中国を批判したら、即「アジア人差別!」…すぐに「個人攻撃」する、行き過ぎた社会

<ウイグル人への人権侵害を批判すると、「アジア系の人々に対するヘイト」と大学内から攻撃を受け、やむなく退学に。多角的な視点で議論できるような場であってほしい>

いつだって私は言論の自由の熱烈な信奉者だった。自分たちの経験について話し合い、学び、それぞれの多様なバックグラウンドを理解することが私たちの存在を形作り、人生の目標へと導いていく。

人はなぜ特定の信念を持つのかについて興味があったから、米エマーソン大学に入ってすぐに政治団体に参加しようと思ったのは自分にとって自然なことだった。

保守派の学生団体に入って数カ月後、2021年秋学期の初めにイベントを開催した。22年北京冬季五輪を踏まえ、新疆ウイグル自治区のウイグル人に対する中国共産党の人権侵害を批判するものだった。

私たちはステッカーを配った。中国共産党が犯した数々の残虐行為について議論する教育的イベントのつもりだったのに、最終的にそれはアジア系の人々に対する「ヘイト(憎悪)」だと曲解された。

SNSの投稿を機に、翌日には大学の学長が「反アジアの偏見と憎悪は非難されるべき」と声明を出した。すぐに大学中の学生から何百ものメッセージが届き、SNSで私は「うさんくさい」「うんざりするほど幼稚」と言われた。

この出来事から3カ月半の間、私はかつて経験したことのないほどの人々の憎悪や攻撃、早合点を経験した。

大学のクラスでも、私に対する扱いが劇的に変わった。授業に加わろうとしてもうまくいかず、私は自分の意見が言えなくなっていった。教授や学生は私の存在に気付かないか、すぐに標的にしてくるかのどちらかのようだった。

闘う価値のない闘いも

大学新聞が例の事件に関する記事を次々と掲載したため、私はますます攻撃の対象となった。不安と憎悪が膨れ上がり、事態は悪化し続けた。

人との接触を避け、食事は全てテイクアウト、授業はオンライン──それが日常になり、結局、残りの学期は寮の部屋で孤立して過ごした。

私が自分の経験から理解したのは、多くの学生が保守派を憎んでいるわけではなく、若者の間で保守主義への理解が不足しているということ。自分の世界観に反するものは全て「個人攻撃」と見なす社会に生きている結果だ。

大学のキャンパスはオープンな対話を促し、多角的な視点を育て、多様性を擁護する環境であるべきだと思う。それが、大学卒業後に直面する現実なのだから。

私は事件後に大学を離れた。人生には闘う価値のない闘いもある。私は将来を優先し、情熱を別の場所へ向ける必要があった。

全ての出来事には理由があると思う。あの経験がなかったら、現在所属するリーダーシップ・インスティテュートのインターンシップに参加し、最高に誇りに思う仕事に就くこともできなかっただろう。

私は今、全く新しい世界にいる。人々は議論や真実の探求に前向きで、そうした権利の尊さを共に理解している。私を憎みたい人は好きなだけ憎めばいい。私はその権利を奪うより、むしろその憎しみに向き合いたい。

私は政治向きの人間ではなく、政治関連のNPOで働いているなんて自分でもおかしい。でも好むと好まざるとにかかわらず、政治は日常のあらゆる場面に関わってくる。

未来を思うなら政治活動への参加は必須。自身のエネルギーと努力を次世代のために使ってほしい。若者たちにはそうアドバイスしたい。

KJ・ライナム(「リーダーシップ・インスティテュート」イベントコーディネーター)

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