マツコ、ミッツ、渡部陽一……今年のキワモノタレントに「毒気が足りない」理由

日増しに夕暮れの訪れを早く感じる今日この頃、2010年も残すところ一月あまりとなった。「リーマンショック以降」というなんだか便利な言葉にほだされて、すでにテレビでの不景気報道は見慣れたものになり、毎日のように暗いニュースが続いても感覚はどんどん鈍くなっていった。一方で、今年もテレビバラエティーには、戦場カメラマンの渡部陽一や徳光和夫の親戚で女装家のミッツ・マングローブなど新鮮な顔ぶれが数々登場し、陰鬱な日常を楽しませてくれた。
「今年の顔として真っ先に思い浮かぶのはマツコ・デラックスでしょう。あの、一度見たら忘れられないインパクトと画面から出る力強さは、近頃のテレビでは珍しいタレント性と言っていいでしょう」(芸能プロダクション幹部)
 この関係者が語るように、マツコ・デラックスはまさに今年の顔と言ってもいいほどの大活躍をみせた。そして毎度のようにその要因に挙げられるのが、ビジュアルと歯に衣着せぬ言動だ。さらにこの人物はマツコの人気をこう分析する。
「あの巨体で女装家というカテゴリー自体が彼女だけのものですから、いわゆるキャラがかぶるということがない。それは芸能界で活躍するにはもっとも大事なことです。さらに言えば、ああ見えて可愛いところがあるんです。世間では、いわゆる毒舌だと認識されているようですが、彼女は必要以上に他人の意見を尊重するタイプで、”あなたの言い分は受け止めるけど、私も言わせて”というのが彼女のスタイルです。自分の個性から様々な境遇にもあった彼女ですから、人一倍他人を思いやるところが出ちゃうんでしょう。そんなところが垣間見える彼女に、人は惹きつけられるのかもしれません。ああ見えてすごく上品なのがマツコ・デラックスですよ」(前同)
 フジテレビの秋の番組改編時には「生みます」のキャッチと共に局のメインキャラとして抜擢されたマツコ。妊婦の姿の彼女に違和感を覚えず、なんとなく似合っているように感じてしまったのは、彼女の持つ品の良さによるところだったのだろう。
 だがそれは一方でマツコの毒が毒でないことを示しているとも言える。たとえば過去のテレビバラエティを振り返ると、その言動でも印象でもとんでもなく刺激的な毒をぶちまけていた人物が存在した。
「近頃のテレビバラエティーは生ぬるい、なんて批判する人がいますが、確かに昔のバラエティーは無茶ばかりしていたような気がします。そうでもしなければ、自分の存在価値が認められない、ってほどにね。ただそれも、1997年までのことでしたよ。この年に設立されたBPO(放送倫理・番組向上機構)の力が、年を追うごとに強くなってきました。BPO以前と以降では、日本の番組自体が変わってしまったと言ってもいいでしょうね」(番組制作会社関係者)
 その目的において「視聴者の基本的人権を擁護するため」設立されたとするBPOの判断は、番組制作者側にとって「最高裁の判決」にも等しいという。そんな BPOは常に視聴者側に立ち、苦情や非難があればすぐに対応する。それゆえ制作者サイドは常にBPOの視線を気にしていなければならず、今では設立以前にはなかった無言のプレッシャーにさらされながら番組を制作しなければならない。
 たとえば、BPOの設立前々年まで放送されていた『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系、後の『ASAYAN』)は、現在では考えられないような企画を放送していた。過去の遺恨を晴らす「大喧嘩対決」で坂本一生と工藤兄弟は本気で喧嘩をし、グランブルー企画で、江頭2:50は死を覚悟しているかのような態度で4分以上の水中無呼吸記録を達成した。ファッションデザイナーとしても著名な中野裕道は全身金粉で死にそうになりながらマラソンを完走。いずれ劣らぬ異端児タレントが勢ぞろいした同番組は、BPOの設立を前に消滅したが、たとえこれが続いていたとしても、放送倫理に欠けるとして自粛に追い込まれていただろう。
 つまり、先ほどの関係者たちが語るようにマツコの毒気が可愛いものであるというのは、突き詰めれば番組自体の毒気が喪失されたということだ。今や丸くなったダンプ松本がダイエット企画で地上波ゴールデンに出演することはあっても宅八郎が出演することはない。江頭であっても難しい時代なのだ。
 倫理の向上という名の下に笑いの一大要素である刺激的な毒を失ってしまった現代バラエティー。その分を補うのがネットであるのは言うまでもないが、久々に死に物狂いの毒をぶちまけるテレビバラエティーが見たいと思うのは記者だけだろうか。そもそもの出自が異端であるマツコ・デラックスには、少し過剰な期待をしてしまいそうだ。
(文=峯尾)

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