人工乳房で血液がん?…自主回収スタートしたが「代替品なし」患者SOS

乳がん患者の乳房再建手術で使う人工乳房について、血液がんの一種、悪性リンパ腫を発症する恐れがあるとして、メーカーが7月下旬から自主回収を始めた。国内では公的医療保険の対象となる代替品がなく、全国的に再建手術は中断し、患者に不安が広がった。9月にも代替品が販売されるものの、従来品より合併症が増えるなどの懸念があり、安心して利用できる製品の供給が急務だ。(医療部 中島久美子、加納昭彦)

読売新聞社 唯一の保険適用…乳がん「再建手術」中止に

 かつて、人工乳房を使う再建手術は自費で、100万円前後かかっていた。患者会が公的医療保険の適用を求める約12万人分の署名を厚生労働省に提出し、2013年、ようやく保険適用になり、自己負担は半額以下になった。

 人工乳房による国内の再建手術は、保険適用前の12年は約1600件にとどまっていたが、16年には約8200件と5倍に増えた。保険適用後に手術を受けた人は約3万人に上る。

 国内で唯一、公的保険が適用されていたのが、アイルランドの製薬大手アラガンの製品だ。

 ところが、7月24日、米食品医薬品局(FDA)の調査で、人工乳房の挿入後に悪性リンパ腫を発症した人が世界で573人おり、うち33人が死亡していたことが明らかになった。特定のアラガン製品が発症しやすいこともわかり、FDAが自主回収を要請した。

 回収対象は、シリコーン製の人工乳房2製品と、人工乳房を入れる前に使う拡張器の計3製品だ。自主回収は全世界に及んだが、米国などでは他社製品が普及しており、大きな混乱はなかった。一方、日本には公的保険の対象となる製品が他になく、発症の確率は極めて低いものの、人工乳房を使った再建手術は中止に追い込まれた。

 年間約160件の再建手術を手がける亀田総合病院(千葉県鴨川市)では、患者への連絡や説明に追われた。東京都内の会社員女性(45)は、乳がんの摘出手術と同時に予定していた拡張器を入れる手術ができないと聞かされた。「再建ができるから乳房の全摘にも前向きになれたのに」と落胆している。

 すでに再建手術で人工乳房を入れた患者も不安を隠せない。乳がん患者会で活動する東京都世田谷区の大谷るみ子さん(53)は、「この春に人工乳房を入れたばかり。急きょ、主治医に説明を求めました。医師は安全性の情報提供とともに、不安に寄り添った対応をしてほしい」と話す。

 拡張器を入れて人工乳房への交換を待つ患者にも影響する。拡張器には金属が使われており、がん再発の有無を調べようとする際、磁気共鳴画像(MRI)検査が受けられない。

発症はまれ

 日本乳房オンコプラスティックサージャリー学会などによると、人工乳房を入れた後に発症する悪性リンパ腫は、3300~3万人に1人の頻度で起きる。平均9年で発症する。国内でも今年6月、初の報告があった。挿入後17年たった患者で、現在治療中という。

 早期に発見できれば、人工乳房と周囲の組織の切除で治せる。同学会を含む4学会は8月2日、人工乳房の使用者に対し、急な腫れなど悪性リンパ腫を疑う症状がなければ摘出は推奨せず、定期的に検診を受け続けることを呼びかける文書を公表した。

 アラガン日本法人は9月から緊急対策として、別タイプの製品を販売する。当面は、拡張器から速やかに交換する必要がある患者に優先的に供給する計画だという。

 ただ、この製品は保険適用だが、ほぼ流通しないまま昨年、販売中止になった「旧式」だ。悪性リンパ腫のリスクはほぼないが、皮膚が縮まり硬くなる合併症が増えるほか、破損した時に中身が漏れ出しやすく、形が不自然になりやすいといった問題がある。

 全国の24患者団体は8月28日、アラガン社以外の新たな人工乳房の保険適用などを求める要望書を、厚生労働省に提出した。

 人工乳房を使った再建手術の経験豊富な岩平佳子・ブレストサージャリークリニック(東京都港区)院長は、「再建する患者は、どんな乳房でもあればよいのではなく、美しく安全な乳房を取り戻したいと願っている。保険による手術が再開できても、解決には程遠い状況だ」と指摘する。【乳房再建】

 人工乳房を使う方法は、胸の筋肉の下に拡張器を入れて約半年間、皮膚や筋肉を伸ばして、徐々に乳房を膨らませてから、人工乳房に入れ替えるのが一般的だ。一方、自分のおなかや背中の筋肉や脂肪を移植する自家再建もある。従来、公的医療保険の対象だが、乳房以外に傷が残り、体への負担も大きい。いずれも、がんの切除手術と同時に行ったり、後日に行ったりする。人工乳房の再建手術に関する主な留意点

◆人工乳房を使う患者

・人工乳房を入れた後の悪性リンパ腫は、埋め込んだ部位周辺が大きく腫れることが多い

・急な腫れなど気になる症状がない場合、人工乳房の摘出は推奨しない

・気になる症状があれば速やかに受診する

・早期発見が重要。自己検診と医療機関での定期検診を受け続ける

◆拡張器を入れ、人工乳房への入れ替えを待つ患者

・拡張器を入れている間はMRI検査はできない

・9月に販売される別の製品を使うか、自家再建、他の製品が保険適用になるのを待つ

・自費診療で未承認の製品を使う方法もある

 (関連学会の資料などから作成)

緊急時に問われる供給体制

 医薬品や医療機器の供給が止まる事態は過去にもあり、今後も起こり得る。2011年の東日本大震災では、福島県内の工場が被災し、甲状腺機能低下症などの治療薬「チラーヂンS」が品薄になった。国内市場の98%を占める薬で、同じ成分の薬が緊急輸入された。

 医療機器では、09年、国内の骨髄移植の9割以上で使われる米企業の製品が在庫不足となった。厚生労働省は、日本では未承認だが、米食品医薬品局(FDA)が承認する米国の他企業の製品に対し、輸入や公的医療保険の適用を認めた。

 少なくとも半年かかる審査を1か月弱で承認、通常20日かかる保険適用も即日認めた。厚労省は、移植が一時中断する恐れがあったため、緊急の例外的な対応だったと説明する。

 今回の人工乳房は、生死にすぐに関わる事態ではないが、患者への影響の広がりは大きい。成川衛(まもる)・北里大薬学部教授(医薬開発学)は「国もメーカーも、より安全かつ有効な製品を供給できるような対策をとるべきだ」と指摘する。

 国の制度には、未承認の新薬などで手続きを簡略化して認める「特例承認」はある。ただ、新たな感染症の流行を想定した限定的な仕組みだ。優先的に審査する仕組みもあるが、他に治療法がない重い病気などに限られる。

 乳がん経験者の桜井なおみ・全国がん患者団体連合会理事は「海外で標準的に使われていれば、緊急時は優先して承認するなどの仕組みが必要だ」と訴える。

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