茨城県ひたちなか市で2000年から20回続いてきた「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」が、今年から千葉市で開催することが決まった。茨城県を代表するイベントの「流出」に、地元の観光業者やファンからは「戻ってきて」と会場変更を残念がる声が上がった。 ■経済に打撃 「市の知名度やイメージアップに貢献した功績は大きい。非常に残念で寂しい」。ひたちなか市観光協会の海野泰司会長は肩を落とした。市内外の宿泊施設は多くの関係者や観客が利用。飲食店にスタッフ弁当の注文が1日1万食も入るなど、地元経済を潤してきた。海野会長は「経済効果は毎年10億円以上はある。影響は大きい」と語った。 同市阿字ケ浦町の旅館「阿字ケ浦クラブ」の黒沢広忠支配人(58)は「コロナ対策を考えれば仕方ない面もある」と複雑な表情。「市に根付いた『ロックの火』が消えないよう、新しい形で関係を築いて周年開催の実現につなげたい」と前を向く。 同市を走るひたちなか海浜鉄道湊線は、会場輸送の混雑緩和のため、5年前から終点・阿字ケ浦駅と会場をシャトルバスで結び、観客輸送に力を入れていた。吉田千秋社長は「より良い輸送方法を探っていただけに残念。地域を盛り上げられる方法を考えたい」と話した。 会場の人気メニュー「メロンまるごとクリームソーダ」はフェスの名物になった。提供する飲食店「酒趣」(水戸市)の店主、井坂紀元さん(49)は「フェスは県民にとって自慢の一つだった」と残念がり、「戻ってくることを願うばかり」と声を絞った。 ■夏の風物詩 ファンからは移転を惜しむ声が相次いだ。 10年前からほぼ毎年参加していた笠間市出身で都内在住の会社員、荒川陽生(はるき)さん(30)は「フェスで帰省するのが楽しみだった。偶然昔の友人に会えるなど地元ならではの思い出があり、元県民としては悲しい」。移転先の千葉の公園で開かれた別のフェスに参加したことがあるといい、「ひたちなかは木陰で休める場所がたくさんあって魅力だった。また茨城に戻ってきてほしい」と願った。 水戸市の会社員、出沼めぐみさん(39)は「10年からほぼ毎年行っていた。多くの思い出があり、夏の風物詩的な存在だった」と寂しがった。ひたちなか市の高校1年、山崎華凛さん(16)は「有名アーティストの音楽に触れる機会が遠くなるのは残念」と話した。 ■周辺も影響 移転は周辺の催しにも影響を与えそうだ。 フェスと開催日が重なっていた「水戸黄門まつり」を主催する水戸市観光コンベンション協会は、誘客促進を目指し19年にリニューアル以降、日程を模索していた。担当者は「県外開催は残念。まつりの日程も再検討しないと」と述べた。 茨城放送(同市)は5日、独自の音楽フェスを企画すると発表。担当者は「茨城のフェス文化の灯を消すなを合言葉に、8月開催に努力したい」と話した。 移転を受けひたちなか市の大谷明市長は「20年間、市でイベントを開催していただき大変感謝している。新しい形での開催ができるよう、全面的に協力していく」とコメントを出した。