ハリウッド映画の代表的なキャッチコピー「全米が泣いた」。数多くの作品で使用されている定番のフレーズとして知られており、ここから派生した「全俺が泣いた」などのネットスラングも誕生しています。
ところで、誰もが何度も耳にしているこのコピー、いったいいつから存在するのでしょうか。初めて全米を泣かせた映画を突き止めるべく、体当たりで調査してみました。
●映画業界にも分からない「全米が泣いた」の元祖
調査にあたって気になったのは、そもそも「全米が泣いた」映画の元祖を知っている人物は存在しないのかという疑問です。
というのも、ネット上では「全米が泣いた」作品として「タイタニック」「ミリオンダラー・ベイビー」「アルマゲドン」「ロング・ウェイ・ホーム」などが紹介。Google検索の「関連する検索キーワード」に「全米 泣きすぎ」が入っていることに、納得してしまうほどの作品数が掲げられています。日本人は、日本人が泣いた映画よりもアメリカ人が泣いた映画に詳しいのではないかと思わざるを得ないくらい、キャッチコピーとして浸透しているのです。
しかし、このコピーを使用した最初の作品は何なのかという問題になると、話は別。「とにかく有名で、昔からよく使われている」くらいのぼんやりした情報ばかりで、詳細については分かりません。
さらに大手映画配給会社、映画関連の出版社、映画パンフレット販売店にも取材してみましたが、いずれも「分からない」との回答でした。実は、映画業界で働いている人たちにさえ分からない難問だったようです。
●日本人が思っているよりも、全米は泣かない
他人に頼れないとなると、自分で探すほかありません。まず足を運んだのは、日本有数の古書店街を持つ神保町。映画ポスター、チラシなどを取り扱う店舗も存在しており、それらの商品をひたすらチェックしていけば「全米が泣いた」映画が見つかるに違いありません。だって、日本では知らぬ者のない超有名なコピーなのですから。
やたらと体力を消耗する調査方法ではありますが、該当作品がたくさん出てきたら、後は公開年順に並べるだけで元祖に近い映画が導き出せるはず……と皮算用も捗ります。
午後の業務時間をまるまる使って、数百枚の映画チラシを確認してみたところ、案の定「全米が泣いた」にかなり近いコピーを使用したものが見つかりました。
・「全米が涙した、無垢で純粋な愛の感動作」(アイ・アム・サム/2001年公開)
・「全米を笑いと涙で沸かせて大ヒット!」(エディー 勝利の天使/1996年公開)
……ただし、出てきたのはこの2作品だけ。正確な数値は分かりませんが、発見率はどう考えても1%を下回っています。
よく考えてみれば、映画にはアクション、SF、コメディー、ミュージカル、ホラーなどさまざまなジャンルがあり、感動的な作品ばかりではありません。ましてや、多くの人を涙させるような良作なんて、そうそう現れません。「全米がそんな簡単に泣くわけがない」という当たり前すぎる現実に直面してしまいました。
頭の中で「全米が泣いた、全米が泣いた……」とスケールの大きなフレーズを繰り返しながらチラシに目を通しているうちに、洋画作品であれば「あなた疲れてるのよ」と言われてしまいそうな不思議な精神状態に。たまたま見つけた「釣りバカ日誌8」のチラシに「今や、日本国民の10人に1人が観ている」と書かれているのを見て、なぜか吹き出してしまったことをご報告しておきます。「なんで釣りバカは、そんなに謙虚なんだよ!」って思っちゃったんですよ……。
●映画雑誌「キネマ旬報」の広告を第1号から約15年分調べてみた
このまま先ほどの調査を続けて1万枚ほどアタックすれば、「全米が泣いた」映画の元祖が運良く発見できるかもしれません。しかし、その前に心がボキボキに折れてしまう可能性が高いため、やり方を変えることに。
次の調査場所は、「東京国立近代美術館フィルムセンター」(東京都中央区)。館内の図書館には老舗映画雑誌「キネマ旬報」のバックナンバーが置かれており、同誌の広告を1950年刊行の第1号から順に調べていけば、いつかきっと「全米が泣いた」映画の起源が分かるはずです。残念なことに、またもや運と体力に頼りきった作戦。
※キネマ旬報の歴史は太平洋戦争の影響で少しややこしい。同誌Webサイトによれば、1919年に創刊されたものの、戦時統制により1940年に終刊。しかし、1946年に「再建号」、その数年後に「復刊号」が登場したという。筆者が調べたのは、後者の「復刊第1号」以降
「全○○が○○」など、現代に近い映画コピーは半世紀以上前から存在
調べ始めるとすぐに、「全米が泣いた」のように「全○○が○○」という形式のフレーズを発見。1951年に刊行された号には、すでに「全米映画界に一大センセーション」「未曾有の感動で全洋画ファンを魅了!」といった宣伝文句が使われていました。
・「昨年度の全米映画界に一大センセーションを巻き起こしたイーグル・ライオン社の問題の総天然色巨編早くも入荷! 陽春ロードショウ公開!」(月世界征服/1951年2月発行第8号)
・「未曾有の感動で全洋画ファンを魅了!」(レベッカ/同年5月発行第14号)
また、約半世紀前から、現代と変わらない内容の映画広告が存在することも判明。たしかに「満都に話題渦巻く(満都は「都のすべての人」の意)」のように、今では理解しにくい表現が使われていることもあります。しかし、こんなアピールポイントを掲げている映画広告、現代人のわれわれも目にしたことがあるのでは?
