スクープを出したのは朝日新聞だった
日産自動車(本社・横浜市)のカルロス・ゴーン会長(64)の逮捕には驚かされた。日産の業績をV字回復させ、「カリスマ経営者」と呼ばれた男の失墜だけに衝撃的だった。
スクープを出したのは朝日新聞だった。逮捕直前の11月19日17時ごろ、朝日新聞デジタルで「日産自動車のゴーン会長を金融商品取引法違反容疑で東京地検特捜部が逮捕へ」と報じた。
驚いたのは沙鴎一歩だけではない。朝日新聞以外のマスコミ各社は寝耳に水だったようだ。朝日が速報を出してから、追っかけるまで1時間ほどかかっていた。さらに翌日の朝刊を読むと、朝日の取材が各社に先んじていたことがよくわかる。
自家用ジェット機で羽田に到着したところを任意同行
「19日夕、カルロス・ゴーン会長の乗ったとみられるビジネスジェット機が羽田空港に着陸すると同時に、東京地検特捜部の捜査は一気に動き出した」
20日付朝日新聞(東京本社発行)第1社会面トップ記事の本文の書き出しである。ビジネスジェット機のカラー写真も付いている。
朝日記事は「ジェット機が降り立ったのは午後4時35分ごろ」「すぐに脇に白いワゴン車が止まったが、ゴーン会長は姿を見せず、代わりにワゴン車から機内に出入りするスーツ姿の男性らの姿が見られた」と続く。
朝日新聞はカルロス・ゴーン会長が海外から19日午後4時から5時の間に日産の自家用ジエット機で羽田空港に到着し、そこで東京地検がゴーン会長を任意同行するとの情報をつかんでいた。
19日付の朝刊やその後の夕刊に「今日にも逮捕」と書かずに、東京地検がゴーン会長に接触したのを待ってデジタル版で速報した。朝刊や夕刊で事前に書かないことを条件に東京地検から情報を得たのだろう。ネットをうまく使った特ダネだった。
どこから情報が漏れてもおかしくなかった
沙鴎一歩の経験から解説すると、殺人事件などの発生ものと違い、汚職事件などの知能犯罪は大型事件になればなるほど、時間をかけて内偵捜査を行う。今回のゴーン会長の逮捕は日産の法務担当役員から内部情報を得た後、数カ月間に渡って水面下での捜査を行い、逮捕まで漕ぎ着けたという。
その間、よく情報が漏れなかったと思う。東京地検だけならいざ知らず、捜査は日産の協力を得て行われた。捜査の中心はお金の流れだ。東京地検は国税庁や東京国税局にも協力を仰いだはずだ。それに羽田空港から任意同行したのだから、空港を管轄する国土交通省にも事前に連絡していただろう。情報はどこから漏れても不思議でなかった。
なぜ、漏れなかったのだろうか。新聞社やテレビ局の記者の取材力が衰えているのかもしれない。経費の節減で「夜討ち・朝駆け」でも専用の取材車を使いにくくなっている社もあるそうだ。記者が本来の取材ができなくなっている。そこが心配である。
「金融商品取引法違反」の刑事罰は引き上げられている
東京地検特捜部は19日夜、日産・仏ルノー・三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン会長と日産のグレッグ・ケリー代表取締役(62)の2人を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕するとともに、日産本社など関係先を家宅捜索して資料を押収した。
午後8時には逮捕を発表したが、今後の捜査の見通しには「回答を控える」とした。
気になるのは逮捕容疑だ。この金融商品取引法は、旧証券取引法や旧金融先物取引法などを1本にまとめたもので、有価証券報告書にうその記載をした場合に刑事罰を科している。10年以下の懲役か、1千万円以下の罰金(法人は7億円以下の罰金)だ。2007年9月の施行前にカネボウやライブドアなどで経営陣主導の粉飾決算が相次いだため、刑事罰が引き上げられ、強化された。
2012年にはこの法律でオリンパスの経営陣が東京地検に逮捕されているものの、会長の不祥事が問題になった東芝の事件では個人の刑事責任の追及までには至らなかった。
