サラリーマンの給料がなかなか上がらない、納得の理由

「これだけお得なんだから、とにかく賃上げしましょう! このチャンスを逃したらもったいない! ウダウダ悩む前にまず賃上げ! きっといいことありますから、ね、お願いします!」

 そんな必死の懇願が聞こえてきそうなほど、岸田政権が賃上げ企業への優遇政策に力を入れている。これまで従業員の給与総額や教育訓練費を増やした企業には法人税を減税するという方針を発表していたが、そこに加えて、政府が実施する物品調達や公共工事でも、賃上げを約束した企業が落札しやすくするような制度ができると『産経新聞』が報じたのだ。

 「賃上げをすればするほどキャッシュバックがあってお得ですよ」と露骨にニンジンをぶら下げるノリは、テレビCMなどでよく見かける「ポイント還元セール」のようだ。

政府の賃上げ政策では大企業と中小零細の格差が広がるだけじゃん」なんてシラけている人がかなりいるのだ。

 これは筆者もまったく同感だ。日本の賃金が絶望的に安いのは、企業の99.7%を占める中小・小規模事業者の賃金が絶望的に安いからだ。このあたりの規模の事業者の賃上げを促さないことには、消費も活性化しないので日本経済も成長しない。当然、サラリーマンの給料もなかなか上がらないのだ。

 そんな岸田政権肝入りの「分配政策」にも冷ややかな反応が多い。「大企業は賃上げをしても、そのぶん減った利益を下請けへの発注額を下げることでまかなえる。結局にもかかわらず、これまでの岸田政権の「賃上げ政策」は、どう見てもわずか0.3%の大企業をターゲットにしている。例えば、「賃上げ企業は法人減税」などはその典型だ。

 筆者のコラム『賃金は本当に上がるのか? 安いニッポンから抜け出せない、これだけの理由』でも詳しく述べたが、日本の赤字法人率は65.4%で、そのほとんどは中小企業。つまり、賃金が安い企業の多くはそもそも法人税を払っていないので、「賃上げで法人減税」なんて言われてもまったく別の世界の話なのである。

 日本は30年間、こういうピントのズレた賃上げ政策を延々と続けてきた。なぜ日本ではサラリーマンの給料がなかなか上がらないのか、というようなことが盛んに言われるが、やってきた政策を冷静に振り返れば、なるべくしてなったという納得の結果なのだ。

日本経済の「病」

 では、一体どうすれば、企業の99.7%を占める中小企業・小規模事業者を賃上げに促すことができるのか。

 個人的には、中小企業や小規模事業者(製造業などは従業員20人以下、商業・サービス業は従業員5人以下)の売却・買収という、いわゆる「スモールM&A」を国策として強力に支援していく一方で、「最低賃金引き上げ」という両輪を進めていくべきだと考えている。平均給与の推移(出典:厚生労働省)

 という話になると脊髄反射で、「コロナ禍で最低賃金引き上げとは、貴様は中小企業に死ねというのか!」と怒り狂う人がいるが、そうやって中小企業経営者を甘やかしてきた結果が、韓国にまで抜かれた低賃金国家をつくってしまったという側面もある。

 また、「企業というのは業績が良くなれば自然と賃上げをする、そんなことをしなくても政府が補助金などで中小零細企業の成長を支えればいいのだ」という主張もよく聞くが、1963年にできた中小企業法に基づいて何十年も、中小企業・小規模事業者を補助金漬けにしてきた結果が、「いつまでも現状維持で成長できない」という日本経済の「病」をつくってきた、「不都合な真実」を直視すべきだ。

 2020年6月にまとめられた、経済産業研究所(RIETI)の『ものづくり補助金の効果分析:回帰不連続デザインを用いた分析」という報告書がある。

 ものづくり補助金は、中小企業が試作品の開発や新サービスの導入、設備投資の費用に充てる補助金で、生産性の向上につながる事業を公募して選ぶ。12~20年度でこれまで計7000億円あまりを支出してきた。いわば、日本の中小企業支援を代表する政策だ。

95%が「現状維持」

 その補助金を受け取った中小企業と、受け取っていない中小企業の生産性が3年間でどう変わったかを、RIETIが調べたところ、驚きの結果が出た。

 『統計的に有意な差でないものの、補助金を受けた事業のほうがむしろ年平均の伸び率が5ポイント以上低かった。少なくともプラスの効果はみられなかった』(日本経済新聞 20年11月13日)

 なぜこんな皮肉なことが起きるのかというと、これは“バラマキ型補助金”であることが関係している。この補助金は、生産性向上を目指す計画がしっかりとしていると評価されれば受け取れるのだが、「補助金を受け取ったあとで計画を達成できなくても返還する必要はない。実際に未達に終わる企業も少なくない」(同上)という、かなり雑な支援策だ。中小企業の数は99.7%(出典:中小企業基盤整備機構)

 ただ、これまでの中小企業・小規模事業者支援も目くそ鼻くそである。ということは、これまで政府がさまざまな名称でバラまかれてきた補助金も、中小企業を成長させるどころか、自助努力の芽をつんで成長の足を引っ張ってきた恐れもあるのだ。

