不安煽る反原発団体の無責任 「美味しんぼ」騒動、新聞記者も「鼻血出た」

 5月16日、西日本新聞朝刊の南九州ワイド面の記者コラム「南風」に、鹿児島総局記者、湯之前八州の署名記事が載った。
 「漫画『美味しんぼ』を読んだ。登場人物が(東京電力福島第1)原発を訪問後に鼻血を出し、原因として放射線被ばくの影響を示唆するストーリーだ。(中略)『事故で鼻血が出ることはない』との政府の反論については、自分の経験から完全には信用することはできないとも感じる」
 「1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工会社で臨界事故が起きた。同県内の新聞社の記者だった私は、(中略)発生当初から取材した。同10月2日夜、現場の半径350メートル圏に出た避難勧告が解除され、避難所から帰る住民を取材しようと圏内の民家を訪ねた際に突然、鼻血が出た。(中略)他の新聞社の記者も鼻血が出たと聞き、放射線の影響を疑い県に聞いた。『鼻血が出るほど被ばくする事態はあり得ない』。安心する一方で、違和感も残った」
 この記事が掲載されたころ、小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」(4月28日発売)の漫画「美味しんぼ」が日本中で論議を呼んでいた。
 原発見学後に主人公が鼻血を出し、実名で登場した福島県双葉町の前町長、井戸川克隆が「私も鼻血が出ます」と語る描写に、「風評被害を生み出すものだ」と批判が高まった。
 美味しんぼ原作者の雁屋哲がブログで「福島を2年かけて取材し、しっかりすくい取った真実をありのままに書くことが、どうして批判されなければならないのか分からない」と主張すれば、双葉町は5月7日、小学館に対し「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない。町民だけでなく、福島県民への差別を助長させる」などとする抗議文を出した。
 「南風」の記事は、茨城県東海村の核燃料加工会社JCOで起きた臨界事故の取材を振り返ったものだ。
 この記事について、湯之前は産経新聞の取材に対し「さまざまな反響はありました。ただ、記事にすることでどんな影響が出るかを考えた上で執筆し、上司とも相談して手直しを受けて掲載しました」と述べた。
   × × ×
 医学的にいえば、JCO事故の取材活動や、現在の福島県で被曝(ひばく)する放射線によって、鼻血が出ることはあり得ない。
 放射線被曝による出血は、次のようなメカニズムで発生する。
 放射線によって血液を作る骨髄の機能が低下する。血を固める血小板が激減し、鼻に限らず腸管や歯茎など出血しやすい部位から、しみ出すように持続的に出血する。
 美味しんぼの表現のように、鼻血だけが突然流れ出ることはない。
 放射線の身体への影響は、実効線量(単位・シーベルト)で表す。そして、全身から出血するような急性障害は、1シーベルトつまり1千ミリシーベルトを超える放射線被曝が引き起こす。
 これ以下の被曝が引き起こす影響は極めて軽微だ。
 広島、長崎に落とされた原爆や旧ソ連チェルノブイリ原発事故などのデータを基に国際放射線防護委員会(ICRP)がまとめた勧告によると、年間実効線量が100ミリシーベルトになると、がんで死亡するリスクが0・5%増加する。1千ミリシーベルトになるまで実効線量の増加に伴い、リスクが高まる。
 もちろん、この数値は人口の0・5%が、がんになることを意味しない。その人が将来がんで死ぬ確率が30%だとすれば、100ミリシーベルトの放射線被曝によって30・5%になることを示す。
 「0・5%」という数値は喫煙や飲酒がもたらす発がんリスクより、はるかに小さい。
 放射線医学総合研究所(放医研、千葉市)によると、実効線量100ミリシーベルト以下では、放射線により、がん死亡率が増えることを示す明確なデータはない。
 JCO事故の際は、どれだけの被曝があったのか。日本原子力学会JCO事故調査委員会が平成17年にまとめた報告書によると、報道関係者は26人が被曝した。被曝線量は0・014~2・6ミリシーベルトだった。東海村住民の被曝線量は、最大25ミリシーベルトだった。
 ちなみに、原発事故と関わりなく、地面や宇宙から発せられる自然放射線による年間被曝線量は2・4ミリシーベルト(世界平均)だ。生きている限り毎年、2・4ミリシーベルトは被曝する。
 福島はどうか。県によると、原発事故後4カ月間の住民の被曝線量は、最大25ミリシーベルトで、99%以上は10ミリシーベルト以下だった。
 JCOを取材した報道関係者や、福島県民で鼻血が相次いだとするなら、それは放射線によるものではなく、過酷な取材環境や、被災のストレスが大きな原因だろう。
「原発事故によって鼻血」といった医学の常識とかけ離れた風説が、なぜ広がるのか。
 岡山大教授の津田敏秀(疫学、環境医学)は5月19日発売の週刊ビッグコミックスピリッツで「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」と指摘した。
 津田の主張は、科学の世界では「悪魔の証明」と呼ばれる。
 科学者は「100%ないことを証明できない限り、ないとはいえない」という姿勢を取る。宇宙人が「いる」ことを証明するには、1人見つければよい。だが、「いない」ことを証明するには、宇宙のすべての星を調べるしかなく、100%の証明は事実上、不可能だ。従って「宇宙人がいないとはいえない」というしかない。
 「そもそも放射線のない世界はない。放射線による影響は、線量で考えるのが基本です。鼻血問題のように、これを無視した話が出てくるのは、暗に放射線や原発への不安を煽り、反原発運動に利用しているとしか考えられません」
 京都医療科学大学長の遠藤啓吾(放射線医学)はこう指摘する。
 美味しんぼ騒動について官房長官の菅義偉は5月19日の記者会見で「報道や言論の自由はあるが、真実に基づいた報道は大事だ」と強調した。
 不安を煽るのは、反原発団体も負けてはいない。
 6月2日、九州で活動する複数の反原発団体が、福岡市の多目的施設「ふくふくプラザ」(中央区)で勉強会「玄海原発避難計画で、私達の命は守られますか?」を開いた。質疑応答の中で、一人の中年女性が、こう自説を述べた。
 「私は、東京から福岡に避難した友人がいます。いつも鼻血が止まらないとこぼしています」
 6月13日、鹿児島県庁で反原発団体のメンバーが、川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働をしないよう県知事の伊藤祐一郎に求める要請文を提出した。
 この際、福島県郡山市から子供2人を連れて京都に避難しているという中年女性が、応対した危機管理局長の屋島明人に対し、こう詰め寄った。
 「これから全国でも、放射能汚染された空気や住宅建材で被曝されると思います。私はいろいろな傷が1年半、2年たっても治りませんし、虫歯も数え切れないほど増えました」
 「原発再稼働の前に、福島の現実を直視すべきだ」
 反原発団体のメンバーは、よくこんな言葉を口にする。
 湯之前もコラム「南風」の末尾に「美味しんぼの内容をいくら政府が否定しても、支持する読者がいる背景には、こうした国不信、原子力不信があるのは明らかだ。(中略)多くの県民が納得する内容にしない限り、(川内原発)再稼働は許されない。美味しんぼを読んで、そう強く感じた」と書いた。
 だが、反原発団体の非科学的で情緒的な扇動こそ、科学的事実に基づかない「放射線恐怖症」を引き起こし、鹿児島県民の放射線に関する正しい理解を阻害しているのではないか。本当に福島や川内原発周辺の住民に思いをはせるのなら、偏見に満ち、風評被害を助長する発言を真っ先にやめるべきだろう。(敬称略)

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