「人の行く 裏に道あり 花の山」。多くの人とは違った考え方で行動すること、つまり「逆張り」の大切さを説いた、投資の世界で有名な格言だ。不動産コンサルタントで、著書『厳しい時代を生き抜くための逆張り的投資術』がある長谷川高氏は、ビジネスも「逆張り」で考えれば、意外なところにチャンスが見つかるという。そのヒントになるのが、時代遅れと思われがちな質屋。一体なぜ、質屋はつぶれないのか……? 長谷川氏にそのカラクリを教えてもらった。
ビジネスは逆張りで考える
ほとんど注目されていない業種や職業、もしくは今では時代遅れの業種や職業に注目し、その業界に新たに参入する人は多くありません。だからこそ、その業界で何らかの工夫を加えた新ビジネスをやってみる、ということもまさに逆張り的発想です。
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たとえば、質屋という業種があります。私は周りで質屋をやっている人、または質屋で働いている人を誰も知りません。また質屋を利用している人も1人も知りません。
ですが、なぜか街中でときどき質屋を見かけます。1960年代以前を舞台にした小説などを読むと、よく大切な時計や和服などを質に入れてわずかなお金を借りるといった話が出てきますが、今はこのようなお金の借り方をしている人もほとんど見かけません。
現在の質屋は、品物を持っていってお金を借りるのではなく、ブランドものなどを持ち込んで現金に換えるといった業態に変わってきているように感じます。
私が質屋に興味を持った理由は、以前、質屋という貸し金業者がどのくらいの金利でお金を貸しているのだろうかと調べたためです。
その結果驚くべきことがわかりました。質屋では、貸金業法は適用されず、質屋独特の質屋営業法なる法律が適用されているのです。そのため、なんとグレーゾーン金利をはるかに上回る高い金利でお金を貸しているのです。
とはいえ、お金を借りるのであればクレジットカードのキャッシングや銀行系カードローンなどで十分事足りるでしょう。ですから、いまさら新たに質屋を開業する人はいないように思います。
しかし私は、ここに逆にチャンスがあるのではないかと思います。皆が見向きもせず、時代遅れだといい、競合する者が少ない。何か新しい発想を持った者はこの業界には入ってこない。しかしながら、貸金業法で規制されている金利をはるかに上回る高い金利を設定できるのです。
私の質屋に関するちょっとしたアイデアを少しお聞きください。
今後、日本においてカジノが解禁されようとしています。
このカジノの近くで質屋を開業し、中古の高級時計や宝石の販売店も併設します。つまり質屋と高級宝飾品店を隣接して営業するのです。
カジノでその日持参した現金をすってしまったお金持ちが、クレジットカードキャッシングによってATMからもお金を出し切った後に(カジノの中にATMがあるかどうかはわかりませんが、もし何らかの規制でATMがなければなおのこと)、その日さらに賭け事を続けたいと考えたときは、どうにかして現金をすぐに用立てようとするでしょう。そこで、カジノの近くにある宝飾品店が役に立つのです。
たとえば500万円の高級時計をクレジットカードで買い求め、その時計を隣にある質屋に持ち込むのです。質屋では、300万円程度しか貸してくれないかもしれませんが、高級時計を現金化して、再度カジノに向かうといった具合です。私のアイデアはこれを期待したものです。
これはある意味、カジノで遊ぶ富裕層をターゲットにした正真正銘の「富裕層ビジネス」です。
こういった質屋の営業の仕方が、間違いなく出てくると私は思います。
ここでミソなのは、高級宝飾品店とのセットだということ。ダブルでもうけるのです。
衰退産業こそ成長産業
農業においても、これまでのように、農協から資産を借り肥料や種子を購入し、農協を通して勝手に選別された農作物を販売していく形態が、全国的に変化しています。
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農業は若手の従事者や後継者が減り続け、極めて高齢化が進んでいる業種です。そのため耕作放棄地が増えています。
しかし一方では、衰退していると思われるこの業界の中でも、農業を事業ととらえ、しっかり利益の出るビジネスとして軌道に乗せている方々も多くいるのです。
