東日本大震災で甚大な被害が出た宮城県山元町で、津波で全壊した自宅をたった一人で修繕した男性がいる。生まれ育った古里で再び家族で暮らすことを願い、素人ながら3年がかりでこつこつと作業に汗を流した。今月末に引っ越しし、震災前と同じ生活を始める。
修繕したのは、同町笠野地区の無職砂金政宏さん(53)。築40年、木造一部2階、延べ床面積約160平方メートルの自宅は、一部を除いて震災前の姿を取り戻した。砂金さんは「できる範囲を自力でやるつもりが、最終盤まで来てしまった」と笑う。
自宅は震災の津波で2階床まで浸水し、押し寄せたがれきで室内が埋まった。同居していた母(76)と弟(47)と逃げて無事だった砂金さんは1週間後、辛くも流失を免れた自宅を見て覚悟を決めた。「津波に耐えた家を守る。長男の宿命だ」
課題は修繕費。建築業者の試算で1500万円は掛かると言われた。安く上げるため、自力再建の道を選び、がれきを片付けて作業に着手した。
元ヘルパーで建築の経験はなかった。分からないことは近所の大工に尋ね、インターネットで調べた。ホームセンターで工具や資材を買いそろえ、床の張り替えや壁作りなどに少しずつ取り組んだ。ガラスサッシや家具などは解体した被災家屋から譲り受けた。
徹底して切り詰めたところ、費用は230万円で済んだ。既に母と弟は今月初めに自宅に戻った。2人とも「よく眠れる」と喜んでいるという。
集落は災害危険区域に指定され多くの住民が離れた。戻ったのは砂金さんを含めて14戸だけだ。
「ここからがスタート」と話す砂金さんだが、不安もある。県は津波防御の二線堤となるかさ上げ県道を集落の西側に整備する計画で、住民は防御ラインから外れる。
「地域ににぎわいを取り戻したい。そのためにも安全の確保が必要」と砂金さん。周辺住民とともに、県にルート変更を求めていくという。