テレビ番組「このままでは作る人いなくなる」

 【テレビの現状を語ろう】日本映像事業協会会長・澤田隆治さん
 放送されるテレビ番組の約7割は、制作プロダクションのスタッフによって支えられているという。しかし、不況など制作環境の悪化はテレビ局より制作プロを直撃している。視聴者からは見えにくい制作プロの現状とテレビ局との関係について、テレビ草創期から業界を長く見守ってきた日本映像事業協会会長、澤田隆治さん(78)に聞いた。
 --制作プロダクションの歴史を教えてください
 テレビが始まって10年ぐらいは生放送が原則で、購入フィルム以外はテレビ局員が制作していました。しかし、番組作りには雨でロケが延びるといった不測の事態がつきもので、予算通りには行かない。報道も大事故など予測できない取材にお金がかかります。テレビ局は出版や映画制作などいろんな関連事業に精を出すようになりましたが、「このまま社員だけで番組を作り続ければ、経営が立ち行かなくなる」との結論が出たんです。
 そこで番組制作費を減らすために、アメリカを手本にした制作プロダクションが登場したのは三十数年前のことです。先駆けとなったテレビマンユニオン(東京都渋谷区)の成功を見て、制作プロが次々と誕生し、局の信頼を得るまでに成長していきました。
 --局との関係は
 当時は局幹部がATP(全日本テレビ番組製作社連盟)に来て「良質のソフトを提供してくれるパートナーとして期待しています」と持ち上げられた。予算内で番組を制作するシステムを完成させ、制作プロは400社とも言われるまでに急増しました。テレビ局も制作主導から編成主導に変わっていきました。
 10年ぐらいは制作プロに局からのフォローがあったんですが、次第に契約は厳しくなり、気がつけば、制作プロの再放送の権利やDVD化の権利は認められなくなっていきました。スタッフも派遣契約に切り替えられ、著作権は局にすべて帰属するという契約書になっていったんですよ。
 --制作状況の厳しさは
 最近は予算カットが厳しい。それでも「100万円で作れ」と言われれば、アイデアと巧みな表現を用いて作ってしまうのがプロダクションです。予算が少ないから「いいものができない」ということにはならない。限られた予算内で結果を出す人材に敬意を払い、次の仕事につなげるといった風土が業界にはある。
 ただ、テレビ局と制作プロの収入格差は歴然としています。現場はプロダクションから派遣される人材によって支えられているが、人によっては番組終了とともに仕事がない期間も生じるなど、常に収入の不安定さがつきまとい、人材流出につながっている。私はことあるごとに「このままでは番組を作る人材が誰もいなくなってしまいますよ」と言ってきたが、この問いに関するテレビ局側の答えは何もない。
 --どうすべきですか
 声を上げなければ、現場はやせ細っていく一方です。東日本大震災で制作プロが大きな打撃を受けたとき、私は「局に陳情に行く」といって協会員に被害状況の報告を募りました。しかし、仕事を外されることを恐れて、誰も報告しようとしないんですよ。
 著作権の帰属などの問題で、要求すべきことは声を上げていく「気概」だけは失ってほしくない。制作プロの人間たちが、良質な番組をプライドを持って供給していくために、そう願っています。(聞き手 三宅陽子)
 ■後進育成も課題に
 昭和40年代以降、日本ではテレビ番組制作プロダクションが次々と誕生。民放で放送される番組のほとんどはプロダクションへの委託か、テレビ局と共同で制作されてきた。
 一方で、プロダクションは、テレビ局から番組発注を受けるという構造上、不利な立場に置かれることも多い。事実上はプロダクション制作の番組であってもテレビ局が著作権を持つといった不平等の解消は長年の課題とされてきた。
 テレビ局との権利交渉をはじめ、プロダクションの地位の確保などに向け、各社は昭和57年、全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)を設立。当初21社だった加盟社は現在は120社にまで拡大している。
 最近は多メディア化や不況のあおりも受け、プロダクションをめぐる環境は厳しさを増している。制作費削減のほか、人材流出、後進育成が課題となっている。
 【プロフィル】澤田隆治(さわだ・たかはる) 昭和8年、大阪府吹田市出身。朝日放送に入社し、「てなもんや三度笠」「スチャラカ社員」などの大人気番組を担当。50年、制作プロダクション「東阪企画」設立。「花王名人劇場」を手掛け、漫才ブームを生んだ一人とされる。全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)理事長を3期務めた。

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