ジャニーズ事務所の創業者である故・ジャニー喜多川氏の性加害について、元所属タレントらによる証言が相次いでいる。名桜大学の大峰光博教授は「『タレントに罪とか問題があるわけではない』という声には賛同できない。性加害疑惑を知りながら、問題から目を背けてきた所属タレントにも連帯責任はある」という――。
■「ジャニーズのタレントは後輩の性被害を黙認した」
ジャニーズ事務所のジャニー喜多川前社長(2019年死去)による性加害問題が耳目を集めている。世間では、藤島ジュリー景子現社長ら経営陣や、性加害問題を黙殺してきた日本のマスコミへ責任を問う声が上がっているが、筆者がここで主張したいのは「連帯責任が問われる所属タレントもいるのではないか」という点である。
実業家の堀江貴文氏は、自身のYouTubeチャンネルで、告発を行った元ジャニーズJr.で歌手のカウアン・オカモト氏の内容が正しいとすれば、ジャニーズのタレントたちが「後輩たちへの性被害を黙認した。自分たちも被害者かもしれないが、売れるためにはこの儀式を済ませなければならないという感じで、後輩たちが性被害を受けるのを見殺しにしたと考えられる。そういった人たちは欧米の基準に照らすとメディアには二度と出られない」と述べた。
堀江氏はアメリカの実業家であったジェフリー・エプスタイン氏による児童虐待事件を挙げ、エプスタイン氏と仕事で関わっていた関係者が厳罰に処された事例を解説した。
■アメリカでは関係者も罪を問われる
ニューヨーク州弁護士の大橋弘昌氏は、ペンシルベニア州立大学アメリカンフットボール部のアシスタントコーチだったジェリー・サンダスキー氏による、少年に対する性的虐待事件について解説している(※)。
10人以上の少年に対して性的虐待を行ったサンダスキー氏は、2012年に最短30年、最長60年の懲役という判決を受け、現在も服役している。大学の学長、副学長、元アスレチックディレクターは、サンダスキー氏の行為を知っていたにもかかわらず隠そうとし、警察への通報を意図的に行わなかったとされ、偽証、司法妨害、子供虐待の疑いの報告義務違反の罪などで起訴された。
裁判の結果、それぞれ有罪判決を受け、刑務所に服役した。サンダスキー氏の周辺にいた人たちに対して、裁判所の判断は社会的地位を忖度(そんたく)しない厳しいものであったと大橋氏は述べている。
※JBpress「ジャニーズ性加害問題が米国だったらジャニーズとジャニー喜多川はどうなる?」
アメリカにおいて児童虐待事件が生じた際には、犯行に及んだ者だけでなく、関係者が厳罰に処される。筆者はこれまで、運動部活動の部員が起こした不祥事(喫煙、たばこ、窃盗、部内・部外暴力)に対して、当該部活動の部員達はいかなる責任を負うかについて研究をすすめてきた。連帯責任論の観点から、ジャニーズ事務所の関係者の責任について考察してみたい。
■連帯責任が問われる3つの条件
連帯責任に関する研究の中で示唆に富んでいるのは、政治哲学領域におけるJuha RäikkäやDavid Millerによるものである。「なぜ学校の部活だけが『連帯責任』を問われるのか…同志社大アメフト部が果たすべき『本当の責任』を問う」でも紹介したが、集団において連帯責任が問われるのは、以下の3つのいずれもの条件が満たされているにもかかわらず、当該行為に対して反対の行動をとらない場合である。
①深刻なリスクなしに、反対する機会を持っている。
②容易に入手できる知識によって、反対する機会を持っている。
③反対することが完全に無益なものでなく、何らかの貢献ができる見込みがある。
ジャニーズ事務所の関係者は「②容易に入手できる知識によって、反対する機会を持っていた」と言える。なぜなら、成人が未成年に対して性的行為を行うことは許容されず、かつ、同意のない未成年に対する性的行為の強要が、許容されない卑劣な行為であることは容易に知り得るためである。
また、ジャニーズ事務所の関係者は「③反対することが完全に無益ではなく、何らかの貢献ができる見込みがあった」と言える。確かに、マスコミが情報の隠蔽(いんぺい)や操作に加担することを予想し、反対することが無益であると考える可能性もありえる。
