仙台に引っ越してきた皆さん、新生活は楽しめていますか。仙台人は「取っつきにくいが、慣れると話しやすい」と評されることが多いようです。今回は宮城のいわゆる「県民性」について、郷土史家の石沢友隆さん(88)=仙台市太白区=に教えてもらいました。傾向を知っておくと、日頃のコミュニケーションに役立つかもしれません。(編集局コンテンツセンター・佐藤理史)
住みよい宮城
「のんびり」「おおらか」。裏返して言えば「協調性がない」「諦めやすい」。県民性をテーマにした書籍を読むと、大体共通の特徴が書かれているという。
「仕事はそつなくこなすが上昇志向はあまりない」(「宮城あるある」松岡真一著)「しゃかりきになって働くことより、遊ぶこと、楽しむことに興味と関心がある都会的な気質の人が多いようである」(「出身県でわかる人の性格」岩中祥史著)などだ。
鷹揚(おうよう)ならいいが、不名誉な「怠け者」というレッテルも貼られてきたそうだ。「近代みやぎの歩み」(佐々久著)は明治時代、東八番丁(現宮城野区)にあった片倉組仙台製糸所の工場長が「宮城県人は怠け者なので、福島、山形県民だけを採用した」と語ったとする逸話を紹介している。
宮城は東北他県と比べれば雪は少なく、気候は穏やか。米どころであり、三陸沖の好漁場も抱える。そうした住みよさが「お坊ちゃん、お嬢様」気質の背景にあると説明される。
他県に優越感、東京にコンプレックス
「プライドが高い」も定番の評価だ。東北最大の100万都市を築いていることだけではなく、江戸時代に62万石を有する東北の雄藩として栄え、明治以降は旧制二高や旧陸軍第2師団が置かれたことも一因とされる。「東北他県に対して優越感を抱く半面、東京へのコンプレックスがある」とする説がしばしば見られるという。
かつてよく言われていたのは殿様商売と評される「仙台商人」、約束の時間に多少遅れても気にしない「仙台時間」。1935(昭和10)年、仙台市教育会が高等小学校の児童向けに編さんした副読本「仙台市民読本」には、そうした記述が出てくる。石沢さんは「今の厳しい世界でそんなことは言っていられない。さすがに消滅したと言えるのではないか」と話す。
風土を嗅ごう
当然ながら、県民性は個々の人に当てはまるものではなく、一種のステレオタイプだ。各説の根拠も厳密さに欠けるきらいがある。県民性を探る意味はどこにあるのか。
「個々のばあいはまことに微量でしかない粒子が、大集団をなしたときに蒸れてにおいでてしまっているものがここでいう風土であるかもしれない」。作家司馬遼太郎さんは随筆「歴史を紀行する」の後書きでこう述べた上で「風土を考えることなしに歴史も現在も理解しがたいばあいがしばしばある」と強調する。
石沢さんは「岡目八目の例えもある。よそから来た人の方が、ずっと仙台に住んでいる人よりも風土的な特質が分かるのでは」と投げかける。風土を嗅ぐつもりで、地元の人と付き合ってもらえれば幸いだ。
[「仙台市民読本」第12課「仙台人」より]
一、仙台人は質実剛健で勇敢ではあるが、礼儀に欠け、一般公衆に対する公徳心は甚だ幼稚で他人の迷惑を考えず約束を守らない欠点がある。
二、教育程度は一般に進んでいる。殊に女子の裁縫の進んでいるのは他県人の驚くところであるが、ややもすると勤労を好まず、他人を支配しようとする風がある。
三、親類故旧に対して情宜厚く、他人に対しても知人と否とに関わらず、親切を尽くすが、共同団結の心が薄く、郷党相寄り相助けて共存共栄の実をあげることに乏しく、成功者をねたみ、これを中傷する風がある。また後進者を指導啓発して向上させてやろうという気風に欠けている。
四、物事は控えめで伝統や古い慣習になずみがちで、排他的思想強く、自分から積極的に物事をやろうという進取的の気性に欠けている。
五、寡黙で謹直で義理堅いところはあるが、愛想がなく社交性に乏しい。その結果、商売が下手なことは仙台で成功した商人の多くが他県人であるのを見てもうなずかれる。
六、沈着でのんびりしているのは美点であるが、その反面、物事に無頓着で時間の観念がなく、諸人から時間を守らないことを仙台時間と称されている。
七、言葉が悪く、昔から東北地方の言葉を仙台弁、または東北のズーズーべんといわれ、方言が多く、誤った言葉遣いや不正音が多分に用いられている。
石沢友隆(いしざわ・ともたか)さん 1934年仙台市生