人類史上初 70歳までみんな働く社会 何がどう変わるか? 60歳で課長? 65歳で部長?

定年したら、孫を抱いて悠々自適の年金暮らし――。そんな「老後」のイメージは過去のものになりそうだ。少子高齢化と年金財政の危機で、働かないと生きていけなくなる。こんな日本で大丈夫か?

AIに仕事を奪われるのに

「私個人は65歳をすぎても元気で働く意欲があれば、働いたほうがいいという考えです。より豊かな老後を手に入れるために、定年後も働ける人は働いてはどうですかと提案してきました。

ところが、政府が言っているのは『みんなに70歳まで働いてもらう』ということであり、これには賛同できません。言葉では『人生100年』とか、『日本の高齢者は元気で働きたいと思っている人が大勢いるから』と、もっともなことを言っているように聞こえます。

しかし、本音は、65歳から100歳まで年金だけで暮らしていけると思われては困る、ということでしょう。

60歳で定年になり、あとは年金で悠々自適の生活と思っていたら、年金の受給開始が65歳に延びた。あと5年がんばるかと諦めたら、今度は70歳まで働いてもらう、と言い出した。これでは人生設計が狂ってしまいます」(経済ジャーナリストの荻原博子氏)

多くの人が農業や商売に従事し、寿命が現在よりも格段に短かった江戸時代なら「生涯現役」もありえただろう。

だが、70歳まで「賃金労働者」として働く社会は、有史以来はじめての現象だ。
日本は、人類史上初となる「70歳までみんな働く社会」を迎えようとしているのである。

〈65歳以上を一律に「高齢者」と見るのは、もはや現実的ではない〉

18年6月に政府が閣議決定した「骨太の方針」(経済財政運営と改革の基本方針2018)には、こんな文言が盛り込まれている。

同年2月に閣議決定している「高齢社会対策大綱」では、現行で70歳まで遅らせることができる年金受給の開始年齢を、70歳を超えても可能になるよう検討を求めている。

いずれも安倍晋三総理の意向だ。安倍総理は、総裁選の際の演説でこうも強調した。

「高齢者がいくつになっても、生きがいを持って活躍できる生涯現役社会を実現する」

すでに希望者の65歳までの雇用が企業には義務づけられ、いくつかの企業で65歳定年制の導入を模索する動きが見られる。’25年には年金の支給は完全に65歳からになる(女性は’30年から)。

これらはすべて、70歳までみんなが働く社会への布石に他ならない。

背景にあるのは、年金制度の危機的財政だ。経営コンサルタントの鈴木貴博氏が解説する。

「年金制度さえしっかりしていれば働く必要がなかった人にまで、働くことを強制せざるを得ないほど、年金財政は逼迫しています。少子高齢化や低金利で年金財政が悪化し、それに政府がうまく対応できなかった責任は重大です」

若手にポストが回らない…

65歳で定年退職、70歳まで雇用延長になると、仮に22歳で入社したとして、転職しなければ、半世紀近くを同じ職場で過ごすことになる。

それはどんな社会になるのだろうか。

まず考えられるのは、年配の社員が増え、出世に遅れが出るということだ。現状、多くの企業が一定の年齢で役職が外れる「役職定年」を設けているが、この制度はベテランの働く意欲を削ぐと評判が悪い。

そこで、たとえばある大手企業では、60歳から65歳に定年を引き上げると同時に、役職定年は設けないと決めた。

「そうなると、ポストの数は限られているので、60歳で課長、65歳で部長にようやく昇進するといった人事が生じる可能性さえあります。その結果、若手にはなかなかポストが回ってこず、不満が溜まる。組織が硬直化していくでしょう。

また、企業が全体の人件費を増やすはずはありませんから、ベテランが役職とそれなりに高い給料を独占する一方で、若手・中堅の給料が減らされる。彼らに不満が溜まって、さらに組織が硬直化していくという悪循環に陥ります」(経済評論家の平野和之氏)

とはいえ、役職を与えられた人は恵まれているほうだろう。70歳まで働けと言われても、それまでのキャリアを活かせるような仕事は企業にそれほど用意されていない。

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「現状では、雇用延長になった人たちは事務処理などの作業をあてがわれているようですが、こういった仕事はこれからAIが行うようになり、人間は必要なくなります。

