世界に知られた日本の顔 YMO時代に萌芽 坂本龍一さん死去

3月28日に亡くなった音楽家の坂本龍一さんは、指揮者の小澤征爾さんや芸術家の草間彌生さんらと並び、世界的に名の知れた日本のアーティストの「顔」的な存在だった。

インタビューに答える坂本龍一さん=東京都港区で2016年4月1日、宮武祐希撮影© 毎日新聞 提供

 坂本さんの世界志向は、出身である音楽グループ「YMO」時代にすでに萌芽(ほうが)があったといえる。グループは「イエロー・マジック・オーケストラ」と称し、白色人種でも黒色人種でもない、アジアの黄色人種のバンドであることをメンバーたちは強調。人民服風の赤いコスチュームに身を包みワールドツアーで演奏するなど、欧米人が席巻していた当時の音楽界に相対することで地歩を築いた。

 本格的に世界に打って出たのは、映画と関わるようになってからだ。1983年公開の映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)では音楽を担当しただけでなく陸軍大尉役として出演。デビッド・ボウイ演じる敵軍捕虜と対峙(たいじ)することで存在感を示した。映画はカンヌ国際映画祭に出品され、同映画祭での受賞は逃したものの英国アカデミー賞作曲賞を受賞。世界から坂本さんに視線が注がれた。

 87年公開の映画「ラストエンペラー」(ベルナルド・ベルトルッチ監督)でも、日本人将校を演じるとともに音楽を手がけ、同作は米国のアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞でいずれも作品賞と作曲賞を獲得。坂本さんは一躍グローバルな名声を得て、90年にはニューヨークに拠点を移した。92年にはバルセロナ・オリンピックの開会式の音楽を担当、指揮台にも立ち、テレビ中継を通じて世界に顔を知られる存在となった。

 その後もベルトルッチ監督の「リトル・ブッダ」やブライアン・デ・パルマ監督の「スネーク・アイズ」「ファム・ファタール」といった名監督の映画音楽を手がけるだけでなく、世界3大映画祭のうち、ベネチア国際映画祭とベルリン国際映画祭のコンペティション部門で審査員を務めた。またデビッド・シルビアンやアルバ・ノトら欧米の著名アーティストとのコラボレーションにも注目が集まった。近年は、北京でインスタレーションを中心とした個展も開催。その活動地域をさらに広げていた。【広瀬登】

坂本龍一さんの主なアルバム・映画音楽

1978年 アルバム「千のナイフ」

  80年 アルバム「B―2ユニット」

  83年 映画「戦場のメリークリスマス」の音楽

  84年 アルバム「音楽図鑑」

  87年 映画「ラストエンペラー」の音楽

  89年 アルバム「ビューティ」

  93年 映画「リトル・ブッダ」の音楽

  95年 アルバム「スムーチー」

  98年 アルバム「BTTB」

2002年 映画「ファム・ファタール」の音楽

  04年 アルバム「キャズム」

  07年 映画「シルク」の音楽

  09年 アルバム「アウト・オブ・ノイズ」

  15年 映画「母と暮せば」の音楽

  17年 アルバム「async」

  21年 映画「MINAMATA―ミナマタ―」の音楽

  23年 アルバム「12」

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