そもそも知能犯罪の捜査では、旧証券取引法を根拠にして有価証券報告書に虚偽の記載を見つけ出す捜査というのは、本丸に入るための手段に過ぎなかった。立件しやすいところを突破口にしてその先で贈収賄や背任、あるいは脱税の容疑での立件を目指す。これが捜査の常套だった。それがいまや、突破口が本筋になっているのだから捜査も大きく変わったものである。
高級住宅の提供を無償で受けていた疑いも
今後ゴーン会長が背任容疑や脱税容疑で再逮捕されて起訴される可能性もある。日産はゴーン会長を会社に損害を与えてという特別背任容疑や業務上横領の罪で告訴する考えを示しているし、所得税法違反という脱税の疑いも濃厚だ。
ゴーン会長が逮捕された19日午後10時から記者会見をした日産の西川広人社長は「社内の調査で私的目的での会社の資金の流用や経費の不正な使用が判明した」と述べている。ブラジルのリオデジャネイロやレバノンのベイルートで日産の海外子会社が持つ高級住宅の提供を無償で受けていた疑いも出ている。ブラジルはゴーン会長の生まれ故郷で、レバノンは幼少のころに渡った国だ。
高級住宅の提供を不正に受けていたとすれば、特別背任や業務上横領の容疑も成立するし、税務申告されていなければ所得税法違反にも問われる。
「司法取引」に応じた日産幹部の責任はどうなるのか
有価証券報告書の虚偽記載については前述したが、東京地検の捜査で気になることがもうひとつある。それは捜査に協力する見返りに刑事処分を軽くする司法取引制度の適用だ。
司法取引は今年5月に成立した刑事司法改革関連法に盛り込まれた制度で、翌6月から運用が始まった。末端の実行行為者らの協力によって組織上層部の犯罪を裁くのが大きな狙いだ。
今回のゴーン会長の捜査が2度目の制度適用で、前回の「三菱日立パワーシステムズ」(MHPS)と司法取引した捜査は結果的に同社が法人としての起訴を逃れ、評価は芳しくなかった。ゴーン会長の捜査ではトップの逮捕が実現し、検察は「国民の理解が得られるはず」と期待している。
東京地検特捜部は捜査の段階で有価証券取引書の虚偽記載に関与した役員らと司法取引で合意し、情報を得る見返りに執行役員らの刑事処分を軽くする。
しかし制度スタート前から指摘された問題が解決されたわけではない。自分が助かりたいためにうそをつく協力者も出てくるだろうし、制度に頼ってばかりでは肝心の検事の捜査能力が弱る危険性もある。虚偽記載に関与しながら、その罪を逃れるのから釈然としないところがある。
それゆえ捜査当局は十分な配慮のもとで制度を運用し、捜査の結果を私たち国民に説明してほしい。
虚偽記載は「高額報酬への批判」をかわすためだったのか
それにしてもゴーン会長はなぜ、5年間で約100億円という役員報酬を半分の約50億円と偽ったのだろうか。
ゴーン会長の役員報酬は、日本の上場企業の中でもトップクラスだ。最近では社長兼最高経営者(CEO)を退いたものの、新たに三菱自動車の役員報酬やフランスのルノーからの報酬も加わった。こうした高額な報酬に対し、株主らから「高すぎる」との批判の声が度々上がっていた。だが、うその記載はこうした批判をかわすためだったのだろうか。
日産をV字回復させるために5つの工場を次々と閉鎖し、2万人もの社員の首を切った。その成果が認められ、「カリスマ経営者」と呼ばれるまでになった。
そんなゴーン会長は100億円という超大金をどう使ったのか。庶民感覚からすると、想像を絶する“カネの亡者”としか言いようがない。
自分が首にした社員のことを考えたことはあるのだろうか。今回のゴーン会長の逮捕を知って、怒りを爆発させている人もいるだろう。
世界2位のグループだが、虚構の構図に見えてくる
ここでゴーン会長の生い立ちと経歴を見てみよう。
ブラジルで生まれてレバノンで育った。母親の強い勧めでフランスに留学した後、1978年にタイヤメーカーのミシュランに入社した。そこで頭角を現し、96年にルノーに引き抜かれた。