70歳まで働く社会になると、会社に残ったとしても、倉庫作業など、表に出ない肉体労働が中心となり、彼らが接するのはロボットと外国人労働者ばかりでしょう。

そういう仕事に企業が高い報酬を支払うとは思えません。おそらく70歳まで働くようになっても、生涯年収は変わらない。そのうえ、年金額は毎月の収入に比例しますから、受け取る年金は少なくなるわけです」(前出・鈴木氏)

給料が上がることはない

こういう社会はすでに現実になりつつある。大手製氷機メーカーで定年まで勤め、いまも雇用延長で働く男性(64歳)がこう明かす。

「年金だけでは食べていけませんから、再雇用の形で今も工場で勤務しています。新設の工場には最新の機械が導入され、従業員はほとんど必要なくなりました。

なので、私が勤務しているのは、旧式の機械のある工場です。そこでは高齢者と外国人労働者ばかりが働いています。

狭い工場の中で立ったまま、箱詰めや製品チェックなどの単純作業を長時間続けていると、自分がまるで機械の部品になったような感じで、命をすり減らしている気持ちがします。

生きるために働くことは当然ですが、そこに喜びや楽しみがなければ、何のために生きているのか、なんて考えてしまいます。一生涯を会社に捧げた結果がこれかと虚しくなりますね」

こうした工場勤務といった仕事も、これからは外国人労働者と取り合いになる。
前出の荻原氏が言う。

「人手不足は、とくに地方では大変深刻です。政府はこれまで『移民は一人たりとも受け入れない』というスタンスでした。

しかし、最近になって人手不足への対応のため、安倍総理は『’25年までに50万人の外国人労働者を受け入れる』と言うようになりました。『移民』ではなく、あくまで『外国人労働者』と言っていますが、実質的には同じことです。

彼らからすれば、日本の給料は高給ですから、多少過酷な仕事でも喜んで就くでしょう。日本人が職を探す際に、外国人労働者と競合する場面が多くなり、そうなれば、給料の値下げ競争が起きる危険性もあります」

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70歳まですべての人が働く社会になれば、当然、年金の受給開始も70歳からになる。

厚生年金の標準的な受給額は月額約22万円(夫婦二人の場合)。それが5年間、払われなくなるわけだから、単純計算で総額約1320万円も年金の手取り額が減らされることになる。

すでに年金を受給している60代は、極端に受給額を下げられることはないため、逃げ切れるかもしれない。30代はこれからの社会に備えて、人生設計を作り直せばいいだろう。

もっとも割を食うのは、年頃の子どもを抱え、会社人生も長くなった、40代後半から50代にかけての労働者だ。

「これから給料が増えると言われてきた時期に手取りは上がらないし、年金の支給額も削られる。年功序列を前提に生活設計をしてきたはずですから、これからやってくる『70歳まで働く社会』への対応も難しい。

『年金を払えないから、70歳まで働け』などと、日本以外の社会で政府が言えば、暴動が起きてもおかしくありませんよ」(前出・鈴木氏)

弔慰金が激増

実際、圧倒的支持率を誇るプーチン大統領が独裁的に君臨するロシアでさえ、男性の年金の開始年齢を従来の60歳から65歳、女性は55歳から60歳に引き上げると発表するや、各地でデモが頻発した。

支持率は10ポイント以上も急落し、地方の年金事務所では爆発物が投げられるテロ行為まで起きた。

それに比べると、日本の労働者は控えめだ。大手建設会社に勤める58歳男性はこう語る。

「うちの会社の場合、60~63歳で『本体』から放り出されるので、正社員としての『身分』は長くてあと5年です。

最近、朝刊を目にするとき、自分が〈65歳以上雇用〉とか、〈生涯現役社会〉といった見出しを探していることに気づかされる。その対象は、私たちの世代なんです。

企業にしてみれば、政府から言われて雇っているだけで、本音では『使い古し』の人材をいつまでも置いておきたくはない。

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一方、働かされる者にとっては、長く会社にいられるからといっても、トータルでもらう金額は、給料や退職金の減額で調整されるから、結局は同じなんですよ。