・優秀な制作スタッフや映画監督による超大作
・映画批評家の前評判がすごい
・「今年度第1位になりそう」といううわさがある(ただし、誰が言っているのかまでは書かれない)
・海外で上映禁止になってしまったトラブルを、逆に宣伝に利用
もしかすると1950年代にはすでに、現代に近い感覚で映画広告が作られていたのかもしれません。この調子だと「全米が泣いた」映画、あっさり出てきそうだなあ……と筆者が期待してしまったのも仕方ないはず。
全世界が泣いても、全米は泣かなかった
調べを進めていくうちに、「全米が○○した」作品はいくつか見つかったのですが
・「全米をどよめかせたマンガーノのダイナミックな魅力充満!! 息詰まる女の体臭、映画の持つ最大の迫力! 『荒野の抱擁』のデ・サンティス監督作品」(1952年発行/にがい米)、
・「全米に話題を投げた注目の異色白熱巨編」(同年発行/美女と闘牛士)
このようにどよめいたり話題になったり、一大センセーションが巻き起こったりはするのですが、肝心の「泣いた」作品が一向に現れません。窓の外がすっかり暗く、体がフラフラになったころ、ようやく見つかったと思ったら……
・「哀切甘美! 全世界を感動の涙で包んだ世紀の大ロマン!」(哀愁/1961年発行第296号)
全米より先に、全世界が「感動の涙」。きっと全米の皆さんも目頭が熱くなったとは思うのですが、話の規模が大きくなりすぎてしまいました……。結局、「全米が泣いた」に限りなく近いコピーが見つかったのは、この広告の約90号先。発行年月に置き換えると、3年ちょっと後のことでした。
全米を最初に泣かせたのは、この作品?
・「あなたの心に訴える! あなたの魂をゆすぶる! 全アメリカをゆるがしたこの感激! この感動!」(わかれ道/1965年発行382号)
映画情報サイト「Movie Walker」によると、この「わかれ道」は、米国の人種差別問題をテーマにした作品。ある白人一家の夫が野心を燃やして南米に旅立ったものの、消息不明になってしまい、妻は黒人男性と再婚。その後、帰ってきた白人の元夫は、妻が黒人男性と一緒になっていることにショックを受け、妻とのあいだにもうけていた娘の親権を主張して裁判を起こすという展開になっています。
1960年代当時、米国では差別撤廃を求める黒人による公民権運動が盛り上がりを見せており、このような人種をめぐるトラブルが身近な問題だったのではないでしょうか。なお、作中の裁判では「米国社会には、黒人に対する偏見が存在し、子どもの将来を危険にさらすから」という理由で、親権が白人の父親のものに。娘が泣きながら母親のもとから引き離されるという悲劇的な結末を迎えるとのこと。
時代を色濃く反映したストーリーに加え、同作はカンヌ映画祭で主演女優賞を獲得しており、クオリティー面でも目を見張るものがあったようです。「どこの国にも、映画が好きじゃない人はいるはず。だから、『全アメリカをゆるがしたこの感激』は言いすぎ」「いくら良い映画でも、赤ちゃんには理解できない」といった重箱の隅をつつくような疑問はさておいて、多くの米国人の心を捉える魅力的な作品であったことは間違いないのでは?
結論
・1965年に宣伝されていた映画「わかれ道」が、「全米が泣いた」作品の元祖である可能性
・「全○○が○○する」という表現自体は1950年代には存在し、「全米が泣いた」に近いコピーは60年代には使われている。しかし、「全米が泣いた」をそのまま使った映画広告は見つけることができなかった
・大事なことなので2回言いますが、日本人が思っているよりも、全米は泣かない
今回の調査でちょっと残念だったのは、「涙した」「感激」などニュアンスの近いコピーは発見できたものの、「全米が泣いた」という表現をそのまま使用した作品が特定できなかったこと。古い作品の調査が難しくなってしまうため対象外にしてしまったのですが、もしかしたら動画広告のナレーションに「全米が泣いた」が使われ、それが多くの人の記憶に残っている……という可能性も考えられます。
ねとらぼ編集部は引き続き、「全米が泣いた」映画に関する調査を行っています。詳しい情報をお持ちの方からのご連絡、お待ちしております。
※「キネマ旬報」の洋画広告から調査。内容が類似したコピーは省略しています