再生への道照らす 2020年五輪の東京開催決定

◎古里の将来に思いはせ
<フェンシング千田健太選手の父 「幻の五輪代表」千田健一さん>
 2020年五輪の東京開催が決まった8日、昨年のロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した千田健太選手の地元・気仙沼市では、父健一さん(57)=宮城・本吉響高校長=が「素晴らしい大会が東京に決まってうれしい」と喜びをかみしめた。
 健一さんは自宅のテレビで東京決定を見届けた。「マドリードが盛り返していると聞き、気をもんでいた。決定の瞬間は、感動に震えた」
 日本がボイコットしたモスクワ五輪(1980年)のフェンシングで幻の代表。失意の中で一線を退き、指導者として後進の指導に当たったが、五輪に対しては複雑な思いを抱えていた。
 そんなわだかまりを消し去ってくれたのも五輪だった。高校時代に指導した菅原智恵子選手(気仙沼市出身)がアテネ五輪(04年)に出場する際、同行した健一さんは五輪独特の雰囲気に圧倒された。「世界選手権とは全然違う。五輪を日本でやれたら素晴らしい」。東京開催を強く希望するようになった。
 東日本大震災で大きな被害を受けた気仙沼市では、まだ大勢の人が仮設住宅に暮らし、五輪開催を素直に喜べない気持ちもある。「五輪にかける予算があれば、回してほしいというのが被災者の本音だろう。不満があっても我慢している心情を、国はくみ取ってほしい」と注文を付ける。
 千田選手がブエノスアイレスでの招致活動に関わると聞き「被災地代表として思いを伝えてきてほしい」と見送った。千田選手からは「復興している7年後の東北の姿を見てもらえるよう一生懸命アピールする」とメールが届いた。
 海の向こうで、立派に大役を果たしてくれた。健一さんは東京開催決定後、千田選手に短いメールを送信した。「おめでとう。ご苦労さま」
◎半世紀超え再び「感無量」
<三宅さんら64年大会メダリスト>
 「感無量だ」「世界一の五輪に」。7年後、約半世紀ぶりに五輪が東京に戻ってくることが決まり、1964年の東京大会に出場した選手や関係者の喜びはひとしおだ。
 重量挙げで金メダルに輝いた三宅義信さん(73)=宮城県村田町出身=は8日早朝、テレビの生中継で決定を知り「人生で2度の東京開催を経験できるとは。感無量です」と拍手した。
 「五輪は若者に夢と目標を与える」と三宅さん。若手選手を発掘、育成するNPO法人の理事長も務めており「東京で多くの子に金メダルを取らせたい」と力を込めた。
 東京から3大会連続出場し、68年のメキシコ大会で銀メダルを獲得したマラソンの君原健二さん(72)は「日本らしい思いやりのある、世界一の五輪にしてほしい」と興奮気味に語った。
 「『東京で始まり、東京で引退』が一番なんだろうけど、年齢的に出られるかどうか…。開催されるだけでうれしい」と笑うのは64年大会で五輪に初出場した馬術の法華津寛さん(72)。昨年のロンドン大会に日本の五輪史上最年長の71歳で出場し、現在も競技を続けている。拠点にしているオランダの住まいで決定を知り「思わずシャンパンを抜きました」。
 64年大会の体操銅メダリスト小野清子さん(77)=秋田市出身=は「本当によかった。信じていました」とほっとした様子。体操団体総合で金メダルに輝き、日本選手団の主将として選手宣誓もした夫喬さん(82)=能代市出身=は「政財界の協力もあり招致に成功できた」。夫婦で握手し喜んだ。
 「東洋の魔女」と呼ばれたバレーボール優勝メンバーの千葉(旧姓松村)勝美さん(69)は後輩たちに「狙うは金メダルしかない。64年大会の感動をもう一度」と期待する。「私も7年後まで体を鍛えて元気でいなきゃ」と声を弾ませた。

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