世の中に「乗宣節」があふれている (ゲンダイネット)

最近出版されたビジネス本や経済紙のコラムを読んでいると、危機感の強さに驚かされる。右も左も悲観的な“乗宣節”のオンパレード。本家がかすむぐらい強烈だ。「日本経済は復活する」とか「日本は生き延びる」とか、幻想を振りまいているのは、ごく少数派である。
 やむを得ないだろう。いまは世界史的な転換点にある。経済のバランスも不安定だ。しかも、変化に対処する最善の策は見当たらないのだから、不安は増幅するばかりとなっている。
 日本では、閉塞状態が長引く元凶をねじれ国会に求める風潮がある。民主党が数合わせに走ったり、熟議だ何だと建前を言ったりするのも、ねじれ状態で物事を進める手順が限られるからだ。
 しかし、グローバル規模のねじれはもっと深刻である。
 いまや経済の中心は米国市場というよりも、中国や南米、インドである。グローバル展開している企業は、変化に乗り遅れまいとして、成長市場に進出している。
 だが、政治ではいまだに米国が中心だ。経済で中心となった中国は、東西冷戦の枠組みを引きずっている。このミスマッチが問題を複雑にしているのだ。
 中国は民主的な手続きを踏まえた近代政治の経験がない。個人の自由が制限された全体主義国家であり、報道規制も激しい。その一方で積極的に商品経済化を進めている。歴史的に見ても珍しい国だ。
 普通なら、商品経済化によって政治は民主化する。個人の自由や情報の多様化は、商品経済にとって必須だ。制限をかければ、成長の足は引っ張られる。非民主主義の中で経済をワークさせるには限界があるのだ。
 それでも、現段階では、問題を抱える中国が世界経済の大黒柱となり、自由主義の旗振り役だった米国は生き残るのにアップアップとなっている。経済と政治の矛盾を直視すれば、だれもが危機感を募らせるのは当然だろう。
 経済の主役が代わるときは基軸通貨も移行する。かつてポンドはドルにバトンを譲った。だが、ドルが元に移行することはないだろう。中国がいまの体制を続けるのなら、元を準備通貨とする国が増えるとは思えない。マーケットもそれを求めていないだろう。
 ねじれは温存される。だが、長くは続かない。不自然な状態によってためられたエネルギーは、いずれ暴発せざるを得なくなる。それが今年となるか、来年となるか――。Xデーは迫っている。

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