天災の真の恐ろしさは、災厄そのものがもたらす「直接被害」に留まらず、「二次被害」を生み出す点にある。各地を物理的に破壊するだけでなく、人の「性(さが)」を剥(む)き出しにして人間関係をも瓦解させるのだ。
【写真】浸水で「死者」が出てしまったマンション
日を追うごとに明らかになる台風19号による甚大な被害実態。そして今、「二次被害」も徐々に表面化し、深刻化しつつある――。
「一日中ひっきりなしに、嫌がらせ電話の音が鳴り響いています」
疲労の色を滲(にじ)ませてこう語るのは、「二子玉川の環境と安全を考える会」(以下、二子玉川会)の代表だった男性の夫人である。
「ひどい時には1時間に4件くらい掛かってくる。『お前らのせいで家じゅうが水浸しだ。どう責任を取ってくれるんだ!』と怒鳴られたこともあります」
東京都と神奈川県の間を縫うようにして流れる多摩川は氾濫し、死者が出た。首都の東側を流れる荒川や江戸川が越水しなかったのとは対照的だった。東側の川は大丈夫だったのに、なぜ……。やるせなさを募らせる多摩川流域の住民の中には「犯人探し」をする者が現れ、その矛先を向けられたのが先の夫人だったのだ。「関係ないのに…」
流域住民のひとりが「多摩川事情」を解説する。
「多摩川下流域の堤防工事が進められていた2010年1月、二子玉川会が景観を理由に工事差し止めの仮処分を東京地裁に申し立てました。しかし、棄却されています」
ところが、9年前のこの一件が「誤解」を招いた。二子玉川会が堤防建設に反対したことが今回の多摩川氾濫を招いたのだと。
夫人が続ける。
「会の代表だった夫はすでに鬼籍に入っていますし、会自体もとっくの昔に解散しています。そもそも、私たちが差し止めを申し立てた下流域では予定通り堤防が完成し、台風19号で越水したのは多摩川の、より上流です。上流域は私たちの運動とは関係ないんです」
前出の住民が補足する。
「工事未着手の上流域の堤防に関しては、国交省と地域住民の間で話し合いが行われていて、堤防建設に反対する声はほとんどなく、『どう堤防を作るか』という部分でいろいろな議論が出ていた。国交省は橋を壊して堤防を作る予定だったそうで、橋は残してほしいという地域住民との調整に時間が掛かっていました」
つまり、国交省の調整能力のなさで上流域の堤防は先延ばしとなり、越水を引き起こしたとも言える。繰り返しになるが、上流域の堤防問題と二子玉川会とは端(はな)から全く関係がないのだ。
「無言電話もあり、家の電話に出てもどうせ嫌がらせに決まっていますから、もう留守録にして出ないようにしています。もしかしたら、安否を気にした知り合いからの電話も来ているかもしれませんが、今の状態ではとても電話は取れません」(夫人)
台風が切り裂いた地域住民の絆。それは堤防問題に限った話ではない。
「排水できない時は、お皿にサランラップをかけて使うと、水洗いする必要がないので便利ですよ」
神奈川県川崎市の武蔵小杉エリア。タワーマンションが浸水被害を受けたことで一躍「全国区」となったこの地では、住民同士が「サランラップ情報」などを共有し、一体となって困難を乗り越えようと協力し合っている。
だが一方で、排水がままならず、電気もろくに使えない生活が続くと、否応なしに疲労が溜まってイライラが募り、人心は荒(すさ)んでいく。そして、時間の経過とともに「彼我の差」がどうしても気になり始めて……。
武蔵小杉を取材した大手メディアの記者が明かす。
「武蔵小杉駅周辺にある11棟のタワマンのうち2棟が浸水被害を受け、停電や断水の事態に見舞われました。中でも被害が深刻だった47階建てのタワマンでは、高層階よりも低層階で『エレベーター被害』は大きかった。すると、高層階と低層階の住民の間で『一体感』に差が生じ、高層階の住民の一部が『上(高層階)はエレベーターが動いているから大丈夫と思われたくない』とこぼし始めたんです。下の人ばかりじゃなく上は上で大変なんだ、私たちだって被災者なんだと……」
このようにタワマンの「上下」による「階層差」が垣間見られたのに加えて、
「同じ武蔵小杉でも、被害に遭わなかったタワマンの住民は、『うちの建物は、台風前後で全く変わらない』とアピールしていた。『台風に弱いタワマン』と思われると資産価値が下がってしまう危険があり、『浸水したのはうちではない、よそのタワマンですよ』と言いたかったんでしょう」(同)
並び建つタワマンの「横関係」においても微妙な意識の差が見られるのだった。
モンスター台風は、人々の内面にも深い爪痕を残したのである。