不意の『ゼクシィ』襲来!…が起こるワケ “結婚式なら”つねに一人勝ち、圧倒的な強さの秘密

■二郎系ラーメン好きの男ならいようけれど……
『ゼクシィ』。重量感たっぷりの冊子から、付録がこれでもかと溢れだすそのさまは二郎系ラーメンを思わせる。二郎好きの男ならいようけれど、この雑誌を好きな人はそうはいない。この鈍器が不意に部屋に置かれていたとき、人はそれを「ゼクシィテロ」と呼ぶというのだから、穏やかではない。
これがテロになりうるのは、女性はもちろん男性も、この雑誌が結婚を意味することを十分すぎるほど知っているからだ。今や日本における結婚は『ゼクシィ』なくしてはありえない。この襲撃を受ける前に政治的決断を果たした男性も、どうせこの雑誌に頼らざるをえないということが、現実をよく説明している。
『ゼクシィ』はなぜここまで信頼されているのか。その謎を解くべく、この4月に編集長(首都圏版など)に就任した神本絵里さんにお話を伺ってきた。
彼女が挙げた編集の大方針は二つ。花嫁さん視点に徹すること、そして結婚式なら『ゼクシィ』というイメージをつくることだ。
特に前者については、伊藤綾・統括編集長が2006年に首都圏版の編集長になったころから、変化が著しい。
同年には『ゼクシィ』を利用して結婚した花嫁たちを集めた「花嫁1000人委員会」という組織が生まれ、企画を立てるときには彼女たちに意見を聞くこともあるという。『ゼクシィ』は編集部が主導する商業誌というより、この花嫁たちのコミュニティをつなぐ雑誌になりつつあるようだ。
聞けば、近年、結婚式は花嫁主体のものから、周囲を巻き込むものへと変わってきたという。『ゼクシィ』が結婚式を媒介として、結婚の潮流に敏感に反応するのは当然のこと、そういう目でバックナンバーを見直してみると、たとえば『父母ゼクシィ』を投入すると同時に、『親想いゼクシィ』という、親のホンネを理解しようという付録を登場させている。
これは一方では、親との協力を強調しているように見えて、その実、子どもたち主体の結婚式という時代の雰囲気をも語っている。友人たちと共に自分たちの結婚式をつくるようになったからこそ、親たちとの関係の切り結び方をサポートする必要が生じたと言えるのだ。
■花嫁主体からカップル一体、周りを巻き込む結婚式へ
2010年9月に「ふたりらしい結婚式」のつくり方Specialという特集が組まれたのもその潮流の一環かもしれない。そのときの副題は「わたしも! 彼も! ゲストも楽しい!」である。だが、この副題が一見花嫁主体の結婚式からの離陸を示唆しながら、同時に結婚をめぐる人々を、花嫁を中心とした同心円上の広がりの中にとらえていることには注意する必要がある。
というのも、2010年12月の『ゼクシィ』の「新創刊」は、結婚の中心を花嫁からカップルへと明確に移行させたからだ。そこでは結婚式はカップルが一体としてつくるものという感覚が前面に押し出され、以降は「ふたりらしさ」を強調する編集がより際立つようになる。
それと同時に、「新創刊」後の構成は、「一生続く“幸せな結婚”」など「結婚後」を見据えたものになった。たとえば付録も、ファッション誌に付くような単にカワイイものから、カワイイながら結婚生活において実用的、つまり結婚後を想像できるようなものに変わってきた。
こうした一連の傾向は(彼女たちはそういわれるのを嫌がるけれど)、『ゼクシィ』もまた、結婚を現実的に考えようとする婚活ブームの影響を強く受けていることを示唆しているように思う。話題になった「妄想用婚姻届」もそう。カップルで和気あいあいと具体的な夫婦のかたちを決められるよう配慮したこの付録は、結婚前から将来のことをしっかり考えようという、婚活の気分を多分に含んでいると言える。
とはいえ、表立ってそんな潮流を取り上げはせず、その誌面は、いつでも幸せな結婚への賛歌を奏でつづけている。そしておそらく、若い結婚予備軍はその賛歌、美しく包装された現実を求めているのだと思う。結婚予備軍とて社会の潮流に無自覚なわけではない。
けれど、誰しも冷徹に現実を直視するのはつらいものだ。『ゼクシィ』への全幅の信頼は、結婚式の知識という内容はもちろんのこと、結婚賛歌と時代の潮流の絶妙なバランスの上に成り立っている。打倒『ゼクシィ』、そんな猛者はしばらく現れそうもない。

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