ラピュタ感がすごい 滋賀の山中にそびえる「謎の廃墟」

琵琶湖の北東部、滋賀県長浜市の山中に、古代遺跡を思わせる謎めいた建造物がそびえ立っている。普通のビルなどとは明らかに異なる異様な外観で、草木に覆われ朽ちていく風情がコスプレイヤーの若者たちの間で評判を呼び、隠れた人気スポットとなっている。人気アニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場する廃虚を彷彿(ほうふつ)とさせるその建物の正体は、銅を採掘していた「土倉鉱山」の施設跡。かつては千人を超える人々が暮らしにぎわった鉱山は、どんな様子だったのだろうか。(岡田敏彦)

空中を銅が走る

 「若い人? 来ますよ、なんともいえない衣装をつけて。土日は多くて20~30人くらいかな」。そう話すのは、地元の長浜市木之本町金居原に住む山崎清志さん(85)。若者らが身につけているのは漫画やアニメなどの登場人物にふんしたコスプレの衣装だが、「若い人が来るのは良いことです」と笑顔を見せる。

 山崎さんによると、若者の人気を集める建物は、鉱山で採掘した岩石を砕き、沈殿分離槽に入れて銅鉱石を取り出す選鉱場だった。建物内部は現在、危険なため立ち入り禁止になっているが、山崎さんは「選鉱場の前に、ずらっとトロッコが並ぶのを子供のころによく見た」と振り返る。

 採掘した岩石は建物の一番上に運ばれ、薬液の入った沈殿分離槽に入れられた。浮かんだ銅鉱石を取り出した上で、残りを下段の槽へ運ぶということを繰り返し、残った石は建物の外へ捨てたという。現在、あらわになっている柱のような構造物は土台で、「その上に木造の建物があった」と山崎さんは証言する。

 集めた銅鉱石は、空中に張ったワイヤを使い、ロープウエーのようにカゴで運搬した。「そこらの山頂に鉄塔が建っていて、(約12キロ離れた)木ノ本駅まで運んでいた」という。

「ブロンズラッシュ」にぎわう町

 この地で銅の採掘がはじまったのは明治末期。銅の採掘が最盛期を迎えた昭和35年ごろには、鉱山のある土倉地区を含む金居原には約180世帯、約千人が住んでいたという。町はどんな様子だったのか。

 山崎さんによると、土倉地区には映画館や銭湯のほか、スーパーマーケットのような店もあり、鉱山で働く人向けにいろんなものを安く売っていた。「鉱山で働いていない住民も恩恵にあずかりました」

 選鉱場の前を通る国道303号付近には事務所や独身寮があった。付近では積雪が4メートルに達することもあったため、山麓の小学校まで通えない子供たちのために冬季限定の「分教場」も。麓には診療所や鉱山会社の幹部が住む一戸建ての社宅があったという。

 山崎さんは鉱山に勤めてはいなかったが、知人の案内で30歳くらいのころ、内部に入ったことがある。「トロッコに乗ってね。トロッコは何十台と連結されて、動力車に引かれてトンネルに入っていく。1・8キロいったところに縦の坑道があって、そこをエレベーターで降りていった」

 坑道は「アリの巣のように広がっていた」。地下1階、地下2階、地下3階にあたる場所にエレベーターが止まるとその前にスペースがあり、そこから横に坑道が延びていたという。

トチノキの巨木に注目

 選鉱場は雪害を避けて麓側へ2度移動し、現在廃虚のように残っているのは第3選鉱場だ。最大で年間約1万8千トンの銅鉱石を産出したが、昭和30年代、発展途上国を中心に海外で鉱山開発が進むと、銅の価格が下落。加えて38年には銅鉱石の貿易が自由化され、40年に土倉鉱山は閉山した。

 それまで金居原の住民の約半数はここで働いていたといい、「閉山とともに、鉱山の会社の従業員も家族もみんな出ていった。それからだんだん過疎化した」と山崎さん。選鉱場も草木に覆われ、自然に返ろうとしているかのようだ。

 一方で、近年になって金居原の山中にトチノキの巨木が多数あることがわかり、注目され始めている。令和元年度には幹回り3メートルを超えるトチノキ162本が確認され、長浜市では鉱山跡も含めた巨木見学ツアーを実施。滋賀県では3年後に県内初の自然環境保全地域に指定することを目標とし、今年度から調査を始めた。コスプレイヤーの若者だけでなく、エコツアーに関心を持つ人たちから脚光を浴びる日も、近いかもしれない

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