しかしながら、判断能力のある成人があらゆる手段を講じて反対の意思を示すことは、なんら無益ではない。ジャニーズ事務所やマスコミに対して絶大な権力者であったジャニー喜多川氏に反対の意思を示すことは、性加害を完全になくすことはできないとしても、抑止することで何らかの貢献ができた可能性はある。
問題は①の「深刻なリスク」を所属タレントを含む事務所関係者が持っていたかどうかだ。
■告発はできなくとも「不必要な称賛」は必要なかったはず
ここで強調しておきたいのは「反対の行動に出る」というのは、必ずしも内部告発のようなものに限らないということだ。
内部告発は、時に告発者に深刻なリスクを与える。権力者であった喜多川氏に直接的に歯向かうことは、ジャニーズ事務所から排除されて芸能界から追放されるだけでなく、身に危険が及ぶ可能性もあったかもしれない。喜多川氏による性加害を告発することが、仮に命の危険にさらされるほどの重大なリスクを伴ったとすれば、反対の行動を起こすことができなかったとしても、連帯責任を問うことは酷である。
しかし、内部告発以外にも弱い「反対の行動」は存在する。その一つが、「不用意に加害者に賛同しないこと」だ。今回の事例に当てはめれば、芸能界追放のリスクを考えて喜多川氏の悪行を訴えることまではできなくとも、テレビ等で喜多川氏の人格を称賛する発言を行わないという選択である。
だが、実際はどうか。筆者はこれまで、同事務所に所属する売れっ子のタレントたちが喜多川氏の人格を称賛し、喜多川氏との思い出を楽しそうにテレビで語る姿を、長年にわたって見聞きしてきた。ネットをたたけば、喜多川氏を「お父さんのような人」「優しい」「感謝している」などと称賛するタレントの声はいくらでも見つかる。
これらが喜多川氏による性加害の実態を知った上での発言であったならば、タレントたちに対し責任が全くないと言えるのだろうか。
■2004年には喜多川氏の性加害が認定されている
筆者はこれまで、運動部活動における部員が不祥事を起こした際に問われる連帯責任について、上述の3条件を参考に論じてきた。部員が突発的に起こした飲酒や喫煙、さらには一般人に対する犯罪行為に対して、大会への部の出場停止や活動の自粛など、連帯責任が課されるケースは枚挙にいとまがない。
筆者は、突発的に生じた部員による不祥事に対しては、たとえ性加害のような凶悪犯罪であっても、関与していない部員に連帯責任を問うことは問題があるとする立場である。なぜなら、部員は当該行為に反対していたとしても、個人的な行動を阻止することは現実的に極めて困難であるためである。
一方で、飲酒や喫煙だけでなく、犯罪を促進させるような風潮が部員間に存在した場合には、連帯責任が課されるべきとする立場である。
喜多川氏の性加害問題についてはどうか。この事件の全容は解明されていないが、突発的に生じたものではないことは明らかである。
ジャニーズ事務所に所属していたタレントらは、たびたび喜多川氏による性加害の事実を告発してきた。1999~2004年には、『週刊文春』の記事を巡ってジャニーズ事務所が訴訟を起こしたが、東京高裁により喜多川氏による性加害の真実性が認定され、一部敗訴している。
喜多川氏による性加害が長年見過ごされてきたことにより、被害者の数は1000人を超える可能性も出ている。被害者は被害を受けたことに対する責任は全くないが、被害者であったとしても、犯罪行為に加担、もしくは犯罪行為を助長していた場合には責任を伴う。また、自身の地位や立場を失いたくないために犯罪行為を黙認した者も、責任を逃れることはできない。
■喜多川氏を美化し続けたタレントも加担したと言える
仮に筆者が、性加害を長年にわたって続けている教員の主宰する研究室への進学を志望する学生から相談を受け、性加害の実態を知りながら当該教員の人格を称賛し、研究室への進学を勧めたとすれば、大きな責任問題となる。筆者がその教員から多くの便益を受けていれば、さらに厳しい責任が問われるであろう。
