東日本大震災の津波で工場を流された宮城県気仙沼市の造船業者3人が、気仙沼湾沿いにテントを張っただけの「仮設造船所」で、和船の共同修理に乗りだしている。「養殖を再開させたい」と傷んだ船の修理を急ぐ漁業者の要望に応え、熟練の技を発揮している。
仮設造船所は同市松崎片浜に設け、佐藤喜昭さん(63)ら造船・船舶販売業の3人が共同で運営する。7月中旬から繊維強化プラスチック(FRP)製の和船10隻ほどを修理したが、まだ20~30隻の注文があるという。
佐藤さんは40年前に同市階上地区で「佐藤造船所」を開業。和船の製造・販売を手掛けてきたが、津波で工場や事務所が跡形もなく流された。
同業の互洋大船渡マリーナ(岩手県大船渡市)が佐藤さんらの苦境を知り、10メートル四方のテント2張りを提供。被災した水産加工場の土地を無償で借り、仮設造船所を開設した。
「海に生きる人は海に出てこそ元気が出る。少しでも漁業者の手助けできるのはうれしい」と佐藤さん。仲間の近藤一良さん(72)、高城実さん(71)は「まだ電気や水道がない地域なので大変だが、3人で力を合わせてやっている」と笑みをみせる。
気仙沼市内では大小合わせて15ほどの造船業者があり、いずれも大きな被害を受けた。国の支援は届いていないが、「これが最後の仕事場。70歳をすぎて、こんなに仕事ができるのは幸せ」という近藤さんをはじめ、3人の表情には充実感があふれている。
佐藤さんは「海の街、気仙沼に造船はなくてはならないもの。漁業者の再起を後押ししながら、自分も造船所を立て直したい」と話している。