どうしてメリー氏が圧力を掛けたのに、“辞めジャニ”の本木雅弘(57)は潰されなかったのか。
8月29日、ジャニーズ事務所の元社長であるジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害問題に関して、「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書を公表。ジャニー氏が1970年代前半から40年以上に渡って性加害を繰り返してきたと結論づけた。会見では、飛鳥井望氏が「根本原因はジャニー氏の性嗜好異常。被害の拡大を招いたのは藤島メリー泰子氏の放置と隠蔽」と話した。
報告書の中には、事務所の副社長を務めてきたメリー氏(2021年死去)がメディアに圧力をかけてきた様子が綴られている。
《「マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった」》
《「メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『SMAPには森なんていなかったでしょ?』『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した」》
上記などの『週刊文春』の記事を引用した上で、こう書いた。
《その重要な部分が真実であるとの証明がされたか、又は少なくとも、被告の文藝春秋らが、これを真実と信ずるについて相当の理由があったというべきであり、「マスメディアは、原告事務所を恐れ、追従していること」それ自体又はその前提となる事実を真実と信ずるについては、相当の理由があったと判示している(この点は、東京高裁判決においても維持されている)。》
■ジャニーズを辞めた本木雅弘をキャスティングし「出禁的待遇」を受ける
メリー氏の圧力について、映画プロデューサーの奥山和由氏(69)の「X」(旧ツイッター)の投稿が話題を呼んだ。
《35年前の話。
「226」ジャニーズをやめたばかりの本木雅弘をキャスティング。メリー喜多川さんより「よく考えて」と。「ダメならハッキリそう言ってください」と返事。「ダメとは言わない、もう一度よく考えて」と。熟考して魅力を感じての配役、本木で決行。
元シブがき隊・本木雅弘はなぜ潰されなかった? 奥山和由氏が明かしたメリー氏の「圧力」
公開日:2023/09/06 06:00 更新日:2023/09/06 17:22
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どうしてメリー氏が圧力を掛けたのに、“辞めジャニ”の本木雅弘(57)は潰されなかったのか。
8月29日、ジャニーズ事務所の元社長であるジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害問題に関して、「外部専門家による再発防止特別チーム」が調査報告書を公表。ジャニー氏が1970年代前半から40年以上に渡って性加害を繰り返してきたと結論づけた。会見では、飛鳥井望氏が「根本原因はジャニー氏の性嗜好異常。被害の拡大を招いたのは藤島メリー泰子氏の放置と隠蔽」と話した。
報告書の中には、事務所の副社長を務めてきたメリー氏(2021年死去)がメディアに圧力をかけてきた様子が綴られている。
《「マスコミ対応を委ねられているメリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった」》
《「メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『SMAPには森なんていなかったでしょ?』『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した」》
上記などの『週刊文春』の記事を引用した上で、こう書いた。
《その重要な部分が真実であるとの証明がされたか、又は少なくとも、被告の文藝春秋らが、これを真実と信ずるについて相当の理由があったというべきであり、「マスメディアは、原告事務所を恐れ、追従していること」それ自体又はその前提となる事実を真実と信ずるについては、相当の理由があったと判示している(この点は、東京高裁判決においても維持されている)。》
■ジャニーズを辞めた本木雅弘をキャスティングし「出禁的待遇」を受ける
メリー氏の圧力について、映画プロデューサーの奥山和由氏(69)の「X」(旧ツイッター)の投稿が話題を呼んだ。
《35年前の話。
「226」ジャニーズをやめたばかりの本木雅弘をキャスティング。メリー喜多川さんより「よく考えて」と。「ダメならハッキリそう言ってください」と返事。「ダメとは言わない、もう一度よく考えて」と。熟考して魅力を感じての配役、本木で決行。
あれ以来ジャニーズ事務所、出禁的待遇。》(8月29日に投稿) 本木は1982年にシブがき隊のメンバーとして『NAI・NAI 16』でデビュー。『100%…SOかもね!』『スシ食いねェ!』などヒット曲を連発した。しかし、シブがき隊は同じ事務所の
