福井市美山地区の中でも山深いところにある赤谷町。この地には、平清盛の孫で、平家の貴公子とうたわれた維盛の伝説が残る。集落の入り口には「平家壁」と呼ばれる切り立った崖があり、奇異な言い伝えが語り継がれている。
「平家物語」では、維盛は平家の都落ち後に戦線を離れ、現在の和歌山県沖で入水して死んだとする。「赤谷村由緒記」では、維盛はこの地に逃れ、子孫が住みついて一つの村ができたとし、逆の立場をとる。
「(平家一族を)赤谷のもんはみんな、尊敬の意を込めて『平家様』と呼ぶ。平家壁一帯は聖地で、汚したらあかん場所」。こう語るのは、地元の平井源一さん(89)。近くの神社には、維盛の兜飾りだったと伝わる釈迦如来座像など、ゆかりの“物証”もあると話す。
平家壁の中腹には維盛の骨が入っているという縦横約30センチの石のほこら「平家堂」があり、奥まった場所には墓標とされる石碑もある。「国家有事があれば平家様の霊が出てくるため、平家堂の観音扉が自然に開閉する」。先祖代々伝わっている話だ。
最盛期は70戸ほどあったという赤谷町も、現在はわずか2戸3人が住む静かな集落になった。「平家様の話を知る人を少しでも増やしたい」。平家滅亡から約830年たった今もなお、語り部として地元に残る伝説を伝え続けている。