伊藤博文暗殺 不可解な三発の銃弾と安重根に協力者が存在説

真相が明らかになっていない事件は少なくない。当事者がすべて死亡してしまっているために資料が散逸したり、証言が残っていなかったり、政治的な思惑で隠蔽されていることもある。評論家の呉智英氏が、1909年、初代内閣総理大臣の伊藤博文がハルピン駅で暗殺された事件について、真相究明が難しくなっている理由と背景を考えた。

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先月26日、1963年のケネディ米大統領暗殺事件に関する資料が公開された。これまで非公開だったが、1992年の法律でこの日までに公開するよう定められたからである。それでも一部の資料は情報提供者の保護などの名目で未公開のままだ。アメリカの世論調査によると、国民の六割が事件には裏があると思っている。

それも無理はない。実行犯L.オズワルドは事件直後に逮捕され、わずか二日後、移送中にJ.ルビーによって射殺された。そのルビーも三年二ヶ月後、再審請求中の獄中で病死している。この二人にはともに不審な言動があり、周辺にも怪しげな人物の影がちらつく。真相解明を求める声はまだ二十年や三十年は続くだろう。

一国のトップが暗殺された事件は日本にもある。1909年(明治42年)、内閣総理大臣を経て韓国統監であった伊藤博文がハルピン駅頭で韓国人安重根に射殺された事件である。

この事件は、日本の韓国併合を控えた時期に起きたものでもあり、安重根の高潔な人物像が伝えられていることもあり、何より安が韓国の国民的英雄としてソウルの安重根義士記念館に祀られていることもあって、植民地主義の頭目を民族主義者が狙撃した事件だと思われている。日本の愛国系の論者の中には、一国のトップの暗殺者を顕彰することは決して許されない、と批判する人もあるが、では、ヒトラーやスターリンの暗殺ならどうなのか、という反論が予想されるだろう。私はそういった観点ではなく、事件に疑念を持つ。

事件の闇を詳しく探った書に大野芳『伊藤博文暗殺事件』(新潮社、2003)がある。そこでも言及されている上垣外憲一『暗殺・伊藤博文』(ちくま新書、2000)、後の研究書である伊藤之雄『伊藤博文をめぐる日韓関係』(ミネルヴァ書房、2011)などを読むと、ケネディ事件以上の暗黒が背後にあるようだ。巧妙に仕組まれた謀略らしい。

まず、事件の状況そのものがかなり不可解である。ハルピン駅頭で伊藤博文に近づいてきた安重根はピストルで伊藤を撃った。周囲にいた人たちは数発の銃声を聞いている。事件の記録や解剖の所見などによれば、伊藤の体内から三発の銃弾が見つかっている。そのうち一発は拳銃弾ではなく小銃弾であり、体内への射入角が上方からのものである。安以外の協力者がいた可能性がある。

次に、伊藤博文の韓国観である。伊藤は日韓併合消極論者だった。もともと朝鮮民族の自立自治の能力を信頼しており、国際情勢を考慮して韓国を保護領化するにとどめるべきだと考えていた。ところが、伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み、翌年には日韓併合となった。安重根の行動は逆効果だった。しかも、安重根義士説が定着した以上、真犯人追及はできなくなり、永遠に真相は葬られる。大野芳は、軍部強硬派と右翼勢力が背後にあると推測している。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。

※週刊ポスト2017年11月24日号

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