 この仮説を裏付けるようなデータもある。中小企業庁の『小規模企業白書2019』の「存続企業の規模間移動の状況(2012年~2016年)」である。

 これは16年時点で廃業せずに存続している事業者、295万社が、4年前の12年からどれほど、従業員を増やすなどして企業規模を拡大させてきたのかを調べたものなのだが、規模拡大に成功したのはなんと7.3万社のみで、95%(281.3万社)が「規模変化なし」だったのだ。

 4年経過しても従業員を増やせていないということは、この4年間、成長することができず企業規模を拡大させることができなかったということだ。「それは政府がもっと補助金を出さないからだ!」と怒る中小企業経営者も多いが、金銭的なサポートということでいえば、中小企業向けの資金繰り支援の貸出が進んでいる。『中小企業白書2021』の中小企業向け貸出金残高の推移を見れば、08年から12年までは300兆円にも届かない水準でほぼ横ばいに推移しているが、安倍政権になった13年から途端に右肩上りで16年には320兆円まで増えている。

厳しい日本の現実

 資金繰りの支援は手厚くなっているのに、ほとんどの中小企業・小規模事業者の規模は変わっていない。ということは、国から中小企業・小規模事業者にバラまかれている多額の補助金も同じ結果を招いている可能性が高い。つまり、「成長」を促しているのではなく、生き残るための新しいチャレンジやリストラなどの改革への意欲を削ぎ、「まあ、これだけあれば、なんとか生きていけるか」と安易な「現状維持」へ向かわせている恐れがあるのだ。(出所:ゲッティイメージズ)

 もちろん、中小企業は419万社もあるので、全てがそうだなどと言うつもりは毛頭ない。ワンルームマンションで社員3人から始めたベンチャーが、今や社員300人を抱えるまで成長をしたなんてサクセスストーリーもあるように、順調に規模を拡大した小規模事業者だっているはずだ。そして、苦しいときは国からの補助金で助けられたということもあるかもしれない。

 ただ、データを見る限り、そういう会社は少数派で、ほとんどの中小企業・小規模事業者は補助金を受け取り、国や自治体の支援を受けながら結局、「現状維持」に落ち着いている。

 こういう厳しい日本の現実がある中で、賃金を上げていくには、中小企業・小規模事業者を「賃金を上げざるを得ない」という環境をつくっていくしかない。経営者の自発的な賃上げを待っていたら、あと30年経っても賃上げはできない。

成長できていない会社

 では、具体的にどうするのかというと、先ほど申し上げた「スモールM&A」を国策として強力に支援していく一方で、「最低賃金引き上げ」という両輪を進める方法だ。

 補助金をこれだけバラまいても成長できないというのなら、あと残る道は「小さい者同士が集まって強くなる」ということしかない。M&Aによって、中小企業・小規模事業者の成長を促して、規模を大きくして、賃金を上げていくのである。年代別に見た平均年収(出典:doda)

 これは菅義偉前首相が官房長官時代から掲げた「中小企業改革」の一つとして以前から進められていた施策で、着々と結果が出ている。『2021年版 中小企業白書・小規模事業白書概要』(令和3年4月 中小企業庁)に、現状が簡潔にまとめられているので引用しよう。

 『事業承継の1つであるM&Aに対するイメージは向上し、件数は増加。売買双方が事業規模拡大を主な目的としている一方、売り手側は雇用維持を目的としている割合が最も高い』

 『M&A実施後は多くのケースにおいて譲渡企業の従業員の雇用は維持されており、M&Aは売り手側にもメリットがある』

 事業規模拡大もできて、雇用も維持できる。スモールM&Aは、中小企業・小規模事業者にとってまさしく理想的な成長をすることができるのだ。しかし、件数は増加をしているとはいえ、まだまだ日本の賃金を上げていけるほど、スモールM&Aの数は爆発的に増えていない。そこで、この動きをさらに加速させるために「最低賃金の引き上げ」が必要なのだ。

 最低賃金を着々と引き上げていけば、従業員に対して常軌を逸した低賃金しか払うことしかできない、経営センスのない中小企業・小規模事業の社長は、市場から退場を余儀なくされる。つまり、会社を畳むか、成長できる同業者などに事業を譲渡・売却するしかない。

賃金を上げるには

 これは社長とその家族からすれば、不幸なこと極まりないが、そこで働く従業員と日本経済にとってはハッピーだ。先ほど紹介したように、中小企業のM&Aでは「譲渡企業の従業員の雇用は維持」される。経営センスのない社長の下で、低賃金でコキ使われているよりも、M&Aされたほうが間違いなく賃金は上がる。

 従業員とその家族は生活に余裕が生まれるので、消費も活性化される。内需に依存した日本経済にも活気が戻っていく。つまり、スモールM&A促進と最低賃金の引き上げは、低賃金しか払えない経営者にとっては、「社長」という立場を奪う悪魔の政策だが、労働者と社会全体からすれば理にかなった賃上げ政策なのだ。(出所:ゲッティイメージズ)

 中小企業や小規模事業者のM&Aというと、これまで日本では「祖父の代から続いた事業が途絶えた」とか「譲渡後にベテラン社員がクビを切られた」とか、とかく悪いイメージが定着していた。

 日本の賃金を上げるためには、まずはこれを変えていくしかない。企業の99.7%を占める中小企業の賃金が上がらないことには、日本のサラリーマンの給料を上げるなど夢物語なのではないか。

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