げています。①一宮市内の飲食店にて提供②起源にならって卵料理をつける③できるだけ一宮産の食材を使う、を推奨。この地域には浮野(うきの)養鶏場もあり、農作物も数多く栽培されており、こうした取り決めを行いました。

今の若い人には想像できないでしょうが、その昔『卵はぜいたく品』でした。高価な卵は桐の箱に入れて、おがくずを敷いていたほど。そうした歴史も伝えていきます」

コロナでは消えない生活文化がある

コロナ禍でリモートワークが広がり、「外出」や「人に会う」に特別な意味が出てきた。各地で新たな「ジモティー」=地元文化が育つかもしれない。

一宮では、若い世代も文化の担い手だ。例えば市内の修文女子高校の食物調理科の生徒は、毎年「おもてなしモーニング」メニューを考案し、駅前のカフェで提供する。地道な活動だが、歴代の高校生がモーニングのたすきをつなぐ。

もうひとつ興味深いのは「大都市と張り合わない」こと。名古屋市に通勤する人も地元を愛し、実家を出ても市内に自宅を持ったりする。モーニングコンテストのメニューでは張り合うが、名古屋や岐阜モーニングへの対抗心は薄い。

「この地域では、喫茶店は空気のような存在です。誰かと会ったら挨拶の次に『お茶でも行こうか』と連れ出す。喫茶店の少ない時代からお茶文化が根づき、90歳になる私の母は、嫁入り道具に抹茶セット一式を持ってきました」(同)

冒頭で紹介したイベントの「インスタグラム」採用は、ママ友の取り込みもねらったという。「若い世代向けにTikTok(ティックトック)も考えた」という発言は、他の地域団体幹部からは出てこないマーケティング視点だ。もともと豊かな地域が、本気になると強い。

繊維全盛期の工員は3交代制勤務で、夜勤明けは8時だった。昔も今も「朝から元気なまち」なのだ。「コロナで消えるのは本当の生活文化ではない」と感じながら当地を後にした。

———- 高井 尚之(たかい・なおゆき) 経済ジャーナリスト/経営コンサルタント 1962年名古屋市生まれ。日本実業出版社の編集者、花王情報作成部・企画ライターを経て2004年から現職。「現象の裏にある本質を描く」をモットーに、「企業経営」「ビジネス現場とヒト」をテーマにした企画・執筆多数。近著に『20年続く人気カフェづくりの本』(プレジデント社)がある。 ——-

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