99年に日産に派遣され、翌2000年に社長に就き、さらに01年に最高経営者(CEO)となった。「日産リバイバルプラン」を掲げて工場の閉鎖と人員削減などを断行。その結果、日産はV字回復した。16年には三菱自動車との提携を実現させ、三菱自動車の会長にも就任した。
よくここまで出世したものである。並々ならぬ努力があったのだろう。だが“成り上がり者”ともいえる。
その経営手法は目先の数字を追いかけ、徹底したリストラなど経営の合理化を進めるものだった。ゴーン会長が特に力を入れた日産・三菱自動車・ルノーの3社連合にしても、昨年の新車販売台数がドイツのフォルクスワーゲンに次ぐ世界第2位と世界有数の自動車クループではあるものの、虚構の構図に見えてくる。
19日夜に記者会見した西川社長は「長年のゴーン統治の負の側面といわざるをえない」「ゴーンは、ルノー会長兼CEO、三菱自動車の会長でもある。ひとりの個人に権限が集中しすぎた」と話していた。
権限の背後にはフランスの政府がいる。フランス政府が筆頭株主としてルノーの15%の株を持ち、そのルノーが日産の株の43.4%を持つ。日本とフランスの外交問題にもなってくるだろう。
「富裕層に闇があるならメスを入れるべきだ」
新聞各紙の社説はゴーン会長の逮捕をどう書いているのか。11月20日付の社説に書いている全国紙はなく、書いているのはブロック紙の東京新聞(中日新聞東京本社発行)だけだった。
社説を書く時間がなかったのだろう。それだけ「ゴーン逮捕」は各社にとって寝耳に水だった。しかし東京新聞は時間が限られていても、「ゴーン逮捕」を社説で取り上げようと動いた。なぜだったのか。
東京社説はリードで「格差拡大の中、富裕層に闇があるならメスを入れるべきだ」と書く。こうした視点は格差問題を大きく報じてきた東京新聞らしい。
ゴーン会長は巨額の資金をどう使っていたのか
中盤で東京社説は指摘する。
「経営危機の際、日産は取引先を含め塗炭の苦しみを味わった。ライバルのトヨタ自動車に大差をつけられ辛酸をなめた。それを助けたのがゴーン容疑者だ。彼は社内では可能な限り日本語を使い、『信じてください』と呼び掛けた。社員は意気に感じただろう」
「その人物が裏切っていたとしたら、共に立て直しに頑張った社員や関連会社の人たちはどう思うのだろう」
読者の感情に訴えるうまい書き方である。東京社説は最後にこうまとめ、筆を置く。
「富裕層はどこまで貪欲なのか。これが一般の人々の正直な感想だろう。人生で、ゴーン容疑者が得ていたような年十億円以上もの所得は必要なのか。格差の著しい拡大は人々の心を傷つけ、働く意欲をそぐ。今回の事態を、不条理な経済格差是正の突破口としたい」
ゴーン会長は巨額の資金をどう使っていたのか。東京社説が指摘するように、それは「富裕層の闇」だろう。東京地検の捜査によって解明されることを期待したい。
日産の経営陣は「被害者」ではなく「事件の当事者」
21日付で全国紙は一斉に社説を書いてきたが、東京新聞も「日産の企業統治 権力集中だけが原因か」との見出しを掲げ、こう主張している。
「(ゴーン会長がうその記述をした有価証券報告書は)極めて重要な文書であり、監査法人か公認会計士の監査証明も必要だ。監査役を含む役員らは毎年、その内容を詳しく読んでいるはずで、容疑が事実ならうその記載を長年見過ごしてきたことになる」
「その意味で、逮捕された二人の容疑者以外の日産の経営陣は、独裁型トップの被害者などではなく、事件の当事者といえるはずだ」
ゴーン会長の下にいた役員らは、会社を私物化するトップの不正を黙認していたことになる。社内のチェック機能はどうなっていたのか。ゴーン会長の不正を見逃してきた幹部らの責任は重い。司法取引によって刑事責任を免れたとしても、社会的責任はなくならない。
東京社説はこうも指摘する。
「西川社長は『株主や関係者にご心配をかけ、深くおわび申し上げます』と謝罪した」
「しかし、日産を支えてきた消費者に謝罪の気持ちをもっと伝えるべきではないか。日産やルノーの株価が急落する中、株主への配慮ばかり気にしている印象である」
企業はだれのものか。改めて考えさせられる。
(写真=時事通信フォト)