トランプ大統領を待つ米国分断社会の板挟みという茨の道

一年前は「泡沫候補」だった。ドナルド・トランプは共和党の予備選挙で弾みをつけ、まさかの勢いで第45代米国大統領の座を射止めた。不動産王といっても政治は素人。「床屋談義」のような型破りな発言で大衆を煽る政治家が世界のリーダーになる。「世界の保安官にはならない」という本人に、その自覚はあるだろうか。トランプの登場は、アメリカが「超大国」から「一つの大国」に降格する始まりとなるだろう。「アメリカ支配」を前提に保たれてきた世界秩序に激震が走る。

強者の論理の行き着く先が弱者のトランプ支持だった

トランプを勝たせたのは分断されたアメリカ社会に漂う不機嫌な気分ではないか。既存の政治家による支配を覆さなければ偉大なアメリカは戻ってこない、と不安を抱える白人層の郷愁に訴えた。底流には中産階級の崩壊がある。

内陸部の工業地帯では工場労働者の職場が脅かされ、都市部でも企業のリストラで中間管理職が減る。雇用の構造は一部の知的職業と、その他大勢の安い労働に分極化している。大学を出ても安定した仕事を確保するのは至難の業だ。工場のラインで働けば家族が養えて郊外に戸建て住宅、という暮らしも難しくなっている。資本が国境を自由に軽々と超えるグローバル化、機械がとって代わる技術革新、そして労働コスト切り詰めに熱心な経営者。資本にとって効率的であることが人々の不安を煽っている。

安倍首相は「日本は世界一企業が活動しやすい国を目指す」と言ったが、アメリカこそ「企業が活動しやすい国」である。移民が自己責任で築いた国、規制を嫌い、効率を重視し、小さい政府で企業の利益を妨げないことを大事にしてきた。

経済学でいう「合成の誤謬」がアメリカで起きている。それぞれの企業が最適とする効率化を進めてきた結果、企業の外に非効率(失業)をまき散らし、貧困の放置や治安の悪化が社会を劣化させた。

小さい政府は社会的弱者に冷たい。豊かな国を標榜しながら国民皆保険さえない、社会分断が顕著な国となっていた。金持ちは高い塀を巡らし銃を持った警備員が常駐するゲーテッドハウスに住み、貧乏人を寄せ付けない分断社会が広がっている。

アメリカは先進国では際立って法人税が安い。州単位で設けられている消費税も低い。政治家は減税に力を入れるが財政赤字は膨らんでいる。その財政の多くが軍事費に注がれ、社会を安定させる「富の再配分」には回らない。

強者の倫理は政治にも貫かれている。典型が「青天井の企業献金」である。政治献金は「表現の自由」であり規制を受けない、という理屈で米最高裁は「献金の自由」を認めている。

一方、共和党も民主党も議会での投票に党議拘束がない。上院議員も下院議員も、個人の責任で法案の賛否を決めることができる。

重要法案は企業や業界が雇うロビイストが原案を書き、議員への多数工作をする。決め手は政治献金である。有力議員はロビイストや業界と結びつき、社会のルール作りの背後には巨大資本や業界が控えている。議会が法律を起案する米国では、力のない庶民や貧者は議会で多数工作をすることはできず、声は政治に反映されない。政治から排除された弱者が受忍限度を超えたのが今回の選挙ではないのか。

冷戦崩壊、グローバリズムでアメリカの統治システムがおかしくなった

強者の国にアメリカがのめり込むきっかけはソ連崩壊だった。対峙する勢力が消え、国内で反体制運動が起きるリスクは払拭された。世界がまるごと市場経済になり、国境を越えた資本の動きは活発になり、冷戦崩壊と共に米国は世界を一極支配する超大国となる。

経済にも国境がある国民国家が終わり、巨大資本が新市場や安い労働力を求めて世界を自由に飛び回るグローバルな経済がやってきた。

経済強者は米国政府を使って他国の市場をこじ開けるようになった。日米構造協議や環太平洋経済連携協定(TPP)などが分かりやすい例だ。企業では他国の法律を変えられない。米国政府の外交力で他国に制度を変えさせる。米国の資本は海外で稼ぎを増やす、というシステムが広がったのが21世紀だ。

モノづくりから金融へと産業の主力が変わる。製造業も自前で工場など持たず、海外で安い生産者に生産を委託し、特許など知的財産で稼ぐ。雇用は米国で生まれず、職場は機械やコンピュータに置き換わり、中間層は細る。「ジャンクビジネス」と呼ばれる配達、清掃、小売りというマニュアル化された低賃金労働ばかりが増えた。一つの仕事で暮らせない。いくつも仕事を持って不安定な暮らしを続ける人が増えている。

こうした傾向が顕著になったのはビル・クリントンが大統領になったころからである。

リベラルな大統領として政権を奪取したものの94年の中間選挙で敗れると、ネオリベラリズム(新自由主義)を標榜して、競争原理と効率化を左派から推進する政治へと舵を切った。金融業者の牙城であるウォール街と政治都市ワシントンを結ぶ「ワシントンコンセンサス」と呼ばれる権力システムが形成された。

