世界遺産 古代国家形成の象徴 巨大権力を国内外に誇示

国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関のイコモスが、世界文化遺産に「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」(大阪府)を登録するよう勧告した。日本列島に国家はいつ誕生したのか。百舌鳥・古市古墳群は、その謎解きの大きな鍵を握る存在といえる。

【図でみる】百舌鳥・古市古墳群の場所

 古代国家の成立は、国の法律である律令(りつりょう)が制定され、天皇中心の中央集権体制が築かれた7~8世紀の飛鳥時代というのが一般的。同古墳群ができた4~5世紀の古墳時代は、その前段階だ。大阪府立近(ちか)つ飛鳥博物館の白石太一郎名誉館長によると、当時は大和(奈良県)や和泉・河内(大阪府)、吉備(岡山県)など各地の首長による連合政権だったという。

 一方、中国大陸では4世紀、北方遊牧騎馬民族が南へ勢力を伸ばして朝鮮半島北部の高句麗(こうくり)に迫った。高句麗は半島南部の新羅(しらぎ)や百済(くだら)に侵攻。高句麗の南下を脅威に感じた大和政権は百済と同盟を結び、防衛力強化のため、百済から最先端の軍事力だった騎馬の技術を積極的に導入した。

 これにより、瀬戸内海を通じて大陸との外交を担っていた大阪湾に近い和泉・河内の勢力は、次第に政権の中枢を握るようになったとみられる。3~4世紀に大和を中心に築かれていた巨大古墳が、4世紀末から突然、大阪平野の和泉・河内の地に移ったのも、こうした力関係を示していると考えられる。

 「そのことを如実に物語るのが百舌鳥・古市古墳群の出現」と白石さん。国内最大の仁徳天皇陵古墳(堺市、墳丘長486メートル)をはじめ全国の巨大古墳ベスト10に5基が入っている同古墳群は、海上からみることができる大阪湾近くに築くことで国内外に巨大権力を誇示していたとみられる。白石さんは「東アジアの大きな変化の荒波に巻き込まれることになったことを示す」と説く。

 武器、甲冑(かっちゅう)などの金属加工技術だけでなく、文字の使用も本格的に始まった。日本書紀などには、王仁(わに)博士が論語や千字文(せんじもん)を伝えたと記す。白石さんは「倭国(日本)が東アジアの文明社会に加わったのがこの時代。古代の文明開化ともいえ、国家がどのように形成されたかを示す貴重な歴史遺産だ」と話している。

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