ジャパネットたかた前社長インタビュー「会社の成長を促した2つの失敗」

「私、失敗がないんです」

あの甲高い声で、ドラマの決め台詞のような一言。通信販売大手、ジャパネットたかたの創業者・高田明さん(67)に失敗の経験を尋ねると、29年間の社長在任中には「一度もなかった」という。

「いわゆる失敗を『失敗』と解釈していないんです。失敗は、試練や課題。ちょっと理屈っぽいですかね?」

試練なら、乗り越えようと努力する。実際、失敗を「自己更新」の機会に変えて会社を成長させてきた。

「『今』を一生懸命に生きてきただけ。この声も、作っているわけじゃないんですよ」

●減収減益から最高益へ

サラリーマンを経験した後、25歳で父親が経営するカメラ店の長崎・佐世保支店をまかされた。後に独立。ラジオ通販から始め、テレビ、チラシ、インター ネットを採り入れた。やがて、自前の放送スタジオまで完備。MCとして毎日スタジオに立ち、通販の世界では「メディアミックスの先駆け」と注目された。当 然、売り上げも利益も右肩上がりに増えた。

だが、過去最高益を記録した翌年の2011年、急ブレーキがかかる。売り上げも利益も激減し、続く12年も減収減益。10年に136億円だった経常利益は、73億円にまで落ち込んだ。テレビが売れなくなったのだ。

当時、ジャパネットの売り上げの半分を、テレビと関連商品が占めていた。地デジ化が完了し、エコポイントも終了。先食いした需要の反動もあった。ネット上で「ジャパネットは経営危機」などと噂された。

この状況で高田さんは、東京・六本木に収録スタジオを新設。13年を覚悟の年と決めて、地元・佐世保での講演会で言った。

「最高利益を目指す。達成できなかったら社長をやめます」

公表するつもりはなかったが、たまたま来ていた新聞記者が翌日の朝刊に記事を書き、社内は騒然となったという。

「原点回帰だ。テレビ以外にも売るものはある」

高田さん自身は佐世保本社に残り、東京は現社長の息子に任せた。社員も積極的に採用し、競争原理を働かせた。

「できない理由を言っていても、夢は実現できない。2割でも可能性があるなら、できないと思う8割は捨てて、その2割に集中するのです」

結果、13年は本当に過去最高益を記録し、14年はさらにそれを更新した。テレビの需要が戻ったわけではない。ほかの商品を少しずつ売り伸ばしたのだ。

●妻と決めた営業停止

「糧にした」と言うには苦すぎる「失敗」もしている。04年に発覚した51万人分にも及ぶ顧客情報流出だ。持ち出したとされる元社員2人が、背任容疑で書類送検され、発覚直後から49日間、自主的に営業を停止した。この間の機会損失は、150億円にも上るとされた。

「妻と2時間話し合って『もう閉めよう』と。お客さんの安全を脅かしたのに、『これいいですよ』なんて薦められない」

自ら科した厳しいペナルティーが好意的に受け止められ、翌年には売り上げが回復。「危機管理の手本」などと称賛されたが、本人にその意識はない。

「そもそも問題を起こしたのだから、すばらしい対処法とは言えない。営業停止の後のことなんて、頭になかった」

社員がかかわったとされたことも、「無念だった」。それこそ、共に受注の電話を受けるところから出発。会社の規模が拡大しても社員は家族のつもりだった。

「セキュリティー環境を整えていなかった。私が、十分なことをしていなかったのです」

以来、監視カメラなどセキュリティーにも投資している。

高田さんの「失敗」に対する姿勢は一貫している。

「すべてを受け入れること。そこからしかスタートしない。人のせいには、しないことです」

「成長」は失敗を受け止めることから始まると、実感している。(編集部・鎌田倫子)

AERA 2016年7月18日号

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