新自由主義は英国でも労働党のトニー・ブレア首相が旗を振り、日本では小泉構造改革となって世界に広がる。怒涛のような金融資本主義の進展は、米国を史上最強の経済と言われるほど押し上げたが、リーマンショックで金融バブルが弾けた。

銀行やGMなど大企業は公的資金で救済されたが、経済破綻で被害を受けたのは庶民であり社会的弱者だ。1%の富者と99%の貧者という「格差」が社会問題となった。

多くの有権者は、アメリカの統治システムがおかしくなった、と感じている。

8年前、オバマが大統領になったのも、有権者の「異議申し立て」だった。理想主義を掲げるオバマに期待が集まったが、現実の政治の中で理想は霞み、無力感が残った8年間だった。トランプはその反動である。「既成の政治家はみなクズだ」といわんばかりの攻撃で庶民の政治不信の受け皿となった。

政治に満たされない人々の憤懣に火をつけたが、本人は明確な指針を持っているとは思えない。大統領になれば選挙用の極端な言動は薄まるだろうが、米国をどこに導くかは定かでない。

ヒラリーが負け「強者」も戦略見直しを迫られる

トランプが勝ったが、敗者はヒラリー・クリントンだけではない。ホワイトハウスに強い影響力を持ってきた「経済強者」は戦略の立て直しを迫られるだろう。

今回の大統領選は対立の構図まで変えた。民主党と共和党の戦いは、「ラベルは違っても中味は同じボトル」と言われていた。

「民主党が労働組合寄り」とか「共和党は小さな政府」などと言われるが、どちらも基本的には、金融、軍事、ハイテク、化学・薬品など米国を基盤とする多国籍企業とつながりが強い。

巨大資本との対決を鮮明にしたのは民主党の予備選でヒラリーと戦ったバーニー・サンダース候補だった。格差問題や巨大企業の政治支配を批判し善戦した。

トランプ支持はこの潮流と重なっている。大富豪であり、自前の資金力で選挙資金を賄えるトランプは、巨大企業に依存せず選挙戦を戦えた。だからこそ「既存政治家」を罵倒することができた。

ヒラリーは豊富な選挙資金を集め、有利な戦いと見られていたが、資金の多くは後に利害が絡む「企業献金」と見られている。夫のビルが設立したクリントン財団が政治献金の受け皿であることはメディアが指摘している。

大統領になるにはカネがかかる。若者に担がれたサンダースはネットで少額の寄付を集めキャンぺーンを展開した。トランプは自前。企業からのカネに頼るヒラリーは「既成政治」を引きずる候補者だった。

豊富な政治キャリアを誇っても庶民には雲の上の人で親しみは感じられない。米国社会で支配層を象徴する「エスタブリッシュメント」の象徴にヒラリーはなってしまった。

政治家として基盤を固めるには経験を積み政財界に人脈を作ること、というのがこれまでの常道だった。その構造が変わったのである。夫と共に創った財団を足場にしたヒラリーは社会の末端から起こる変化を感じ取れなかった。

サンダースと指名を争い、トランプに敗れたヒラリーは「ホワイトハウスを操る富者」と共に敗れたのである。

仕事は外交・内政のリストラホテル拡大路線のようにうまくいくか

対決の構図は共和党vs民主党ではない。エスタブリッシュメントvs政治不信。それが今回の戦いだった。時代の勢いに乗って接戦を制したトランプが真価を問われるのはこれからだろう。

大統領になったことを一番驚いているのは本人ではないか。「反既存政治家」で接戦を制したが大統領になる準備はできていない。

ウォールストリート・ジャーナルは「保守派が現実的な問題として懸念しているのは、トランプ氏が候補者であった時と同じように大統領就任後も行き当たりばったりで、公約通り政治を変えらえないことである」と指摘した。選挙がもたらした社会の分断やエスタブリッシュメントとの軋轢は、トランプ大統領の足かせになるだろう。

庶民感情に寄り添うか、多国籍企業と妥協するか。どこかで迫られるに違いない。

ビジネスマンの感覚で「アメリカの利益」を貫こうとすれば多国籍企業と手を握ることはできるが、その場合、支持してくれた白人層を裏切ることになる。資本に国境はないが、国家は今も国境の中だ。トランプはどんなスタンスを取るのだろうか。

「世界の保安官はしない」という姿勢はビジネスマンにありがちな「費用対効果」の考えが基調にあるのだろう。軍隊を中東に派遣してでも石油を確保する時代は終わった。膨大な費用がかかる軍事派遣はソロバンに合わない時代だ。各国は米国の軍事力を当てにして防衛計画を立てている。

米国にその財力はもうない。世界秩序を維持する最後の暴力装置という役割から徐々に手を引くことになるだろう。すでにオバマの時代にそれは始まっていた。

誰が大統領になろうと回ってくる役割だろう。手を付ければ国防総省、国家安全保障委員会、つながっている軍事産業や諜報機関の権益構造に触れることになる。

トランプの仕事はビジネスの世界で成功した拡大路線とは逆だ。外交・内政のリストラである。気まぐれで、悪たれをつく気性が、厳しい撤退作戦に耐えられるだろうか。

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