中国人の「日本人観」、匠の精神を尊敬もビジネス面ではイマイチのなぜ

21世紀に入って、ビジネスや旅行など多方面で日中交流が活発になり、中国人は日本人に様々な印象を抱くようになった。良いものもあれば、当然、悪いものもある。今の中国人が持つ「日本人イメージ」を取材した。(ジャーナリスト 姫田小夏)

中国人が刮目する日本の「匠の精神」

 かつて、中国人が抱く日本人像は単一なものだった。映画やドラマを通してみる日本人像は、軍人、亭主関白、良妻賢母というのが典型的なイメージだった。ところが、21世紀に入り経済交流や民間交流が活発になると、より“リアルな日本人”に接する機会が増え、そのイメージは大きく変化する。

 日本人像を巡って近年、中国人が“刮目”したのは「匠の精神」だ。ここ数年、書店には「匠の精神」をテーマにした書籍が並んでいる。「脇目もふらない、一心不乱のものづくり」という日本人の集中力は中国人の間でも広く知られるようになったが、中国政府の要人でさえも、これに一目置いている。

 今年2月、国務院国有資産監督管理委員会が発行する雑誌『国資報告』に「“工匠精神”縦横談」と題した文章が掲載された。「工匠精神」とは「匠の精神」の中国語である。文章は冒頭で、迎賓館や国会議事堂の家具を手掛けた有限会社秋山木工(神奈川県)の代表取締役秋山利輝氏を紹介しつつ、「この『匠の精神』の不足が中国製造業の発展のボトルネックになっている」と述べている。中国では、どのようにしてこの「匠の精神」を高めることができるのか、国を挙げたテーマとなっているようだ。

 実際、上海同済大学のMBAコースで学ぶ張艶さん(39歳)は、「中国人と日本人との違いは何かを考えたときに、『匠の精神』が決定的な差になっていると感じました」と話す。また、陳玉さん(42歳)が「中国でもこれと似たような『干一行愛一行』(「行」は中国語で職業の意味)という言葉をメディアがよく取り上げます」と語るように、自分の仕事にもっと誇りを持とう、という呼びかけが行われるようになった。

 一方で、上海在住の日本人からは「日本人が全面的に尊敬されているとは思えない」という声も聞かれる。上海の日系企業に勤務する柴崎美紀さん(仮名、46歳)さんは、「長年ここで生活していますが、むしろ日本人としての肩身の狭さを感じています」という。現地採用を希望する日本人への就労ビザ申請を例に、柴崎さんは次のように話す。

「私は日系企業で総務の仕事が担当で、就労ビザ申請のためによくビザセンターに足を運びましたが、採用予定の日本人応募者の履歴書を見て『なぜこのレベルで通訳ができるのか』と、書類を突き返されてしまいました」

 通訳が必要ならばローカル人材で十分、わざわざ日本から呼び寄せる必要はないじゃないか、というのが当局の言い分だ。背景にあるのは、「中国人の日本語」は「日本人の中国語」よりはるかに秀でているという現実である。

飲みに行っても日本人は支払いを渋る

 2000年代半ば、雇用が冷え込みリストラの嵐が吹き荒れた時期に、日本を飛び出した若者は「現地採用の即戦力」として上海の日系企業で歓迎された。日系企業にとって客先が日系企業であることが多く、日本流の商習慣やビジネスマナーが身に着いている日本人求職者は引っ張りだこだった。

 ところが近年は、日中の商習慣を身に着け、日本語も流暢な「中国人人材」が続々と輩出されるようになった。「欧米への留学経験あり」「3カ国語を話すのは当たり前」、さらには「ITの高い専門性」など高度な中国人人材の出現で、日本人の存在感はかすんでいく。

 半導体関連企業の上海子会社に在籍する中国人管理職は、「現地採用や駐在員にかかわらず、海外で競争力を発揮できる日本人といえば、もはや『技術者』だけと言っても過言ではありません」と断じる。

 ちなみに、日本人の現地採用者の給与相場は2020年を目前にし、2000年代のおよそ倍になったが、中国人材の紹介を中心に事業展開する上海霓索(NISSO)人力資源服務有限公司の杉川英哲総経理によれば、「海外志向を持つ日本人は、中国よりも東南アジア諸国に目を向けている傾向があります」という。日本では就活生の間でアリババやファーウェイなど中国企業への関心が高まっているともいわれているが、中国では「日本人の求人、応募者数とも大幅に減少しているのが現状」(同)だ。

