一時は絶滅したと思われ、日本への飛来も途絶えていたシジュウカラガンの生態を回復させる計画が、一つの区切りを迎えた。繁殖地・千島列島のエカルマ島(ロシア)で1995年から続けてきた放鳥が、今年9月で最後となった。今後はシジュウカラガンが自力で子孫を増やし、越冬地の北日本へ渡ることを見守っていく。昔のようにシジュウカラガンの群れが冬空を舞う日に向け、関係者の努力は続く。(小野晋史)
■米国では3万羽に
ほおの白い模様が小鳥の「シジュウカラ」に似ているとされるシジュウカラガン。かつては多くの群れが北海道や東北地方などで越冬し、江戸時代後期に仙台藩出身の鳥類学者が書いた文献には「ガンを捕ると10羽のうち7、8羽はシジュウカラガンだった」と記されている。
しかし、20世紀初頭に毛皮ブームが到来。繁殖地の千島列島や米国のアリューシャン列島で天敵のキツネが放し飼いにされ、20世紀半ばには絶滅したと思われていた。
1960年代にアリューシャン列島で生き残っていた群れが確認され、保護活動が本格化。繁殖や渡りの回復が図られ、同列島と米国西海岸を往復する群れは99年に3万羽を超えるまで増加した。
■冷戦終結が転機
日本でも、80年に仙台市八木山動物公園(宮城県)や「日本雁を保護する会」が米国と共同で、渡りの回復に向けた活動に着手。米国から提供されたシジュウカラガンを八木山動物公園で繁殖させ、85年冬から、かつての越冬地・伊豆沼でマガンの群れの中に放鳥した。マガンと一緒に北へ向かうことを期待したが、91年までに放鳥した延べ37羽のうち、11羽は留鳥化。さらに24羽は行方不明となり、千島列島への渡りは確認できなかった。
八木山動物公園の阿部敏計主幹は「ガンは初めて飛ぶことを覚えた場所を繁殖地と認識し、渡りは経験で覚える。越冬地は居心地が良く、そこで放鳥するととどまってしまう」と話す。
転機が訪れたのは冷戦終結後。ロシア(旧ソ連)との関係が改善すると、繁殖地にあたる千島列島からの放鳥に向け動き出した。
ロシア・カムチャツカ半島南部にロシア科学アカデミーの繁殖施設が完成。94年から日露共同で回復計画が始まり、八木山動物公園からシジュウカラガンが提供された。
既に米国から提供されていた個体ともあわせ、翌年以降、同列島北部に位置するエカルマ島で放鳥を実施。同島は東西約7キロ、南北約4キロの火山島で餌に富み、キツネなどの天敵もいない“鳥の楽園”だ。
97年、エカルマ島で放鳥したシジュウカラガンが日本に飛来し、初めて越冬が確認された。越冬数は次第に増え、2005年以降は毎年10羽以上の放鳥個体が見つかっている。野生の個体を含めた昨冬の越冬個体総数は89羽。放鳥後に生まれた子供なども含まれると考えられている。
■安定数は千羽
エカルマ島での放鳥はほぼ毎年行われ、今年9月、過去最多の86羽が飛び立って15年の歴史を終えた。当初の目的だった「100羽程度の群れによる日露間の往復」をほぼ達成したというのが主な理由だが、資金難も一因だ。
群れを維持するには千羽は必要とされ、今後は自然繁殖による自力回復を待つことになる。回復状況によっては、放鳥再開もありうるという。
今年は11月上旬までに伊豆沼などで約70羽の飛来を確認。さらに増える見通しだ。阿部さんは「(最初の計画から)20年以上がたってもまだ100羽に満たない。一度失われた自然を取り戻すことの大変さを感じています」と話した。