仙台産大豆を材料にスイーツ開発

 名付けて「仙大豆」。容易に想像が付く「仙台」と「大豆」の掛け言葉だ。この分かりやすい「ブランド」で、津波被害に遭った仙台東部の農業を元気づけようと意気込むのは、仙台農協震災復興推進課主任の小賀坂(こがさか)行也さん(35)=仙台市青葉区=。チョコレートやクッキー…。被災地農業の再生業務の傍ら、「仙台産の大豆を使った商品開発を次々と進め、農家の生産意欲を高めたい」とアイデアを練っている。
 焙煎(ばいせん)した大豆をチョコレートでコーティングした「ソイチョコ」、大豆粉と野菜粉で焼き上げたクッキー「ソイコロ」。仙台農協の農産物直売所「たなばたけ」(仙台市宮城野区)の一角にあるスイーツ工房「tanabata」には、仙大豆を使った商品が並ぶ。
 「4月の販売開始以来、味もデザインも好評で、先月には新たな商品も投入しました」と言う。
<作付面積2位>
 仙大豆はキリンビールが取り組む「復興応援キリン絆プロジェクト」の助成を受けて誕生した。商品開発は東京の野菜スイーツ専門店と共に行っている。
 「コメどころは裏を返せば、大豆どころです」。その理由は生産調整(減反)の転作作物として大豆が選ばれることが多いからだ。実際、宮城県の大豆作付面積(2013年)は北海道に次いで全国2位。ところが、生産量となると3位、10アール当たりの収量となると9位に落ちる。転作でやむなく作るという意識が農家にあるからかもしれない。
 折しも、大豆は機能性食品として注目を集め、需要拡大が見込まれる。「仙台東部の稲作地帯でも大豆は盛んに作られています。特産品としてブランド化すれば、農家の生産意欲もきっと高まります」。そう考えて戦略を立てた。
 仙大豆シリーズを売っているのは現在、「tanabata」と仙台空港の売店だけ。「大豆粉の麺など商品を拡充し、販路をJR仙台駅やデパートなどにも広げたい」と夢を膨らませる。東北大大学院農学研究科で、食品の流通やリサイクルを勉強したのがブランド化事業に役立った。
<ビジョン作成>
 大学院時代にもう一つ取り組んだのが、仙台東部の稲作地帯の将来ビジョンづくり。若林区六郷の農家からの聞き取り調査を担当した。その成果は仙台農協が2004年に作成した「JA仙台21世紀水田農業チャレンジプラン」に反映された。それは今、仙台東部の農業再生の指針になっている。
 地域を一つの農場と見立て、担い手に農地を集積し、効率的な水田農業を展開する。大規模経営体だけでなく、地域の農家がさまざまな形で農業に関わることができる工夫を凝らす。チャレンジプランが目指す農業の姿だ。
 震災前、10アールや30アール区画だった水田が、図らずも1ヘクタール規模の大規模区画へと整備が進むようになり、ハード面の整備は一気に進む見通しだ。
<担い手育てる>
 「高齢化に加え、農機具が津波で流されて離農する農家が多い。農業を担う若手を育成することが最大の課題」と思っている。
 その対応策として、仙台農協はことし、宮城県農業大学校を卒業したばかりの新規就農者2人を雇用し、荒浜集落営農組合(若林区)に出向させた。将来を担う2人を育て上げ、同時に、任意組織の荒浜集落営農組合を来年には法人化させるのが使命だ。
 小賀坂さんが学んだ研究室では毎年暮れ、きりたんぽ鍋で忘年会を開く。震災の3カ月前のその席で、津波にのまれて亡くなった仙台市若林区の担い手農家二瓶幸次さん=当時(60)=に「期待しているよ」と言われたことが忘れられない。
 「二瓶さんの期待に応えているだろうか」。自問自答しながら、被災地の農業再生に取り組む日々が続く。
【カラー写真】「仙大豆」で被災地農業の活性化を目指す小賀坂さん。袋入りのものが「ソイチョコ」、小箱が「ソイコロ」

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