世界最古の企業、金剛組の歴史と強み

日本は、世界的に考えても老舗企業がたくさんある国だということをご存知でしょうか?どのくらいあるかというと、創業100年以上の「長寿企業」は全国に2万2219社、うち創業500年を超える会社は39社あります。
日本は老舗企業が多い国
例えば、お隣の韓国は、「三代続く店はない」と言われ、実際にその通りのようですし、中国は漢方薬で300年を超える歴史を持つ「北京同仁堂」かありますが、日本には500年を超える企業が39社もあることを考えるとそれほどではありません。さらに、中国では社会主義政権下で「株式会社」が認められてこなかったため、百年以上の歴史をもつ企業はないと言うこともできます。
では、遠くヨーロッパに目を向けてみるとどうでしょう。ヨーロッパには、家業経営歴200年以上の会社のみが加盟する「エノキアン協会」というものがあります。この協会に加盟する企業のうち、最古の企業が1369年に設立されたイタリアの金細工メーカー。なんと創業640年。しかし、日本には、このイタリアの老舗より古い会社がいくつも存在するのだそうです。
長寿トップの企業、金剛組
中でも、長寿トップは、大阪市天王寺区にある株式会社金剛組(株式会社高松コンストラクショングループ )。 金剛組の創業は、飛鳥時代の578年。日本最古のみならず、世界最古の企業であり、イギリスの「エコノミスト」誌からも世界最長寿企業として太鼓判を押されています。
金剛組の始まりは、四天王寺を建立するため、聖徳太子が百済から招いた3人の工匠のうちの1人であった金剛重光と言われています。当時は聖徳太子が日本に仏教を広めようとしていた時代でした。その後、代々にわたって四天王寺の建築に携わり、当時の最先端の工法を日本に根付かせたのです。
天王寺以外にも、法隆寺の建立(607年)や、水戸偕楽園・好文亭の復元など、金鋼組は寺や神社の建築と修復に携わり、宮大工たちに発注して完成させる仕事を続けてきました。業歴は実に100年、500年どころか、1400年以上に及び、現在の相談役である四天王寺正大工の金剛利隆氏は、第39代目に当たります。
1400年以上の年月の間には、もちろんたくさんの試練がありました。明治維新の時、昭和恐慌の時、そして現代になってからも、2006年に破産申請の記事が掲載されました。しかし、いずれの危機もなんとか乗り越えています。
金鋼組には、第32代金剛八郎喜定がのこした<遺言書>が残っているそうです。喜定は<職家心得の事>で以下のように記しています。
「お寺お宮の仕事を一生懸命やれ」
「大酒はつつしめ」
「身分にすぎたことをするな」
「人のためになることをせよ」
なんともシンプルな内容ですが、この家訓が、苦難にあって初心にかえることの大切さを教え、金剛組の進むべき方向を示したのかもしれません。
金剛組の強みは宮大工
ところで、金鋼組には8組110名の宮大工がいます。宮大工とは、私たちは最近あまり耳にしない言葉でもありますが、それは古来伝統建築の技術集団で、社寺など日本古来の木造建築を手がける大工のことです。
宮大工は、釘や金物を使わず「継手」、「仕口」といった技法を使い木の微妙なクセを読み、社寺建築に絶妙の施工を施すことができる匠です。その宮大工と金鋼組の関係は、今の私たちには馴染みがないものです。それは例えれば、華道や茶道の家元と師匠の関係にも似ています。
つまり、家元から声がかかると、師匠を通じて弟子たちが集まる仕組みです。宮大工の組は、それぞれが切磋琢磨しながら技術に磨きをかけてきました。当然、それぞれに得意分野があり、金鋼組はその特性を掴み、傘下の宮大工達に満遍なく仕事を割り振るのが役目です。つまり、金鋼組の社員は、管理が主な業務というわけです。
社寺建築は、その独自の伝統技術と木造建築技術の粋を集めた技術レベルの圧倒的な高さでこれまで宮大工の独壇場でした。しかし、その承継者は年々、減少しています。とはいえ、建物は必ず古び、修築が必要になるもの。金鋼組の高度な建築技術を持つ専門集団が再び求められる時が必ずくることでしょう。

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