農協に加入し組合員であれば農家は安泰であるといった時代は、すでに終わりを告げています。
賢明な農家は自らの商品を、農協を含めた中間業者を介して販売するだけでなく、東京や大阪等の大都市(または大手小売業者)へ販売するルートを持ち、またはネット等で直販して、より高い利益を得ているのです。
農業における販売面では、梱包や包装の仕方、商品の見せ方、またネットの活用など、まだまだ成長の余地があるのも事実です。
日本の農業は今までさまざまな規制に守られてきたこともあり(農地法等)、他者の新たな参入は非常にむずかしいものでした。
それゆえ、この何もかもが開発し尽くされた日本において、未開の地として残っているのです。だからこそチャンスがあるのではないでしょうか。
地方では、農業を専業でしっかりやっている方ももちろん多いのでしょうが、副業をしている方も少なくありません。たとえば工場で働いたり大工をしていたり、タクシー運転手をしながら農業をやっていたりします。
つまり「半農半タクシー」です。
そもそも百姓という言葉は、もともと江戸時代に「士農工商」でいう「農」の人々が、農閑期にわらじを編んだり、民芸品を作ったり、大工仕事をしたり、荒物を作ったりと、農業以外にいろいろなことをやっていたから、たくさんの別姓(呼び名)があったことを表しています。
私は地方を回っていろいろな方と話すのですが、その約半分以上の方が何らかのかたちで農業に関わっています。農業でもうかっているかどうかとか食べることができているかといった無粋な質問はしませんが、一つだけ彼らに共通していることがあります。
どの方も、表情が明るく、幸せそうであることです。
地方移住という逆張り的選択
これはいったいどういうことだろうと考えると、地方ゆえの独特の経済活動がしっかり存在することがわかりました(東京からすると独特ですが、地方では当たり前かもしれません)。
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地方に行けば行くほど顕著なのですが、米・味噌・醤油といった日本人が生きていくうえで最低限必要と思われるものを多くの家庭で自給自足しています。
また、人によっては家で取れた農作物だけでなく、簡単な労働力の提供(草取り、植木の剪定、農作業の手伝い等)などと、他の家の農作物や魚介類等を自然なかたちで交換することで、あまり現金の支出なくさまざまな食料を入手しているようです。
東京ではほとんど見られないこの食料や労働の交換を、私は勝手に「交換経済」と呼んでいます。
もちろん米・味噌・醤油や他の作物、魚介類だけでは生きていけませんので、それ以外のものを買うための現金支出は発生しますが、それを農業だけでなく副業で補っているのです。
ある農業学者によると、約240坪の土地があれば、家族4人が自給自足できる計算になるそうです。都会での生活やビジネスにこだわらないのであれば、地方移住という、これまたある意味逆張り的な発想による暮らし方が存在すると思います。
私が地方を訪れたとき、最初に目が行ったり仲良くなる人は、都会から地方へ越してきたという人がどうしても多いのです。
こういった方々の中には、地元企業向けにウェブデザインをやっていたり、ウクレレ教室や音楽教室をやっていたり、また、規模は小さいながらもめずらしいハーブを育てている人もいますし、まだ田舎ではめずらしいアロマサロンやネイルサロンを開業している人もいます。
そして、自分でも小さな畑を借りて何らかの作物を育てたり、農家の繁忙期には収穫を手伝ったりして、自分たち家族が必要としている食料の一部を得ています。
都会と地方を、どちらがより多く資産を持っているか、どちらがより収入が高いかといった面だけで比べてしまうと、その結果は明らかなのかもしれません。
しかし、私が地方で出会う方は、皆さんたいてい、人生を楽しみ、幸福であるように感じます。
この人たちは、そもそも逆張り的発想という考えで地方に来ているのはありません。単純に、「そうしたいからそうした」という結果でしょう。
そうであっても、私から見ると、これは間違いなくある種の逆張り的発想による行動に感じるのです。
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