千葉の英雄・ジャガーさん「月曜から夜ふかし」出演ですべての歯車が回りだして。

火星近くのジャガー星から宇宙船“ジャガー号”に乗って地球にやってきたロックミュージシャン、ジャガーさん。自身の資金で買い取った千葉テレビの番組枠で「HELLO JAGUAR」を放送するなど、千葉県を中心に著名な存在でしたが、昨年10月にはジャガー星へと“帰還”しました。近年、その知名度がさらに高まるきっかけとして、テレビ番組『月曜から夜ふかし』への出演がありましたが、ジャガーさんとしては、番組出演後、それまでに仕込んできた歯車が一度に動き出した感覚を覚えたそうで――。 【写真】愛らしい幼少期頃のジャガーさん、きょうだいとご両親との家族写真 * * * * * * * ◆「アレを観て育ってるから私たちは強いのよ」 「月曜から夜ふかし」に初めて出たのは、母が亡くなってほどない2015年10月のことだった。MCは、千葉は稲毛出身のマツコ・デラックスさん。 番組で「HELLO JAGUAR」の冒頭が流れるや、 「アレを観て育ってるから私たちは強いのよ。あの時代の千葉県民はみんな強いの」 そうマツコさんは言ってくれて、その日はTwitterのトレンドに「ジャガーさん」というキーワードが入ったり、ジャガーのWikipediaにアクセスが集中してページが表示されなくなったりしたようだ。 「あっジャガーさん懐かしい! やだ16:9の画面で観るの初めて!!」 そんな声もネット上で見かけた。 この番組によって昔からのファンの記憶のスイッチが押されただけでなく、新しい人たちにも届いたようで、 「ねえ、マツコ・デラックスが千葉テレビの話をしてるんだけど、親父はこの番組のこと知ってる?」 「知ってるも何も、俺がこの番組の担当だったんだ……」 「え~~~~~っ!?」 まさか「HELLO JAGUAR」を立ち上げた本人だと知らずに聞いた息子さんから驚かれた、元千葉テレビの櫻井守さんの姿もあった。 それ以降、ジャガーはたびたび「月曜から夜ふかし」に呼んでもらえるようになり、同時にあちこちの会社からグッズ化のオファーや、イベントの出演オファーが殺到する。 船橋のららぽーとで行なわれたイベントでは悪天候で電車が止まったりしたにもかかわらず、1000人もの人々が集まってくれた。 そこから先は、皆さんがよく知っている”今のジャガーさん”になったのだと思う。

◆「ジャガーさんはきっとどれだけ売れても変わらない」

2015年の年の暮れ。ジャガーは渋谷の「道玄坂ロック」という小さなロックバーでミニライブ&トークショーをした。地球の親友である井戸雄次さんが、愛蔵のアルバム2万枚とともに始めたお店で、リクエストしたらそれをかけてくれるスタイルのバーだ。

その話を聞くや、何か力になれたらと思ってイベント出演を申し出た。その頃のジャガーはすっかり忙しくなっていたけど、井戸さんには現場へ連れて行ってもらったり、仕事の契約上の相談に乗ってもらったりなど、何かとお世話になりっぱなしだった。

井戸さんに会うと、古い友達のような感覚がしてどこかホッとする。

ちなみにジャガーはもう10年以上テレビを観ていないし、「月曜から夜ふかし」ですらただ出るだけで観ていないので、井戸さんとの会話には芸能の話が一切出てこない。いつどんなときでも決まってボブ・ディランやザ・ローリング・ストーンズなどの音楽の話になるのだ。

「キースも弾けなくなって、ミック・ジャガーもテンポもキーもすっかり落としてねえ……。まあ、現役でやってるってだけでも十分いいですけど」

井戸さんが切り出すと、ジャガーもその話に乗る。

「長渕剛も『英二』や『勇次』の頃の作品はすごかったけど、最近のは個人的にはあまり……かな。だけど、最近のアルバムを聴いても最初の頃と変わってないような人って多いよね。ポール・マッカートニーもそうじゃない?」

