亘理・荒浜の被災家屋から柳原白蓮らの書簡

東日本大震災で被災した宮城県亘理町荒浜の旧家から、森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介ら明治から昭和初期に活躍した文豪のものとみられる生原稿や書簡など約 700点が、流失を免れて見つかった。資料は宮城県沖地震の際に偶然発見されていたが、震災で津波をかぶったため、NPOなどが洗浄と修復処理を施した。 町教委は、2度の災害を耐え抜いた文豪の肉筆を、14日から初めて一般に公開する。

資料は、旧荒浜村(現亘理町)村長などを務めた江戸清吉氏(1938年没)が収集した。「江戸清吉コレクション」と呼ばれ約2万点あるがこれまで門外不出だった。
生原稿は約300点近くあり、森鴎外の晩年の傑作とされる「北条霞亭」、夏目漱石の「文鳥」、芥川龍之介の「僕の友だち二三人」、与謝野晶子の随筆「一年草」などとみられている。
書簡やはがきは400点余りあった。島崎藤村や正岡子規、石川啄木らの名が確認でき、江戸氏が所蔵品の真偽を直接問い合わせた斎藤茂吉からの返信もあった。
大正、昭和に活躍した歌人で昨年のNHK連続テレビ小説「花子とアン」の登場人物のモデルとして脚光を集めた柳原白蓮(1885~1967)の書簡もある。便箋4枚に、外部から執筆依頼があったのを友人の事情を考慮して断りを入れる内容だった。
白蓮研究者で国学院大講師中西洋子さんは「癖などから白蓮の字に間違いない。情に厚く、さっぱりした白蓮の人間性もうかがえる」と話す。
これらの資料は、37年前の宮城県沖地震で壊れた江戸氏の土蔵を整理中に見つかった。その後は、子孫が敷地内の平屋の小屋に保管していたが、震災で約2メートルの津波に襲われた。
震災から2カ月後、町教委が損壊した小屋に資料の現存を確認した。文化庁の事業を活用し、NPO法人宮城歴史資料保全ネットワークや全国の研究者とともに搬出。奈良文化財研究所の協力を受け、洗浄と修復の応急処置に当たった。
作業は昨年10月に終了したが海水の染みやカビの跡が残ったものも少なくない。資料は当面、町教委が管理する。
町郷土資料館の菅野達雄学芸員は「流失せずに残ったのが不幸中の幸い。書簡の内容など分からない部分も多く、専門家の協力を仰ぎながら全容の解明を進めたい。染み抜きなどの再修復も必要になる」と話す。
一般公開はJR亘理駅東口の悠里館内、町郷土資料館で。3月29日まで。月曜祝日休館。連絡先は0223(34)8701。

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