100年に1度とされる大洪水に見舞われたバルカン半島。大きな被害を受けたセルビアに対し日本からの支援の輪が広がっています。きっかけは3年前の東日本大震災直後にセルビアから寄せられた多額の寄付への“恩返し”、そして日本との意外な関係です。
東京のセルビア大使館には5日も多くの人が寄付に訪れていました。
Q.セルビアと関係が?
「全然よく分からない国。フェイスブックで誰かが(寄付の)リンクを流していたので」(寄付をした人)
日本円やクレジットカードでの募金が始まり、今週に入って寄付の件数が飛躍的に伸びています。観測史上最悪と言われる洪水に見舞われたセルビア。北海道ほどの国土のうち、全人口の4分の1が暮らす地域と、ほとんどの農地が壊滅状態となりました。経済損失は計り知れません。
「“川の津波”が起きました。 東北の状況とよく似ています。多くの人命が失われ、大半が自宅に戻れない状態です」(セルビア ネナド・グリシッチ駐日大使)
いち早く支援を呼びかけたのは、Jリーグ名古屋グランパスのサポーターでした。セルビアは、ストイコビッチ前監督の母国です。
この店は、週末の売り上げ全額の寄付を決めました。客の賛同もあり、20万円を大使館に送っています。支援の輪が広がった一番のきっかけは、3年前の、あの震災です。
「大震災のときにセルビアは貧しい国なんですが、非常に多くの支援を日本のためにいただいたので、少しでも恩返しできないかと」(カクテルバー「Nemanja」 北條久美子さん)
東日本大震災の直後、セルビアで沸き起こった支援の動き。失業率20%以上、平均月収が5万円に満たない国から、1か月後には2億円を超える寄付が寄せられました。この時点では、ヨーロッパで一番多い額の義援金でした。思いあふれるメッセージも一緒に送られました。
「悲劇でも人と人は結ばれます。苦難を歩んだ国ならではの反応です」(セルビア ネナド・グリシッチ駐日大使)
紛争が続いた90年代、民主政権が誕生すると、国づくりのための支援が、日本から次々と届きました。生活に欠かせないバスも、その1つ。日の丸をつけ、今も100台近くが活躍中です。
「家族が必要とするときに手を差し出す。そうやって2国は交流しています」(セルビア ネナド・グリシッチ駐日大使)
2国の結びつきから、夏の風物も生まれています。蚊取り線香の歴史は、除虫菊の原産地、セルビアから渡ってきた種の栽培から始まりました。キンチョウの本社は今、セルビア名誉総領事館にもなっています。
セルビアの復興に向け、Tシャツを介した応援プロジェクトが立ち上がりました。
「デザイナーさんからセルビアに義援金を渡したいという話をいただいて、告知したところ15人ぐらい一気に集まって、東日本大震災のお礼がしたいと」(MCS 関 浩司 代表取締役)
デザイナーと購入者が、ともにチャリティーを行い、世界に呼びかける支援の歴史はつながっていきます。(05日23:20)