コロナウイルスの出現後、ツイッター上で爆発的に知名度を高めた乳製品があります。その名も「蘇」。古代日本で流通し、貴族が滋養強壮のため口にするなどしてきました。ウイルスの影響で休校が相次ぎ、給食用牛乳の消費が落ち込む中、この食品を作り酪農家を応援しよう、という動きが広がっているのです。まさかの「蘇ブーム」火付け役の一人に、話を聞きました。(witnews編集部・神戸郁人)
【画像】公式レシピ不在、「蘇」の作り方を時系列で紹介 ジャムに蜂蜜、何でもござれ!アレンジの幅は無限
時の権力者が口にした珍味
そもそも、蘇とはどんな食べ物なのでしょうか?
起源は、古代にまでさかのぼります。製法や保存方法を研究した東野治之さん・池山紀之さんの論文によれば、「醍醐」「酪」などとともに史料に登場。たとえば平安時代の法令集「延喜式」には、次のような記述が見られます。
作蘇之法、乳大一斗煎、得蘇大一升
訳:蘇を作るの法、乳大一斗、煎して蘇大一升を得
――出典:「日本古代の蘇と酪」(奈良大学紀要)
つまり、一斗(約18リットル)の牛乳を煮詰めれば、一升(約1.8リットル)分の蘇を作れるということです。その形状を「バター及び濃縮乳(クリーム、コンデンスミルク)の類」(同論文)とする説もあります。
蘇はかつて、貴族の宴席向け料理や、仏教行事の供物、薬として用いられました。平安時代の高官・藤原実資(さねすけ)の日記「小右記」には、時の権力者・藤原道長が体調を崩した際、「蘇蜜煮」という料理を口にした、と書かれています。
しかし詳しい作り方については、文献的な裏付けが乏しく、学者の間でも意見が分かれているのが実情です。まだまだ謎多き食品と言えるでしょう。
想像力をフル活用、独自メニュー続々
そんな蘇が再び脚光を浴びたのは、今年3月。コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、全国の小中学校が、続々と休校を決めたことがきっかけでした。
「生活できなくなる」「廃業するかも」。給食用牛乳の行き場がなくなり、ネットには酪農家たちの悲鳴があふれました。こうした状況を受け、大量の牛乳を消費できる点で、蘇に注目が集まったのです。
野菜や生ハムを付け合わせたり、ジャムを乗せてみたり……。公式レシピが残っていないことを逆手に取り、想像力豊かな独自メニューを編み出し、ツイッター上で紹介する人々は今なお引きも切りません。
その先駆けとなったのが、ミケ太郎さん(@bokumike)です。3月1日に、牛乳とヨーグルトから蘇を作る様子をツイートで実況。一連の投稿は話題を呼び、12日時点でリツイート数が1.5万を超え、「いいね」も3万以上ついています。
農林水産省の公式アカウントがツイートを拡散するなど、ブームのきっかけをつくったと言えるミケ太郎さん。調理を思いついた背景について、話を聞きました。
日本史の授業で見た復元図に憧れ
農業がテーマの漫画『銀の匙』『百姓貴族』(ともに荒川弘著)を愛読していたミケ太郎さん。休校の知らせを受け、まっさきに頭をもたげてきたのは「恐怖」だったと振り返ります。
「食料自給率が低い日本にあって、牛乳の自給率は100%です(*註)。そのうち、学校給食で消費されるのは1割程度と聞いたことがあります」
「牛は生き物なので、餌代や管理費が掛かります。その労働力や諸経費は、各農家さんの持ち出しです。今回の給食ストップを機に、事業が成り立たなくなり、廃業に追い込まれる人も出てくるのではと思いました」
とはいえ大量を牛乳を消費するため、飲み続けるのも非現実的です。更にそのまま口にすると、お腹を壊してしまう人も少なくありません。そこで頭の中に浮かんだのが、日本史の授業で知った蘇でした。
