円安・物価高で「一億総下流社会」へ 日本はますます「貧しい国」になる

「コロナ禍」に「ウクライナ危機」も長引き、物価高や円安が加速している。収入が増えないなか、家計は圧迫されるばかり。はたして「日本の貧困化」はどこまで進むのか。新刊『一億総下流社会』(MdN新書)が話題の経済ジャーナリストの須田慎一郎氏は、「このままいけば、富める者も富まざる者もどんどん貧しくなる」と警鐘を鳴らす。どういうことか、須田氏が解説する。

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「物価高」と「円安」が止まらない。7月の消費者物価指数(生鮮食品除く)は前年同月比2.4%上昇と4か月連続で2%を超え、為替相場も8月後半は1ドル=136円台で推移している。

 世界的な物価高といわれるが、日本だけがこんなに苦しいのは理由がある。世界的にみても、生活を支える「収入」は日本だけが上がっていないのである。

 OECD(経済協力開発機構)が算出する主要7か国(日本、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ)に韓国を加えた平均実質賃金の推移をみると、一目瞭然だ。

 米国は2000年から伸び続け、2020年時点の実質賃金は7万ドルに迫る勢いで突出している。カナダ、ドイツ、英国、フランス、そして韓国も右肩上がりで伸び続ける一方、日本はこの20年間でまったくといっていいほど伸びておらず、2015年には韓国にも抜かれている。日本と同様、イタリアも低迷しており、この8か国のなかでは日本とイタリアが最下位争いを繰り広げている格好なのだ。

 しかも、賃金が増えていないのは、この20年間だけではない。

 国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、日本のサラリーマンの平均年収は1997年の467万円をピークに、その後は一度も上回ることなく推移している。もっといえば、サラリーマンの平均年収が400万円を超えたのはバブル真っ只中の1989年。1992年には450万円台となって1997年まで上がり続けたが、その後は450万円台にも届かないまま、2020年は433万円と前年よりも減っている。

 つまり、日本のサラリーマンの給料は1990年代よりも低い水準のままであり、この30年以上にわたって増えていないも同然なのだ。よくバブル崩壊後の「失われた30年」というが、まさに日本人の「賃上げが失われてきた30年」ということがはっきり見えてくる。

 そして収入が増えなければ、消費も増やせない。モノやサービスにお金が回らなければ、企業の収益も上がらない。企業が儲からないから、社員の給料も上げられない――。そうした「負のスパイラル」が繰り返されれば、日本がどんどん「貧しい国」になってしまうのも当然ではないか。

 かつて高度経済成長期にはほとんどの国民の収入が右肩上がりで増えて、買いたいモノが自由に買えるような「一億総中流社会」が到来した。やがて欲しいモノが行き渡り、むしろ溢れるようになると、「お金はあるけど、欲しいモノがない」という成熟社会にシフトした。

 それがいまや、日本では世界的な物価高に円安で上乗せされた価格でモノを買わざるを得ない状況となり、「欲しいモノはたくさんあるけど、お金がない」という、それまでとは180度違った世界が訪れようとしている。それは何も貧困層に限った話ではなく、大多数を占めていたはずの中間層、さらにはその上の富裕層までもが味わうことになるかもしれない。

 岸田政権は「資産所得倍増プラン」を掲げるが、あくまで資産所得の倍増を目指すのであって、そもそも資産を持たない者の所得が倍増するわけではない。このままでは、ごく普通に見える人たちの家計の負担ばかりが増し、やがて家計が破綻して生活困窮者に陥ってしまう可能性が高まってしまうのではないだろうか。

 ただでさえ富裕層と貧困層の「二極化」が広がってきたといわれるが、この先はごく一握りの超富裕層を除けば、大多数の国民が貧困層に転落する「一億総下流社会」が現実味を帯びようとしている。

※須田慎一郎『一億総下流社会』(MdN新書)をもとに再構成

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