■コロナ禍が不動産に及ぼしている影響
コロナ禍がなかなか終息の気配をみせない。それにより、最初に大きな打撃を被ったのが、ホテルや旅館といった宿泊施設だった。とりわけ緊急事態宣言が発せられ、県境を跨ぐ移動を厳しく制限されたことは、「移動」をベースにした宿泊施設に対してはあたかも死刑宣告を受けたようなものだ。
商業施設も宿泊施設と並んで深刻な影響を受けている。大型店舗の多くが営業の自粛を求められ、テナントとの間での賃料減額交渉に頭を悩ますオーナーが多い。特に深刻なのは飲食業で、中小店舗の多くが、賃料の支払いができずに閉店や廃業に追い込まれる事態に発展している。一方でEC(電子商取引)は活発で、人はお店に出かけずに、必要なものをオンライン上で調達することで事を済ますようになった。とりわけこれまでは新鮮度や配送などの問題から、なかなか進まなかったネットスーパーも、混み合う食品売り場を避けて利用され、評価されるようになった。
さらにオフィスではテレワークが推奨されたことから、緊急事態宣言が解除された以降も、引き続きテレワーク体制を維持する企業が多く出始めた。このことは、今後オフィスの減床や解約につながる動きになると予想される。通勤から解放された勤労者の多くが、通勤に使っていた時間がいかに「無駄な時間」であるかを認識し、会社に通勤せずとも、かなり多くの仕事がこなせてしまうということに気付いた点も、今後のオフィスの在り方に対して有効な示唆を与えたと思われる。
さて、こうしたコロナ禍が不動産に及ぼしている影響は、今後の不動産マーケット、とりわけ住宅マーケットにどのような影響を与えることになるのであろうか。
■コロナ後に起きる働き方革命といううねり
コロナ禍は感染症によるもので、人類によって克服されるはずだ。またリーマンショックなどの経済危機ではないために、金融の機能はマヒしていない。戦争やテロではないので施設が破壊されているわけでもなく、政治的に世界中が対立しているわけでもない。したがって、感染症が収まった暁には、経済は元通り、否、V字回復を果たすであろうという説もある。
感染症対策は、今後人類が存続していくためには絶対に必要な条件である。誰しもがそう願い、必ずや克服されるだろう。
だが、覚悟しなければならないのは、マーケットはかなりの確率でコロナ前には戻らないということだ。やがて人々はコロナを忘れ、今まで通りの生活に戻るのかといえば、やや短絡的なのではないだろうか。世の中にはある確実な変化が訪れているからだ。
最大の変化が、人々の生活に対する価値観の変化だ。コロナ禍が限定的な国や地域の感染症であれば、おそらく多くの人々は価値観を変化させることなく、今まで通りの生活に戻るであろう。しかし、今回のコロナ禍は全世界の人々が特定の期間に同じような災厄に遭い、苦難を共にしたところに大きな意味がある。
たとえばテレワークはこれまでも、IT系企業の一部や介護や子育てをしながら働く場合の補完的な手段として採用されてきたが、これを世界中で“お試し”したのが今回だ。こんな社会実験は通常どの国でも地域でもできない。その結果として多くの人がこれまでの働き方についておおいに疑問を持ち、都市部のオフィスに通勤するという経済不合理性を唱え始めるようになった。これは政府が提唱してきた働き方改革などという生易しいものではなく、働き方革命とも呼べる新たなうねりとなって社会を覆い始めている。
今まではとにかく、会社に通勤するために利便性の高いエリアに住もう。勤務地まで40分以内、駅まで徒歩5分などという勝手な基準が設けられ、人々は20年以上の超長期のローンを組んで、一生で稼ぐほとんどの給料債権を金融機関に捧げることで住宅を購入してきた。
ところが、これからは都市への「集中」はいたずらに「密」をつくることになる。そしてコロナ禍が去っても、密になって働くことの不合理性に気付いた人々は、中心部から「分散」して住むようになるだろう。都心への集中化の現象が逆回転を始めるのだ。そうなると果たしてこのまま住宅を持っていることは正解なのだろうか。あるいは投資用で持っている賃貸ワンルームやアパートはどうすればよいのか悩みどころとなる。
■アフターコロナに今すぐ売るべき不動産
マンションは今回のコロナ禍で、「密」の住まいとして、槍玉にあげられた住宅形態だ。一棟の建物に数十戸から、タワマンのように1000戸を超える住宅が「密に」詰まっている。コロナ禍が収まらない中で人気がなくなるのは当然だろう。
だが新型コロナウイルスに対するワクチンが開発され、感染症に対する恐怖から解放されるようになれば、多くの人々は感染症が再び猛威を振るうまではその恐ろしさを忘れ、マンションで暮らすことに不安を覚えなくなるだろう。東日本大震災後、一時は津波を恐れて湘南エリアの不動産を手放す動きがあったが、その後はどんどん人が戻り、今では不動産価格が値上がりするところが増えているのと同様だ。
