視聴者の視点で番組を制作 放送局はこう主張するが……
話は2年前に遡る。2009年に放送されたテレビジョン番組の年間視聴率(関東地区)で、1位は内藤大助と亀田興毅が対戦したボクシングの試合、2位は大晦日のNHK紅白歌合戦であったが、3位から6位までは3月に行なわれたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本対韓国戦、そして10位も日本対アメリカ戦であり、半分をWBCの試合が独占した。3年前の王ジャパンに続き、この年も原ジャパンの優勝が期待されたので、野球好きの日本人としては当然の結果かもしれない。
しかし、WBCを企画したアメリカではESPNが全試合を中継したが、平均視聴率は1.4%でしかなかった。
そもそもWBCは、来年のロンドン・オリンピックで野球が競技種目から外されたため、アメリカのメジャー・リーグ・ベースボール(MLB)が急遽企画した興行である。サッカーのワールドカップに似ているようであるが、200カ国以上の予選を勝ち抜いた32カ国が大会に出場するのとは違い、WBCは予選もなく、MLBが指名した国だけの大会である。
さらに不透明なことは、WBCの収益の3分の2はMLBとMLB選手会が頭から取り、優勝した日本には13%が配分されただけであった。ようやく日本のプロ野球のオーナー会議も、2013年に開催予定の次回のWBCでは、日本野球機構(NPB)への分配金を増やすように要請することになったが、アメリカではWBCはMLBの金稼ぎの興行という意見も一部にはあり、テレビジョン中継に煽られた日本人にとっては、興醒めするような経緯である。
これは一例でしかないが、海外とは違う日本独特のテレビジョン文化は数多くある。
クイズ番組は各国で放送されているが、筆者の海外での経験では、大半は素人が参加して、正解であれば跳び上がって喜ぶという番組であり、日本のように芸能人中心のお笑い番組の形式はほとんどない。
スポーツの実況放送の場合も、半可通の芸能人が番組の進行に参加して解説する番組は、日本独特のものである。これらは、日本が開拓した独特の文化と理解できなくもない。
しかし、多数の政治家が参加して、芸能人とともに面白おかしく討論する政治番組、科学の背景にある理論や哲学を理解しているとは思えない芸能人が進行する科学番組、一列に並んだコメンテーターと称する人びとがニュースについて毒にも薬にもならない解説をする報道番組など、筆者の経験の範囲では、日本でしか放送されていない番組は多数ある。
放送局は、一般の視聴者の視点で番組を制作するためと主張するが、それは国民を見下ろした視線である。
日本ではテレビ番組もガラパゴス王国に突入
このような番組が氾濫する根拠は単純ではないが、重要な根拠が視聴率であることは明白である。
民間放送局の収入源の大半である広告料には、視聴率に連動して単価が決定される仕組みがある。広告料を支払う企業にしてみれば妥当な仕組みかもしれないが、放送局にしてみれば硬派な番組を努力して制作しても、視聴率が得られなければ、放送局の収益構造に影響するから、安価な制作費で視聴率を確保できる方向に邁進する。その成果が、この日本の現状なのである。
かつて筆者は、環境問題を理解してもらう番組を企画し、ある企業に費用を提供してもらうことも了解を得て、放送局と打ち合わせをしたことがある。その会議で娯楽番組を得意とするプロデューサーの最初のひと言は、「なんとか制作できそうな企画だが、問題が一つある。それは月尾先生が進行役になると視聴率が獲れないので、芸能人に代わってほしい」ということであった。ここまで視聴率至上主義は蔓延しており、結局、番組は中途半端な内容で放送されることになった。
この潮流の歯止め役として期待されるのは、広告収入に依存しないNHKであるが、最近は民間放送局に接近している。
報道番組や科学番組にも芸能人が登場し、地域の歴史や民俗に精通しているわけでもない俳優が、「美しい」とか「素晴らしい」という感想を連発するだけの旅行番組などが急増している。NHKの幹部に理由を質問すると、高齢化している視聴者層を若年化するための戦略という回答であったが、低年齢層は別の理由でテレビジョンから離れている。
「ガラパゴス現象」という言葉は、国際的な事実標準(デファクト・スタンダード)とは別の通信規格を使用していた日本の携帯電話が、国際市場では相手にされず、孤立し低落していったことから名づけられたものである。
ところが、このような工業製品だけではなく、医療、大学教育などのサービス産業、さらには日本人の思考そのものがガラパゴス状態になっていると指摘されているが、テレビジョン番組も一国のみで独自文化を形成するガラパゴス王国に突進している。