東京都江東区豊洲──その湾岸エリアにそびえ立つタワマンは若い日本人セレブ世帯の憧れ……だったはずが、異変が起きている。中国人富裕層に続々買い集められているのだ。ジャーナリストの西谷格氏がレポートする。
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「中国富豪が集まる豊洲タワマン 孫正義も住みたくなる!」
「毎日五ツ星ホテルで暮らせたら、どんなに素敵なことでしょう?」
「東京の美しい景色を心ゆくまで楽しめます」
中国のSNS上には昨今、こんな謳い文句とともに豊洲の高級タワーマンションを紹介する動画が次々とアップされている。安さではなく、そのゴージャスぶりや環境の素晴らしさを強調しているのが特徴的だ。
都内で中国人の集まるエリアというと、多国籍な新宿区やチャイナタウンを有する豊島区、物価や家賃が比較的安価な江戸川区などが真っ先に思い浮かぶ。だが、東京都が発表した2023年の外国人人口統計によると、23区内で中国人人口がもっとも多いのは、実は豊洲やベイエリアを有する江東区である。
中国に詳しいジャーナリストの舛友雄大氏はこう解説する。
「夫婦とも大企業に勤めるエリートビジネスマンや会社経営者など、中国社会の成功者たちが豊洲をはじめとしたベイエリアのタワマンに住むケースが増えています。世帯収入は少なくとも1000万円以上あると見られ、平均的な日本人より明らかに余裕のある生活を送っています」
200人のグループチャット
何が彼らを惹きつけるのか。豊洲のタワマンに住む中国人男性が言う。
「豊洲の街並みは中国とよく似ているのが良いんです。銀座までタクシーで10分程度と都心に出やすく、買い物もしやすい。街が新しいので活気がありますね」
豊洲駅周辺を歩いてみると、目抜き通りは片側5車線と道幅が広く、都心のゴミゴミとした窮屈さは皆無。大ぶりな建物群や巨大ショッピングモール「ららぽーと豊洲」、街のあちこちに点在するシェアサイクルは、確かに中国の都市空間を彷彿とさせる。羽田空港まで直通バスで20分というアクセスの良さも、外国人には魅力的だろう。前出の中国人男性が続ける。
「うちのタワマンの中国人率は2割ぐらい。ウィーチャット(対話アプリ)のグループには中国人住民が200人ぐらい登録していて、新オープンのお店や美味しいご飯屋さんなどの情報交換をしています」
豊洲駅から徒歩数分のこのタワマンの販売価格は1億~2億円ほどで、共用スペースにはフィットネスルームや卓球台、コワーキングスペースやパーティールームを完備している。
中国国内では集合住宅の敷地ごとに高いフェンスや門を設けて緩やかなゲーテッドコミュニティを形成するのが一般的だが、1000戸以上の人々が暮らす豊洲のタワマンは、中国人にとって母国のコミュニティにも似た安心感がある、まさに“チャイナタワマン”と呼べるものだ。
だが、日本人居住者の心境は複雑だ。同じタワマンに住む日本人女性は、声をひそめて言う。
「入居するまで、こんなに中国人が多いとは思いませんでした。この先どんどん増えて、中国人だらけになったらどうなるんだろうと不安です」
購入した物件がチャイナタワマンと気づかなかったのも無理はない。
ここに暮らす中国人住民は爆買いやパクリ製品などから想起される旧来の中国人像とは一線を画しており、教育水準の高いグローバル人材が大半を占める。見た目や雰囲気は日本や欧米のビジネスマン同様にシックで洗練されており、ブランドロゴをこれ見よがしに見せつけるようなことはしない。声量も決して大きすぎることはなく、マナー面の問題も特にない。
こうした“先進国仕様の中国人”は日本社会にさり気なく溶け込んでおり、隣近所に住んでいても気づかれにくい。実際、某チャイナタワマンに住む日本人男性はこう言った。
「中国の方がそんなにたくさん住んでいるなんて、全然感じませんね」
「潤(ルン)」と呼ばれる社会現象
豊洲の不動産会社代表は、チャイナタワマンの住人についてこう言う。
「2か国語や3か国語は話せるのが当たり前というハイスペックな方が多く、その上、出勤前に毎朝ジムに通うなどセルフコントロールのできる人が目立ちます。仕事終わりに飲みに行くことはあまりなく、一緒に食事したり、車で送り迎えを積極的にしたりと家族の時間を大切にしている」
豊洲には中華食材スーパーやガチ中華を出す店は決して多くないが、彼らにとってそれらは至近距離にある必要はない。
「ビジネスで日中間を頻繁に行き来している人が多いので、ガチ中華店が近所になくても、あまり困らないようです。数か月おきに母国に帰ることができるので、留学生や技能実習生とは生活スタイルが根本的に異なります。豊洲周辺はインターナショナルスクールも多く、教育熱心な中国人富裕層にとって、住環境としての満足度は高いようです」
中国エリート層の間では近年、先行き不透明な中国社会を懸念し、海外に脱出する「潤(ルン)」と呼ばれる社会現象が発生している。「潤」の発音記号が英語のRun(逃げ出す)と同じことから生まれた隠語だ。海外移住を目指す中国人富裕層にとって、豊洲はその格好のターゲットと映る。前出の舛友氏が言う。
「不動産市場が頭打ちとなっている中国国内よりも、価格上昇を続けている豊洲エリアのタワマンを買ったほうが賢明との判断があります。中国人富裕層の間で、豊洲人気はしばらく続くでしょう」
ハイクラス中国人による新チャイナタウンが日本各地に広がっていくのだろうか。
【プロフィール】
西谷格(にしたに・ただす)/1981年、神奈川県生まれ。ジャーナリスト、ライター。地方紙『新潟日報』記者を経て、フリーランスとして活動。2009年に上海に移住、2015年まで現地から中国の現状をレポート。著書に『香港少年燃ゆ』『ルポ 中国「潜入バイト」日記』など。
※週刊ポスト2023年9月29日号