資料集の復元図を見て、古(いにしえ)の味に思いをはせた学生時代。当時の憧れがよみがえります。「牛乳を限界まで濃縮させれば、一人当たりの消費量が増えるのではないか」。そんな考えもあり、挑戦しようと思ったそうです。
*註:「モゥ~っと牛乳 牛乳は自給率100%の飲み物です」を参照(全国農業協同組合連合会ウェブサイト)
2時間かき混ぜても食べたい味
調理法は、ネット上の関連情報を参照。それでも不明点が多く、最終的には「全体の形が均一で黄色っぽく、限界まで水分を抜いたもの」を目指すことにしました。
大変だったのは、完成までとにかく時間がかかること。フライパンに2リットルの牛乳を注ぎ、2時間ほど自宅のコンロで火にかけ続けたといいます。
フライパンが焦げ付かないよう、へらでゆっくり牛乳を混ぜながら、粘り気が強まるまで待つーー。単調な作業のため「途中で眠くなってしまい、コンロ前でスマートフォンのゲームをしつつ過ごしました」と、ミケ太郎さんは苦笑します。
弾力が出てきたら、練ってはこねての繰り返し。ラップに包んで形を整え、冷蔵庫で冷やしたら完成です。初見の印象は「食感はチーズ」。口にしてみると、ほんのりとした塩味とミルクの風味が舌に広がり、一口当たりの満足度も高かったといいます。
「これが正解なのかはわからなくても、蘇は様々なアレンジの利く面白い食べ物なんじゃないかと思いました」
ツイッター上で味付けについて情報交換
ミケ太郎さんのツイートを見た人からは、味付けに関するアドバイスが数多く届きました。「クラッカーなどの上に乗せ、蜂蜜やジャムをかけるとおいしい」。そんな情報に触発され、自家製イチゴジャムや紅茶のマロンペーストを付け合わせると、これまた極上の味わいに。
「何にでも合っちゃうな……と、蘇の可能性を感じました。他の方が蘇を焼いていると知り、スライスしたものをトースターで軽く焼き、蜂蜜をかけたら『これが優勝』と思いました」
「ちなみにヨーグルトでも作ったのですが、酸味が強くて。個人的には牛乳から作ったものの方がおいしかったです。冷蔵庫で1日ほど寝かせた方が、乳独特の匂いがやわらいで、色んなものにアレンジしやすいと思います」
「#蘇チャレンジ」ハッシュタグが流行
ツイートした写真にも思い入れがあります。蘇の黄色みが引き立つよう、黒い皿の上にピンクの生ハムと一緒に並べるなど、「映え」を意識。「きれいじゃないとスルーされるかも」。不安だったものの、「オシャレ」などのコメントが並びうれしかったと笑います。
更に、他の人の感想も聞きたいと、完成品を知人や親族に配ってみることに。すると、「本当に牛乳だけで作ったの?」と驚かれたり、幼い子どもが夢中で食べたりと、大好評でした。
ツイッター上では、「#蘇チャレンジ」「#蘇の画像を上げてけ」といったハッシュタグが流行しています。人気は、まだしばらく続きそうです。
「おいしいもの増えるのはハッピー」
調理の目的は、あくまで牛乳消費の促進。「出来心で作っただけなのに、ここまで大事になるとは……」。ミケ太郎さんは驚きを隠しません。しかし同時に、コロナウイルス出現で世間の不安感が高まる中で、「少しだけ明るい話題が提供できた」と喜びます。
ツイッター上には、蘇を含む食品を持ち寄ってパーティをしたり、時短レシピを考えたりする人も。ミケ太郎さん自身、蘇をみそ漬けにするなどして、更なるおいしさを追究し続けています。
「一時的なブームかもしれませんが、蘇がいろいろな人々の生活に食い込んだ。人生の1ページとまではいかなくても、1行くらいにはなったのかもしれません」
「この世においしいものが一品でも増えるというのは、間違いなくハッピーなこと。令和版の蘇を気に入ってくれたのならば、気持ちと時間に余裕があるときに、また作ってもらえたらいいのかなと思います」