東日本大震災で津波被害を受けた宮城県沿岸のうち、リアス式海岸が続く石巻市の牡鹿半島では、入り江ごとに集う小集落が「消滅の危機」と闘っている。
被災した住宅の再建も漁の再開も先行きは不透明で、住民は次々と浜を離れる。住民自治組織の行政区が機能せず、行政情報の伝達や住民の意見集約が困難になるケースも出ている。
牡鹿半島の 鮫浦 ( さめのうら ) 行政区では、家や船、養殖施設が流され、28世帯のうち半島に残るのは仮設住宅に入った5世帯だけ。
阿部正夫区長(65)によると、住民の多くは高台移転を望む。阿部さんは住民が散り散りになる前に各世帯の連絡先を押さえた。行政による説明会など情報を丁寧に伝えたいが、「限界がある」という。
牡鹿地区には震災前、離島を除いて18の行政区があったが、ほぼ全戸が被災した2区は隣区に統合された。各区で高台移転の説明会が始まったが、市牡鹿総合支所は「鮫浦など4区は従来の活動は難しい」とする。