リヤカー引き、ラッパで「パープー」 おいしい豆腐仮設へ

宮城県気仙沼市松崎高谷の豆腐店「マサキ食品」店主の千葉淳也さん(38)が週3回、ラッパを吹きながら移動販売している。東日本大震災の津波で自宅も店舗も流されたが、「おいしい豆腐をなじみの客に届けよう」と奮起。「とうふ」のぼりを立てたリヤカーを引いて、仮設住宅などを巡回している。
 移動販売は月、水、木曜日の夕方、近くの水梨小と面瀬中の仮設住宅や住宅密集地などで行っている。
 「パープー」。千葉さんがラッパを鳴らすと、財布を持った主婦らが次々と姿を見せる。豆腐は1丁160円。「手間暇かけてつくっているので、うまい」と千葉さん。国産大豆とにがりを使ったこだわりの逸品だ。
 30歳の時、12年間勤めた海上自衛隊を辞め、家業の豆腐屋を手伝うようになった。2009年から新規顧客の開拓を目指し、リヤカーとラッパによる引き売りを始めた。地道な営業を続けてきたさなかに、巨大津波がすべてをのみ込んだ。
 1カ月後、流された軽トラックから、移動販売の相棒だったラッパが見つかった。泥だらけだが、洗えばちゃんと音が鳴った。「いつかまた豆腐を売り歩きたい」。ラッパとの再会が、事業再開の後押しになった。
 全国の同業者らの支援もあり、昨年11月、内陸側の所有農地に店舗をオープン。12月上旬から引き売りも再開した。
 震災前からの常連客の一人、水梨小仮設住宅に住む主婦小松隆子さん(60)は「昔から食べていたなじみの味でもあり、ほかの店の商品は口に合わない。わざわざ引き売りに来てくれるので助かる」と語る。
 店に掲げる「復興豆腐」の巨大看板は、ホームページを見て活動を知った人たちの寄付で造った。オープン日には、全国の同業者が手伝いに駆けつけた。
 千葉さんは「同じ業界の人々とのつながりが大きな財産。復興が進んで震災が過去のものになっても、『復興豆腐』という言葉はいつまでも残したい」と話している。

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