 日中ビジネスに携わる中国人にとって、日本企業からの出張者と一献交えるのも仕事のひとつだ。上海で輸出業務に携わる宋衛平さん(55歳・仮名)は、日頃、日本人ビジネスマンと接して思うことを率直に語ってくれた。

「ビジネスパートナーの日本人と一緒に飲みに行く機会が多いのですが、彼らが進んで支払いを済ませることは稀で、私が会計するのをじっと待っています。ホテルでは、たった10元(約150円)のボーイのチップも抵抗があるようです。日本人の生活の苦しさを目の当たりにすることが増えました」

「日式子育て」が中国人ママの間で人気

 ビジネスシーンから民間交流に目を転じれば、そこにはまた異なる日本人像が浮き上がってくる。買いたいものを買い、行きたいところにも行きつくした上海の中国人たちは、「日本再発見」の対象を“日本人そのもの”に向けるようなった。その1つが、“日本人の子育て”である。

 日ごろから中国人ファミリーと積極的に交流している上海在住の天白舞乃(てんぱくまいの)さん(36歳)は、「周囲の中国人がやたら“日式子育て”を褒めてくれるようになった」といい、その“逆発見”をこう語る。

「中国では親が子供の学生鞄を持つのが普通ですが、『日本人は自分で持って通学するんでしょ』と感心されます。電車通学する小学生が静かに読書をする姿を目撃した中国人は、『すごいよね』と驚嘆しています。去年、うちに遊びに来た中国人の友人は、冬の室内で靴下を脱いではしゃぐ息子を見て、『これが日本の教育だよね』と言ってくれました」

 上海では、冬は子供に厚着をさせるという根強い習慣があるが、運動能力をそぐといったマイナス面も存在した。学校への送り迎えは親が付き添い、その荷物を親が持つのは、宿題山積みの我が子の負担を少しでも減らしたいという親心からだ。過去には誘拐事件が多かったことで、親は神経質になった。何より、1979年~2015年までは「一人っ子政策」だったのだから、親は「たった一人の我が子」に対して過保護にならざるを得ない。

 日中の違いにはこうした風土や社会的背景の違いがあるが、近年の中国人に「学ぶべきは学ぶ」という虚心坦懐さが強く表れるようになったことは、大きな変化だといえる。

 1940年代生まれ――現在70代の中国人は、日本人に対してかなり用心深い世代だ。上海でも「身内が日本軍の犠牲になった」という家庭は少なくない。上海市閔行区に在住の趙偉峰さん(仮名、70歳)もそのひとり。「日本軍から命からがら逃げた」という親の記憶を語り継がれて育った世代だ。

日本嫌いだった夫の心を溶かした太宰府での出来事

 その趙さんには、捨てられない“思い出の傘”がある。2017年に日本を訪れた際、ある日本人からもらったビニール傘だ。

 趙さんは今、筋肉が硬直して歩行が困難になる難病を患い、苦しい闘病生活を送っている。発声能力もかなり低下してしまった夫に代わって、妻がビニール傘の話をしてくれた。

「2年前、まだ少し歩くことができた夫を連れて、これが最後の旅行と覚悟して日本を訪れました。体への負担を考えて選んだのが、博多と釜山をめぐるクルーズツアーでした。太宰府を観光した際、私の肩につかまりヨロヨロとしか歩けない夫を、どこかの商店の奥さんが見ていたのでしょう。後ろから追いかけてきて、ビニール傘を差し出してくれたのです。『杖の代わりに使って』と、身振り手振りで示してくれました。あわてて財布を取り出して代金を払おうとすると、『いらない、いらない』と手を振って、彼女はそのまま走り去っていきました。その傘を、夫は今なお宝物のように保管しているのです」

 妻によれば、趙さんはそれまで頑なに「日本にだけは行きたくない」と言っていた時期もあったという。だが、この最後の訪日旅行が、趙さんの心の中の“日本人像”を大きく変えた。

 同じ東アジア人で、見た目はそっくり。けれども互いに異なる点がいっぱいある――。私たちが中国人に対して果てしない関心を抱くように、中国人もまた日本人に無関心ではいられない。ときには失望したり、ときには再発見に感動したり。恐らく日本人と中国人はこれを連綿と繰り返す“間柄”なのかもしれない。

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