「ジャガーさんはうちの若いスタッフとも普通に話せる感覚の持ち主なのに、そこだけやたら世代が出ますね」

「ジャガーの場合は進化し続けてるから、そう見えるんだよね。ある程度アレンジの方向が固定化されちゃってて、変化がないように見えるというか……」

「音楽やファッション面ではそうですけど、ジャガーさんご本人自体は、きっとどれだけ売れても変わらないですよ」

まるでクラスの片隅で語り合う、気の合う高校生同士のようだ。

「道玄坂ロック」にはその後、何回かお邪魔してトークショーをやっては数千枚のレコードに囲まれながら音楽談義をした。あるいは、井戸さんにうちのカレーパーティーに来てもらって話し込むこともある。それが多忙を極めるようになったジャガーのささやかな楽しみだった。

◆だんだん兄弟みんなの顔つきが似てきた

「牧彦は全然変わらないよね」

同じことを姉や妹からも言われた。

「昔からやってることも言ってることも全然変わらない」

「でも、続けるのがすごいよね」

「衣装ばっかり進化して、ヒールがどんどん高くなって足が伸びて、こないだなんてうちの玄関から上がれなくなってたのよ」

姉の話にドッと笑い出す家族のみんな。

「それでうちの玄関前でモジモジしてたら、その姿をご近所さんに見られちゃって、あとで『あの人、仮装行列から帰ってきたの?』なんて言われちゃったのよ」

涙が出るほど笑ってしまった。すかさず別の奥様が「違うわよ、あの人、ジャガーさんっていう芸能人なのよ」とフォローを入れてくれたらしい。

ちなみに姉もだいぶ高齢になってきたので、ちょっと前に姉の家に行って、コンロをIHに替えてあげた。兄弟全員歳を取ったせいなのか、だんだんみんなの顔つきが似てきたような気がする。

◆みんなが少しでも元気になってくれるなら 「月曜から夜ふかし」に出たことで再び世間から注目が集まっていったさまは、何か今までじっくり仕込んできた歯車がひとつひとつ噛み合って、大きな装置が動き出したかのような感覚だった。まさに『JAGUAR現象』といったところだろうか。 これは夢に近いものなのかもしれない。 そもそもが夢を売る商売なのだから、きっとそうなのだろう。 これまで多少の浮き沈みを経験して、ジャガーはそう考えるようになっていた。 昔ならメディアでの扱われ方などを気にしていたかもしれないけど、今はそれでみんなが少しでも元気になってくれるなら、せっかく見た夢を楽しんでみようじゃないか。 今はそういう気持ちだ。

◆マツコさんとまだ実際にお会いしていない理由 マツコさんもまた、ジャガーを夢の存在のままでいいと考えている一人なのだと思う。 というのも、たびたび番組に呼んでいただいているにもかかわらず、実はまだ一度も実際にお会いしたことがないからだ。楽屋がたったひとつ向こうであっても、軽く挨拶すらしたことがない。 「ちゃんとした企画でないと、ジャガーさんにお目にかかることはできないと言っているんです。そうじゃないと千葉の英雄に失礼だからと……」 番組のスタッフの方からそう聞いた。マツコさんはあくまでも、かつて高校時代に観た「HELLO JAGUAR」の中のジャガーであってほしいと望んでいるのだろう。スターにはスターであってほしいのだ。 それを汲み取ったジャガーは、実はマツコさんのために曲を作って用意していたけど、それを披露することをやめた。お互い千葉テレビを介してつながっていたあの頃のままでいることにしよう。 ―――――― HELLO JAGUARで~す! みんな元気か~い!? HELLO JAGUARです みんな元気かい 今日はみんなと JAGUARのロックショー 怪しい夜の暗闇が来た 今日はJAGUARの空想世界 ゆらゆら揺れる夢の中 JAGUARとみんなのランデブー ぼたんの花はナイスカラー すみれ色した別世界 奇跡のような巡り合い 優しいJAGUARのプレゼント バラの花に囲まれて JAGUARの夜はワンダフル 『HELLO JAGUAR』より ―――――― ※本稿は、『ジャガー自伝』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

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