少年隊、他事務所のチェッカーズなどに人気を奪われ、1988年11月に解隊した。本木がジャニーズ事務所を辞める頃、奥山氏は映画『226』にキャスティングした。すると、メリー氏の横槍が入ったという。確かに本木は退所後、ジャニーズのタレントとほぼ共演していない。しかし、同じシブがき隊の
薬丸裕英(57)や布川敏和(58)はそのような扱いを受けていない。なぜ、この差が生まれたのか。
シブがき隊で本木だけが圧力を受ける事になった真相
「薬丸は最初ジャニーズに残りましたが、1年も経たないうちに移籍しました。布川は解隊後、すぐに別の事務所に行っています。当時は解散したグループのメンバーはほとんど事務所に残っていないですし、アイドルというカテゴリーから外れるので、ジャニーズの競合相手になるわけではない。穏便に移籍すれば、圧力を掛けられるわけではなかったようです。
しかし、薬丸と布川はメリー氏の勧めるプロダクションに入ったそうですが、本木はメリー氏の意向を汲まずに自分の行きたい事務所を選んだみたいです。そのため、メリー氏の逆鱗に触れ、圧力が及んだと聞いています。ただ、本木がジャニーズと共演できなくなったのは1990年代半ば以降です。それまでは絡みがありました」(ベテラン芸能記者)
一体、何があったのか。報告書と奥山氏の投稿を比べると、メリー氏の振る舞いに差が感じられる。報告書で認められた《メリー喜多川は、森がオートレーサーの試験に合格した事実を前向きに報じようとした民放のプロデューサーに、『SMAPには森なんていなかったでしょ?』『最初からいないの。森はSMAPのメンバーじゃない。』などと大声を出した》という『週刊文春』の記事内容からは威圧的な様子が伝わってくる。
一方、奥山和由氏の投稿では《ダメとは言わない、もう一度よく考えて》と言葉だけを読めば、怒鳴り散らしたようではなさそうだ。なぜ、森且行(49)がSMAPを脱退した1996年と本木がジャニーズを辞めた1988年では態度が違うのか。
「1980年代から、メリー氏は他の事務所から男性アイドルが出ればメディアに圧力をかけてきたと言われています。ただ、テレビでいえば歌番組にしか効力は及ばなかった。なぜなら、バラエティーやドラマでは『そのタレントを使うならウチは全員出ない』と言えるほどのパワーのあるタレントが揃っていたわけではないからです。それは映画界でも同じです」(業界関係者)
■ジャニー氏のお別れの会も参加しなかった本木の心情
本木は独立したタイミングが良かったようだ。
「光GENJIが87年にデビューして国民的アイドルになりましたが、3年くらいで人気は落ち着いた。91年デビューのSMAPも最初はそんなに売れていませんでした。だから、90年代前半はメリー氏の圧力が広範囲に及ぶことはなかった。本木が役者として大成できたのは、本人の能力の高さが最大の原因ですが、活躍の場が遮断されなかったことも大きい」(前出の業界関係者)
本木は役者としてだけでなく、92年には井上陽水作詞作曲の『東へ西へ』でNHK紅白歌合戦に出場。93年4月から1年間、NHKの歌番組『ポップジャム』の司会を務めていた。
「『ポップジャム』には光GENJIやSMAPが出たこともあります。ジャニーズ事務所が力のない時期でしたから、『本木が司会なら出ない』とはメリー氏も言えなかったのでしょう。NHKの歌番組に出演できないことは事務所にとって損失ですから」(前出の業界関係者)
事態は段々と変化していった。93年に木村拓哉(50)がドラマ『あすなろ白書』で高視聴率に貢献。94年にSMAPが『Hey Hey おおきに毎度あり』『がんばりましょう』などのヒット曲を生み、中居正広(51)や香取慎吾(46)がバラエティー界に進出した。この辺りから歌番組だけでなく、テレビの全てのジャンルにジャニーズのタレントが出演するようになり、視聴率を稼いでいった。そして、報告書にある《メリー喜多川は、ドラマの共演者が気に入らないと、その放送局の社長に直接電話をかけ、外すよう要求することもあった》という行為が生まれたようだ。
「SMAPが国民的な人気グループになってから、メリー氏の振る舞いがさらに横暴になった。業界では周知の事実でした。だから、近年は圧力ではなく、忖度という言葉が使われてきた。何にもないのに忖度なんてしません。過去に圧力があったから、自然と忖度するようになった。メリー氏の思い通りの展開でしょうね。奥山氏のように圧力に屈しないプロデューサーがいれば、また状況は違ったと思いますが」(週刊誌記者)
本木はジャニーズ事務所の圧力が及ばない時期に役者としての地位を築き、その後も活躍した。2019年、東京ドームでジャニー氏のお別れの会が開催されたが、本木は出席していない。
「メリー氏に会いたくなかったからでしょう。散々、自分の活動を妨害してきたであろう人に挨拶したくなかったのだと思いますよ。当然の心理ですよ」(前出の週刊誌記者)