これらを踏まえると、喜多川氏による性加害の実態を知っていながら喜多川氏の人格を称賛し、その人物像を美化していたとすれば、たとえ被害者であったとしても、連帯責任がないとは言えまい。そのような言動によって喜多川氏からの寵愛(ちょうあい)を受け、芸能界における有形無形のバックアップを得ていたとすればなおさらである。
テレビを通して喜多川氏を美化していくことは、性加害を受けて心に傷を負い、ジャニーズ事務所を退所した人たちに対する暴力性も孕んでいる。メディアを通して「ジャニーズ事務所は良い事務所」という誤った認識を広め、それをうのみにして芸能界デビューを目指す少年たちが毒牙にかかるようなことがあったとすれば、タレントたちも性加害の被害者を増やす行為に加担したと取られても仕方ない。
オカモト氏は、「性加害の実態を知っていればジャニーズ事務所に入らなかった」と述懐している。
もちろん、喜多川氏の人格をテレビで称賛しないという選択を取ることで、命に危険が及ぶような深刻なリスクを生む構造があったとすれば話は異なってくる。
写真=iStock.com/Ivan-balvan
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/Ivan-balvan
■タレントは性加害の事実を知っていたのか
ジャニーズ事務所の社長を筆頭に、経営陣に最も罪と責任があることは疑いようがない一方で、上記の点から「タレントに罪とか問題があるわけではない」というテレビ東京の石川一郎社長の主張に、賛同することはできない。
もちろん、すべての所属タレントに責任があるわけではない。特に、十分な判断能力がない未成年のタレントの責任は問えないだろう。これまでの個々人の言動や立場によって責任の重さが異なってくるのは当然であり、十把ひとからげに「責任はある、ない」と断定するのは無理がある。
喜多川氏による性加害の全容を解明する上で障害となるのは、当人が既に鬼籍に入っている点や、被害に遭ったと思われる人たちに調査をすることで過去の傷を抉(えぐ)る結果になる点である。一方で、誰が被害に遭ったかを特定する調査は行わなくとも、喜多川氏による性加害の事実をタレントや事務所関係者ら個々人が知っていたかを調査することは可能である。
犯罪行為に加担した人たちや喜多川氏の人格を称賛した売れっ子のタレントらは、新たな被害者を生み出す片棒を担いでおり、喜多川氏による性加害の事実を知っていたならば、責任を免れることはできない。
■権力者の責任が問われない社会であってはならない
ジャニーズ事務所所属の櫻井翔氏は、6月5日、自身がキャスターとして出演する報道番組「news zero」(日本テレビ系)で「ジャニーズ事務所はどのようなことが起こっていたのかを調査してほしい。あらゆる性加害は絶対に許してはならない」と述べた。全面的に賛同する。この50年間、ジャニーズ事務所の関係者がどれだけ性加害を許してはいけないと考え、行動してきたかを検証してもらいたいと思う。
権力のある者たちの責任が問われず、立場の弱い者たちはマスコミによって徹底的にたたかれ、責任を追求される。このようなアンフェアな責任の追求ではなく、可能な限りフェアな責任を追求する社会を目指すべきであると考える。
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大峰 光博(おおみね・みつはる)
名桜大学教授
1981年、京都府生まれ。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科博士後期課程修了。2023年より現職。専門はスポーツ哲学。著書に『これからのスポーツの話をしよう:スポーツ哲学のニューフロンティア』(晃洋書房)、『スポーツにおける逸脱とは何か:スポーツ倫理と日常倫理のジレンマ』(晃洋書房)などがある。
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(名桜大学教授 大峰 光博)