ジャニー喜多川という“傀儡師”に操られた国 外国人記者が問う「日本はなぜ少年たちを守れなかったのか」

ジャニー喜多川の小児性愛は何十年も前から公然の秘密だった。「パンドラの箱」の中では何が起き、どんな思惑がうごめき、なぜその蓋は開けられなかったのか。このスキャンダルを長年追ってきた英誌「エコノミスト」の元東京特派員デイビッド・マクニールが問題の核心に迫る。 【画像】ジャニー喜多川のマンション内部

いったい何百人が被害に…

芸能の世界の“傀儡師”ジャニー喜多川。その喜多川から性的虐待を受けたという最初の告発と直近の告発の間には、人の一生の半分ほどの歳月の隔たりがある。 1988年、元フォーリーブスの北公次が、自分やほかの10代の少年研修生が喜多川の性の餌食になったとスキャンダラスに告発した。フォーリーブスは喜多川の芸能プロダクション「ジャニーズ事務所」の最初期に人気を博したグループの一つだ。 北公次のその著書『光GENJIへ』を皮切りに別の告発も相次いだ。元ジャニーズの中谷良が出版した『ジャニーズの逆襲』でも少年たちへの虐待は書かれた。1990年代にも、『ひとりぼっちの旅立ち──元ジャニーズ・アイドル豊川誕半生記』を著した豊川誕など、さらに数名の研修生が同様の虐待を受けたことを公にした。 北公次の告発から三十数年後の今年4月、元ジャニーズJr.のカウアン・オカモトが日本外国特派員協会で会見を開き、高齢になった喜多川から何度も標的にされ、フェラチオされるなど性的被害を受けたと明かした。 オカモトの話によれば、彼がジャニーズJr.にいた4年間で、喜多川のマンションに泊まった男の子の数は100~200人ほどおり、その「ほぼ全員」が被害者だったという。注目すべきは、オカモトが2012年2月、15歳でジャニーズJr.に入ったとき、この芸能界のドンに性加害の疑惑があるとは知らなかったことだ。 オカモトは4月12日の会見でこう語った。 「ほかのメンバーはわからないですけど、僕は入ってからネットで調べて知ったというかたちです。とくにニュースになっていなかったですし、知る由もないという感じです」 当時のオカモトは、ほかのジャニーズJr.のメンバーと同じで未成年であり、親の許諾なしに芸能事務所には入れない。もっともオカモトは母親も何も知らなかったと強調したうえで、もし知っていたらジャニーズ入所はなかっただろうと語った。 民主主義国家では、マスメディアが権力を監視する番犬という公的な役割を果たすことになっている。権力者が弱者に虐待や犯罪行為をしていたらメディアがそれを糾弾して当然なのだ。 数十年前、仮に日本の大手メディアがジャニーズ事務所に立ち向かっていたら、数百人の子供を年配の小児性愛者の虐待から守れたのではないか──。

裁判で「クロ」は確定していた

私のようにこの一件を追ってきた多くの人にとって最も不可解なのは、喜多川のスキャンダルに関して、臭いものに蓋をするようなところがあることだ。 これは何度も公の場で告発されてきた話だ。にもかかわらず、どうしてこのことを知らずにいる人がいるのだろうか。 告発がピークに達したといえるのは1999年だった。雑誌「週刊文春」が一連の記事で、喜多川がかつて彼のもとにいた子供10人以上に対し、レイプや虐待をしていたと報じたのである。 この一件は国境を越え、当時は世界で最も影響力があった米国の「ニューヨーク・タイムズ」紙にも、きわめて批判的な記事が掲載された。衆議院でもこの疑惑について質問が出た。 喜多川は名誉棄損で発行元の文藝春秋を訴えた。裁判では週刊文春の取材に応じた12人のレイプ被害者のうちの2人が証言したが、2002年に出た東京地裁の判決は、文藝春秋に損害賠償として880万円を支払うよう命じるものだった。喜多川の勝訴だ。 しかし、この判決は翌2003年7月、東京高裁によって覆され、性的虐待の報道は真実だという結論が出された。裁判長の矢崎秀一は、このとき「被害者の少年たちの証言は具体的で詳細なのに、事務所側は具体的に反論していない」と指摘した。喜多川は上告したが、2004年、最高裁はこの上告を棄却した。 この裁判の結末は、喜多川にとって壊滅的なものになりえた。ところが、判決が覆ったという続報を伝えた大手メディアは少なかった。当時、法廷で証言をした週刊文春の編集者の矢内浩祐はこう振り返る。 「この話が訴訟まで発展しても、マスコミはほとんど報じませんでした。ニューヨーク・タイムズ紙が報じれば、外圧で何か変わるかもしれないとも思いましたが、何も起きませんでした。新聞では少しだけ報じられましたが、テレビでは一秒も報道しなかったと思います」

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