双葉町民 鉢呂前大臣『死の町』発言ありがたかったとの声も

 震災から7か月。チェルノブイリに比して34倍の放射線量とされる福島第一原発の地元・双葉町。いま、この「町」はどうなっているのか。作家の山藤章一郎氏が報告する。
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 東京・上野から双葉町へは、常磐線で水戸、いわきを経て〈スーパーひたち〉で3時間かかる。
 3・11以前、商社マンのK氏は年に10回以上帰省した。母親のようすを見るのと墓参のためである。文明堂のカステラとわさび漬けをおみやげの定番にした。金曜夜、23時17分に着く。駅前通りは意外にも、明るい。東北電力の街灯が足許を照らし、下水道も完備している。人口7000。
 以下、K氏のおもにカネの話。
「子どものころは、原発はおっかねえ、怖いという人もいたけど、そのうち、慣れっこになって、誰もそんなこといわない。盆踊り、花火大会で、小型トラックの山車が出る。一番先頭に乗る〈東電〉の法被を着た発電所長が町民に愛想を振りまく。だんだん町民から原発の怖さが薄まっていった。
 そしてカネを撒いた。おれは年間、1万1196円の〈原子力給付金〉が東電から振り込まれてる。ああ、これこれ。去年の10月27日。40年もらってきたからトータル50万円。だけど漁民は家も船も補償されて、ひとり当たり数千万に近いカネを手にした。そりゃみんな〈東電様々〉よ。全部、消費者のみなさまの電気代です。
 もともとここは、昔の相馬藩。なんにも産業なんてなかった。遠く島根や鳥取で食えなくなった人が流れ着いたといわれる場所でね。原発で大きな雇用が生まれた。配管工、足場組み、水道屋、いわゆる作業員です。ほぼ1000人、家族を入れたら3~4000人。双葉町のこの数が東電で食ってきた。少しかわいい女子は受付や案内嬢に雇われた。
 歴史博物館というのがあります。埴輪とかそんなものを展示して。この維持経費が年に1億円、入場者は2~300人。
 ステーションプラザという建物もある。建設費の7億5000万円は東電が寄付した。県のスポーツ施設〈Jヴィレッジ〉の130億円も東電の寄付です。
 生きているうちに双葉に住むことはおそらくない、それなら、早く補償してくれ、カネをくれとみな思ってるのです。
 ダムに沈められた村はいくら出るんですか。双葉町は、家も生活も商売も根こそぎ持って行かれて、東電と国はいくらくれるのか。
 これまで一家族200万円超の仮払い金が降りています。地元の〈東邦銀行〉の預金総量は突然増えたはずです。しかし、〈警戒区域〉の住民が望むのは、そんなはした金ではなく、ダムに沈められ強制移住させられる住民と同額、いや、被曝の危険も加味しなければなりませんから、それ以上です。
 鉢呂大臣が『死の町』といってくれたのはありがたかった。そのとおりで、『死』を早く宣告されたほうが次のステップに動きやすいのです」
※週刊ポスト2011年10月14日号

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