問題は感染症という一過性のものに対する不安ではなく、むしろ積極的な意味でのライフスタイルの変化に着目すべきだ。会社ファーストという理由だけで選ばれてきた、都心に近いマンションは、コロナ禍が終息した後も、価格は戻るどころか、さらに下がり続けるリスクがある。なぜなら、都心部の会社に通勤することが減り、たとえば月に数回しか通わない生活を前提にすれば、一日の多くの時間を過ごすには、湾岸エリアや工場跡地に建設されたマンションなどは、生活環境という側面から評価できるところが少ないからだ。また最近頻発するゲリラ豪雨や台風などの災害に対する備えを考えても、これらの地域のマンションは、今後人々の選択肢から外れていく公算が大きい。
一方で、たとえば高輪や広尾といったブランドエリアのマンションは高層、低層に関係なく、価格を維持していくものと思われる。ブランドエリアの多くは高台に位置し、古来地震や台風などの災害にも強いエリアである。また常に国内外の投資マネーが流れ込むのもこのエリアの特徴だ。景気の悪化や経済情勢の低迷などで一時的に価格が下がったとしても、人々は常に安全・安心なところに住宅を求めるものであるし、投資マネーもそうした安定性を買うのである。
戸建て住宅はどうであろうか。戸建て住宅はマンションとは異なり、「密」になりにくい。「会社ファースト」の価値観で戸建て住宅を選ぶとすると、都心部の住宅はとても手を出せる水準の価格ではないために敬遠されてきたが、これからは多少の郊外であっても、通勤を前提にしないライフスタイルが多数派となれば、戸建て住宅が、今後値上がりすることも期待される。
だが、気を付けなければならないのは、郊外の戸建て住宅がすべて復活するわけではないことだ。利便施設がない、お年寄りだらけの街、交通手段が限られたニュータウンなど現代の生活環境にマッチしない街の住宅は、今後価格下落どころか、マーケットでの商品性を失うところも出てくるだろう。早いうちに手放すに如くはないだろう。
さらに地方にある親の実家はどうだろうか。いくらテレワークが進んできたところで、全くオフィスに通勤せずにフリーに働ける人はまだまだ少数派だ。親が存命のあいだに実家を売るのは難しいが、相続して管理に困っている場合にはできるだけ早く処分することが得策だ。
ただし、地方でも何らかのキャラクターのある街は今後、コロナ禍によって引き起こされた「集中」から「分散」への流れをとらえるところが出てきそうだ。人々が二拠点居住や、多拠点居住を志向する流れは今後ますます加速されるだろう。分散して居住することにあまり支障がないことに気付いた都会の優秀な人材が集まる街が地方でも生まれてくる可能性はおおいにある。そうした街の不動産は、あわてて売らずに、活用する方策を考えていくべきであろう。
要は目の前にある危機を、ただ恐れて逃げ回るのではなく、その後に控える新しい未来がどう展開していくかをいかに見極めるかである。東京だから○、地方だから×などといったステレオタイプの価値観の持続は、どうやらアフターコロナの時代には通用しなくなりそうだ。そして都内にあっても、いかに楽しく有意義に生活できるか否かによって街間格差が生じる。郊外や地方都市の中で、魅力を高めて生まれ変わるところが出てくるのがこれからの未来だ。住宅もそうした視点で選びたいものだ。
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牧野 知弘(まきの・ともひろ)
オラガ総研社長
1959年生まれ。東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現:みずほ銀行)、ボストンコンサルティンググループを経て、89年三井不動産入社。数多くの不動産買収、開発、証券化業務を手がけたのち、三井不動産ホテルマネジメントに出向し、ホテルリノベーション、経営企画、収益分析、コスト削減、新規開発業務に従事する。2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT(不動産投資信託)市場に上場。09年株式会社オフィス・牧野設立およびオラガHSC株式会社を設立、代表取締役に就任。15年オラガ総研株式会社設立、以降現職。著書に『なぜ、街の不動産屋はつぶれないのか』『空き家問題』『民泊ビジネス』(いずれも祥伝社新書)『老いる東京、甦る地方』(PHPビジネス新書)『こんな街に「家」を買ってはいけない』(角川新書)『2020年マンション大崩壊』『2040年全ビジネスモデル消滅』(ともに文春新書)など。テレビ、新聞などメディア出演多数。
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