私が携わってきたのは総務全般で、『何でも屋』。もう時代遅れの仕事です。そんな私が70歳まで残って何をするのか。

これまできつく当たってきた後輩の『部下』になって、コピー取り?『生涯現役』の名のもとに冷たい視線を浴びながら、会社にしがみつくしかないのでしょうか」

公務員は好待遇

一方の企業経営側にしても、「70歳まで雇用するように」という政府の「要請」には困惑の色を隠せない。

「60歳をすぎれば、健康に不安を抱えている人も多いですし、突然の病気で休むこともあるでしょう。そのときの手当をどうするかなど、悩みの種は尽きません。

70歳まで雇用することが義務づけられたら、在職中に亡くなるケースも増え、弔慰金やお見舞金もバカになりません」(大手メーカー総務部勤務)

民間企業では困惑が広がるが、公務員は率先して定年延長に動き出している。人事院は、国家公務員の定年を段階的に65歳に引き上げる要望を政府に提出。

その際、60歳以上の給与を3割カットして、原則「役職定年」を導入するという。

経済アナリストの森永卓郎氏はこうした動きに懐疑的だ。

「私はいま61歳で、同級生はみんな定年を迎えていますが、大多数が雇用延長で同じ会社に残っています。その給与は現役時代の半分から、3分の1程度。

なかには、子会社の食堂の店長など、これまでのキャリアとまったく関係のない仕事に就いている人もいます。

一方で、公務員は定年延長になっても、給料は現役時代の7割が確保できる。一般の民間企業に比べて、相当に恵まれていると言わざるを得ません。せめて民間並みに給与は半額程度にするべきではないでしょうか」

ただでさえ、日本の高齢者は世界的に見て、よく働いている。

労働政策研究・研修機構の発行する『データブック国際労働比較2018』によれば、日本の65歳以上男性の就業率は31.7%。米国が24%、英国が14.4%、ドイツが9.3%、フランスが3.9%であることを見れば、日本の高齢者の働きぶりは突出しているのだ。

すでに65歳以上の男性の約3分の1が働いているが、この割合はどんどん増えていく。

「こうした現状の背景にグローバリゼーションによる人的資本の価値の低下があります。従来、人間が担ってきた仕事の多くがITやAIに取って代わられているのです。

要するに、割のいい仕事がどんどん減って、その結果として中産階級が激減し、超富裕層と低所得者層に二極分化が進んでいます。所得が減れば、その分、長期間働かなければならなくなるのは、ある意味で仕方のないことではあります」(前出・鈴木氏)

「老後」という概念が消滅

年金支給が70歳からになれば、十分な財産がある人以外は、誰もが働かなければならない。

もちろん、選ばなければ、仕事はいくらでもある。それは機械やAIの手に負えない、肉体を使う労働がほとんどだ。

「年収100万円程度の警備や介護などの仕事に、現役世代に混じって60歳超の人がフルタイムで従事することになるでしょう。

65歳をすぎた人にとっては肉体的にきつい。それでも、生きていくためには、必死に働かなければならない、そんな社会になるのです」(前出・森永氏)

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その結果、健康を害してしまえば、元も子もない。日本人男性の健康寿命は現在72.14歳。65歳まで働いたとしても、健康に過ごせる老後の時間は10年足らずなのに、70歳まで働くとなると、わずか2年になる。

もはや「老後」や「隠居」という概念そのものが消滅するのだ。

一方で、これまで若者が担ってきた仕事に、60代以上が参入してくるのだから、職場内は世代間の対立でぎくしゃくする。現場責任者にとって、年上の部下は扱いづらく、使われるベテラン側も、自分よりも若い人の指示に唯々諾々と従えない。

「私たちの世代が豊かな老後を送るためには、約8000万円の資産が必要と言われてきました。60歳で定年し、月に30万円の生活費がかかり、80歳まで生きたとして、家のリフォーム代などを合わせてそのくらいが妥当という試算ですね。

ところが、『人生100年』を前提に試算し直したら、その倍の1億6000万円が必要な計算になります。

私は65歳から年金をもらえる世代ですから、大幅に減額されない限り、大丈夫そうですが、子どもたちの世代は65歳をすぎてからも大変でしょう。70歳まで働かせて、年金は約束されたほど出ないなどということにならないですかね」(前出・58歳の大手建設会社社員)

年金が70歳支給になるのは、いずれにせよ避けられそうにない。そのときに働かないで済むのは、老後資産に余裕のある、恵まれたほんの一握りだけだろう。

大半の人は、現役時代の半分以下の給料で、70歳まで働き続けなければならない。人類史上初の事態は間違いなくやってくる。「生涯現役」とは、働けない人間に価値はないとする社会と同義ではないのか。

「週刊現代」2018年10月13日・20日合併号より

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