宮城県涌谷町の国史跡「黄金山産金遺跡」に近い同町日向町で昨年11月、古代の掘っ立て柱の列が見つかり、町教育委員会による発掘調査の結果、規模の大 きい建物跡が確認された。涌谷町は古代陸奥国小田郡に属し、日本初の産金地として知られる。同教委は「遺構は小田郡の存在した年代と重なり、郡の城柵ある いは官衙(かんが)である可能性が高い」と話す。
遺構は産金遺跡の南約1.6キロ、住宅建築現場で発見された。涌谷町中心部を範囲とする中世の館跡「日向館跡」の西南端に位置する。
南北約30メートルにわたり並行する2本の掘っ立て柱の列や、溝の跡などがあり、平瓦も出土した。年代は奈良・平安時代とみられる。
柱穴は大きいもので直径約30センチ、柱を据える穴は一辺1メートル以上のものもあった。間隔は2.2~2.4メートル。柱列の配置から南北の軸に沿って 北側に57平方メートル、南側に78平方メートル以上の掘っ立て柱建物跡が確認された。南側の建物跡は調査区域外に延びている可能性もあるという。
建て替えが繰り返された形跡があり、5棟分の建物跡を確認した。
小田郡に関連する遺跡は、鳴瀬川沿いに構築された施設群とみられる美里町の一本柳遺跡、涌谷町に須恵器を製造したとされる長根窯跡、追戸横穴墓群などがある。
今回見つかった遺構は、西に江合川が流れ、北と東には土塁跡が確認されるなど「要衝」ともいえる位置にある。
町教委は「これまで小田郡の中心がどこか、また中心があったのかもよく分からなかった。この遺構は、小田郡という地域の実体や、産金経営との関わりを探る上で貴重な手掛かりになる」と話している。
調査は昨年11月から今月中旬まで3次に分けて実施。成果は28日、3月1日の両日、多賀城市の東北歴史博物館である第41回古代城柵官衙遺跡検討会で資料報告される。
◎役所脇殿の一部?
<国立歴史民俗博物館・岡田茂弘名誉教授(東北歴史博物館初代館長)の話>
南北に長く建物がいくつも重なって建てられ、人が生活した遺物の出土も少ないことから、ここが小田郡の役所の中心部分、政庁跡の一部と考える。古代の政庁 は南北に細長い脇殿が東西に2列、北側の中央に正殿が配置されるものが多く、見つかった遺構はどちらか一方の脇殿の一部と考えられる。今後の周辺部の学術 調査に期待したい。
[小田郡]古代陸奥国の郡として8世紀前半に置かれた。現在の涌谷町と美里町、石巻市河南町の一部を含む地域とされ る。749(天平21)年、陸奥守百済王敬福(くだらのこにきしきょうふく)によって産出された金は、奈良東大寺の大仏の鍍金(ときん)に使われた。中世 に入り、現在も残る遠田郡と合併した。